たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん

文字の大きさ
137 / 237
第3章 過去編 side 拓巳

42、他人の家

しおりを挟む

 十蔵さんが予定を1日繰り上げて帰って来たのはその日の午後8時頃で、彼はテーブルの上の手紙を読むなり1階の寝室に駆け込んで行った。

 俺と朝美も続いて部屋に入ったら、開け放たれたクローゼットからは母さんが好んで着ていた服が綺麗さっぱり無くなっていて、普段あまり着ないようなドレス類や派手なワンピースなどが、歯の抜けた櫛のように垂れ下がっている。

 ドレッサーの上には、愛用していた化粧品の代わりに、折り畳まれた離婚届と、俺の通帳と印鑑が無造作に置かれていた。
 いい加減な母さんらしい。こんな重要書類まで石ころみたいにポイッと置いて行くんだ。


 十蔵さんはその場にヘナヘナとへたり込んで茫然自失の状態で、俺の隣では朝美がそんな父親を冷んやりした目で見下ろしていた。

「拓巳くん……穂華さんは、僕のことを何か言っていたかい?」
「いえ、何も……俺が学校から帰って来たら、もういなくて……」

「穂華さんが行きそうな場所に心当たりは?」
「……ごめんなさい、分かりません。俺が知ってるのは祖母の家くらいで……」

「祖母?!穂華さんには、拓巳くんが生まれた時に実家から勘当されて御両親とは縁を切ってるって聞いてたんだが……君は穂華さんのご両親に会ったことがあるのかっ?!」

ーー最低だな、母さん……。

 アンタは結婚する相手にまで嘘をついてたのか。

「十蔵さん、母さんのことは諦めた方がいいですよ。たぶんあの人は新しい男でも出来て、そいつと出てったんだ」
「新しい男だって?!」

「ええ、そういうひとなんです、俺の母親は」

 自分で言いながら、喉の奥から苦いものが込み上げてくる。

「そんな筈は無い!拓巳くん、頼むから穂華さんのご実家に電話してくれないか?そこに行ってるかも知れない!」

 横須賀を離れた顛末てんまつを知っている俺は、絶対にいないだろうと思いながら、鞄の中からスマホを取り出してお祖母ちゃんの離れの電話番号を押した。

 3回目のコールで受話器が上がる音がして、スマホの通話口から懐かしい声が聞こえてきた。
 その途端に涙が出そうになったけれど、グッと堪えて声を出す。

「お祖母ちゃん久し振り、拓巳だよ」
『まあ、拓巳くん、元気にしてた?今はどこにいるの?お母さんは元気にしてる?』

 矢継ぎ早な質問のどれにも上手く答えられそうにない。

ーーお祖母ちゃん、俺は今日、母さんに捨てられたばかりで、住んでる場所は母さんの結婚相手だった、もう他人になった男の家なんだ。

「……お祖母ちゃん、そっちに母さんが行ってないかな?」
『いいえ……あの子、こっちに来るって言ってたの?……拓巳くん、何かあったの?!』

 電話の向こうでお祖母ちゃんが慌ててるのが分かった。

 そりゃそうだよな。娘は不倫の末に男を追いかけて出てったはずなのに、まさかその息子から居場所を尋ねられるなんて思わないよな。
俺だってビックリだよ。

「お祖母ちゃん……俺、どうしたらいいのか……」

 そのとき急にスマホを取り上げられてハッと見たら、十蔵さんがお祖母ちゃんと話し出していた。

「もしもし、初めまして。わたくし、和倉十蔵と申します。この春に穂華さんと入籍致しまして……」

 十蔵さんは母さんと結婚したことを手短に説明した後で、夫婦喧嘩して母さんが出て行ったのだと伝えた。

「……はい、拓巳くんは私の息子として責任を持ってお世話させていただきますので……はい、もしも穂華さんがそちらに行くような事があったら、私は怒っていないから帰って来るようにとお伝え下さい」

 十蔵さんは通話の終わったスマホを俺に手渡しながら、
「拓巳くん、穂華さんはきっと帰ってくるよ」
 と俺の両肩に手を置いた。

「えっ?」

「大丈夫だ、穂華さんは一時の気の迷いで出て行っただけに決まってる。拓巳くんがここにいる限り、いつか戻って来てくれるさ」

「ここにって……俺は他人なのに……」

 母さんは十蔵さんと結婚して家族になったけれど、俺はこの家では他人だ。
 苗字の変更のために戸籍の移動はしたけれど、 十蔵さんと養子縁組をしていないから、 俺はただの『母親の連れ子』で『同居人』。

 養子縁組しなかったのは、自分が1つの場所に留まれないフラついた人間だって母さん自身が自覚してて、また離婚する時のことを想定してたのかも知れない。

 実際、 離婚はしなくても失踪しちゃったわけだから、母さんの読みは当たっていたんだろう。

 そんなことを考えていたら、十蔵さんが肩に置いた手に力を込めて、「頼む!」と頭を下げてきた。

ーーえっ?!

「頼むよ。お願いだからここに居てくれ!もう君だけが頼りなんだ!今の僕と穂華さんを繋ぐものは拓巳くんしか無いんだ。この家に残って僕と一緒にお母さんの帰りを待とう!」

ーー母さんは大馬鹿ヤロウだけど、この人も相当な馬鹿だ……。

 あんなに尽くした挙句、母さんに呆気なく捨てられたのに、怒るどころか未練たらたらで、他人の俺を世話しようって?

 だけど俺はその大馬鹿ヤロウの息子で、こんな時でさえ自分ではどこにも行けなくて、他人に頼ることしか出来なくて……。

 だから俺は、十蔵さんに向かって頭を下げた。

「母のせいですいません。よろしくお願いします」
しおりを挟む
感想 264

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと - 〇  

設楽理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡ やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡ ――――― まただ、胸が締め付けられるような・・ そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ――――― ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。 絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、 遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、 わたしにだけ意地悪で・・なのに、 気がつけば、一番近くにいたYO。 幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい           ◇ ◇ ◇ ◇ 💛画像はAI生成画像 自作

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

〖完結〗インディアン・サマー -spring-

月波結
青春
大学生ハルの恋人は、一卵性双生児の母親同士から生まれた従兄弟のアキ、高校3年生。 ハルは悩み事があるけれど、大事な時期であり、年下でもあるアキに悩み事を相談できずにいる。 そんなある日、ハルは家を出て、街でカウンセラーのキョウジという男に助けられる。キョウジは神社の息子だが子供の頃の夢を叶えて今はカウンセラーをしている。 問題解決まで、彼の小さくて古いアパートにいてもいいというキョウジ。 信じてもいいのかな、と思いつつ、素直になれないハル。 放任主義を装うハルの母。 ハルの両親は離婚して、ハルは母親に引き取られた。なんだか馴染まない新しいマンションにいた日々。 心の中のもやもやが溜まる一方だったのだが、キョウジと過ごすうちに⋯⋯。 姉妹編に『インディアン・サマー -autumn-』があります。時系列的にはそちらが先ですが、spring単体でも楽しめると思います。よろしくお願いします。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

処理中です...