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第5章 失踪編
18、夕闇の空
しおりを挟む「はい、3430円になります」
運転手さんに5千円札を渡して、御礼を言いながらお釣りを受け取ると、ゆっくりと地上に降り立って目の前の景色を見渡した。
「うわっ、凄い!」
なるほど、『お屋敷』と呼ばれていたのも納得だ。低い石垣で囲まれた敷地の中に、いくつかの建物が点在しているのだ。
左側にどんと建っている、テレビで見るような純和風の家。あれが母屋なのだろう。
奥の方に車庫か納屋っぽい小屋があって、少し離れた所に竹垣で囲まれた平屋の建物も見える。
ーーあの竹垣のある家が、たっくんの住んでいた『離れ』なのかな。
金魚が泳いでいるという睡蓮鉢を見たい衝動に駆られたけれど、ここまで来て不審者扱いで通報されたら元も子もないので、グッと我慢して足を左側に向けた。
家の前に立って黒光りしている瓦屋根をもう一度見上げると、改めてその威圧感にたじろぎそうになる。
ーー叔母さんが意地悪なんだっけ?
私もジロッと睨まれるのかな……。
だけどそんな事をウダウダ考えている余裕が無かったことを思い出し、玄関に設置されたドアホンに指を伸ばす。
「何してるの?」
そのとき急に後ろから声を掛けられて、思わず「キャッ!」と声が出た。
恐るおそる振り返ったら、そこに立っていたのは坊主頭にニキビ面の、がっしりした体格の男の子。
「すいません。あの、私……」
「君さ……もしかして、拓巳の知り合い?」
「えっ、たっく……拓巳くんのことを知ってるんですか?」
「やっぱり……」
彼はキョロキョロと周囲を見渡すと、「こっち」とだけ告げて、私の右手首を掴んだ。
*
「……こんな所でごめん。母さんに見つかるとうるさいからさ」
庭先に敷かれた砂利の上でしゃがみ込んで膝を突き合わせながら、私たちは身体を丸めて話している。
私が連れ込まれたのは『離れ』の竹垣の内側で、玄関の斜め前。
つまり期せずして睡蓮鉢を拝める距離まで来れた訳だけど、今はまだそれどころではない。
「俺、拓巳の従兄弟の幸夫って言います」
私を引っ張り込んだ彼は、声を潜めてそう名乗った途端に表情を崩して、人懐こそうな笑顔を見せた。
ーーあっ!この人が……
たっくんから聞いていた幸夫くんは小4の小さな男の子だったからピンと来なかったけれど…… 私が立っていたのは母屋の前。あそこで息子さんに遭遇したっておかしくないんだ。
「あのっ、初めまして。私は拓巳くんの……」
「知ってる、小夏さん。拓巳の幼馴染みで初恋の子で……今は彼女なんだろ?」
「彼女……?」
すると幸夫くんは、不思議そうな顔で私をジッと見て、「えっ、違うの? 高校で再会して正式に付き合ってるって、拓巳からそう聞いたんだけど」とサラッと告げた。
ーーえっ?
「たっくんに会ったんですか?!」
「シッ!大きな声を出さないで。マジで見つかったらヤバイから」
口元で人差し指を立てる。
「あの……今、拓巳に聞いたって……」
「うん、拓巳が離れに来てた時にちょっとだけ話をした。その時にお互いの近況報告をしてたら、『俺、彼女が出来たよ』って、プリクラを見せてくれたんだ」
「たっくんが……私を『彼女』って?」
「そう。離れの部屋に飾ってた写真の子じゃん!って言ったら、『ハハッ、やっぱり分かっちゃった?アイツ、昔からあんま変わってなくってさ』って。だから高校で再会した時もすぐに気付いたって……えっ、小夏さん?!」
話を聞きながら、知らずに涙が頬を伝っていた。
ーーたっくんは、ここに来ていたんだ。
私のことを『彼女』だって、『初恋の子』だって……。
たっくんはまだ私のことをちゃんと好きでいてくれている。
離れていても、『彼女』だって思ってくれているんだ……。
「良かっ……ここまで来て……良かった……」
嬉しさと安堵で胸が一杯になって、両手で顔を覆って泣きじゃくった。
幸夫くんが困り果てているであろうことは分かっていたけれど、ここに来るまでの緊張の糸がプツリと切れたようで、自分でも止めようが無かった。
だけど次の幸夫くんの言葉で、その涙と感動が、一気に引っ込むことになる。
「でもさ、今日はどうしてここに来たの? 拓巳は名古屋に帰ったんじゃないの?」
ーーえっ?
バッと顔を上げて幸夫くんを見る。
冗談を言っているようには見えない。
「私……たっくんに会いに来たんです」
「えっ、あいつ名古屋に帰ったんじゃないの?」
「えっ?!」
2人で顔を見合わせて、お互いの話が噛み合っていないことを確認する。
「たっくんは、もうこの家にはいないんですか?」
「……どう言うこと?アイツが離れにいたのは正月を挟んだほんの数日だけで、それから姿を見せてないんだけど」
ーーたっくんは、ここにはもういない?!
「嘘っ……」
せっかくここまで来たのに、ここでたっくんの足跡は途絶えてしまうの?
夕闇の空はもう濃紺に染まり始めていて、私の心も連れて一緒に海の向こうに沈み込んでいくようだった。
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