思い出さなければ良かったのに

田沢みん

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19、彩乃の26歳の誕生日の思い出

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 彩乃の26歳の誕生日の朝。
 
 旅館でゆっくりと朝食をとり、昼前にチェックアウトを済ませると、俺たちは俺が運転する車で東京へと戻って来た。

 出発前の最後の夜は、実家でもホテルでもなく、2人のアパートで過ごそうと決めていた。


 旅行中にスマホで撮った写真をパソコンに落として2人で見て、楽しかった1泊2日を語り合う。
 せっかくの旅行も、殆ど部屋に引き籠もってセックスしかしていなかったような気がするけれど、「それはそれで何年後かにはいい思い出話になるよね」……と彩乃が笑った。

 帰宅途中にケーキ屋さんで引き取って来たのは、4号サイズのイチゴのショートケーキ。
 ちゃんと注文しておいたので、チョコプレートには『彩乃ちゃん、おたんじょうびおめでとう』と書かれている。

「彩乃ちゃん・・・というところに悪意を感じるんですけど~」

 お揃いのマグカップに紅茶を淹れて運んできたら、口を尖らせた彩乃にジト目で見上げられた。
 ハハッと笑って隣に座る。

「いいだろ、若々しくて。清純派っぽいじゃん」
「うわっ、四捨五入したら30歳への嫌がらせ~!」
「まだまだ若いって。清純派でオッケー」

「目が笑ってるんですけど~」
「ハハッ、大丈夫。マジで彩乃は可愛いから」
「同情は結構です」

「同情じゃないよ……彩乃は誰よりも可愛いよ」

 真面目な口調でそう言ったら、彩乃もハッとして真顔になった。

「本当だよ。彩乃は世界一可愛い。綺麗。最高の女。いつだってそう思ってる」
「雄大……」

「俺なんかの彼女でいてくれて、ありがとうな。彩乃がいてくれるから、俺は頑張ろうって思えたんだ」

 今日は彩乃を思いっきり甘やかして、最高の誕生日にしてやろうって決めていた。
 だって最後の夜なんだ。照れたりカッコつけたりせずに、ありのままの気持ちをそのまま伝えておきたい。

「俺の最後の悪あがきに付き合わせてごめんな。許してくれてありがとう。俺の彼女でいてくれて、ありがとう」

 26の数字のキャンドルをケーキに突き刺し火を灯す。

「ほら、ケーキタイムだ。ロウソクを吹き消して」
「うっ……ううっ……雄大……」

「ほら、火が消えないとケーキが食えないぞ」
「ゆ……だいも…一緒に……」
「ハハッ、分かった」

 せーの……で一緒にフッと息を吹き掛けると、ロウソクの炎は大きく揺らめいて、呆気ないほど一瞬で消えてしまった。

「一緒に……切って」
「……分かった」

 台所から包丁を持って来て、アイツの手に自分の手を重ねて……。

ーー初めての共同作業みたいだな……。

 そう言って茶化してやろうかと思ったけれど、彩乃はそのつもりなのかも知れないな……と考えたら、笑い飛ばすことなんて出来なかった。

 だから俺は黙って彩乃の後ろから手を伸ばし、アイツの手ごと一緒に包丁の柄を握り締める。

ーーカシャッ! この一瞬を心のカメラに収めておこう。俺たちの初めての共同作業。

 ゆっくりと、心を込めて、丸いケーキに刃先を沈めた。


 目の前で、唐突に彩乃の肩が揺れた。

『泣いてるの?』なんて今更聞くまでもないから、包丁から手を離し、後ろからアイツを抱きしめる。

「ふ……うっ……」
「………。」

「雄大……寂しいよ」
「うん、俺も……」

「私も連れてって」
「それは出来ないよ」
「どうして?」
「大切だから」

「馬鹿っ! 大切だったら置いて行くな!」

   バッと振り返って抱きついて来た。
 ギュッとキツく抱き締め返して、身体を離して視線を合わせて。

「俺は、自分の仕事に誇りを持って、全力で取り組んでいる彩乃を尊敬している」
「雄大……」

「そんな彩乃を誇りに思っているし、同時に悔しいとも思っている」

 彼女が有名人じゃなければ。もっと普通の女の子だったら……俺はこんな気持ちを持たなくても済んだのに。

 人気が無くなってしまえばいいのに。
 芸能界なんか辞めてしまえばいいのに。
 俺だけの彩乃でいればいいのに……。

 何度も頭に浮かんでは、首をブンブン振って掻き消した醜い感情。

 自分がなし得なかった事を出来ている人種への嫉妬や焦り、劣等感。
 仄暗い気持ちを抱えながら鬱々としている俺には、画面の向こう側の彩乃は眩し過ぎて……。

 それでもやっぱり俺は、彩乃に輝いていて欲しいんだ。
 好きな仕事をしている彼女はキラキラしていて、俺はそんな姿をずっと近くで見ていたくて、一瞬たりとも見逃したくなくて……結局は画面に釘付けになってしまうんだ。


「要は俺はさ、森口彩乃の一番のファンなんだ。雑誌で微笑んでいる彩乃もテレビで踊っている彩乃も大好きだし、家で半眼を開けて寝てる彩乃も大好きなんだ」

「ふっ……失礼。半眼でなんて寝てないし」

 彩乃が泣き笑いの顔になる。

「いいんだよ、俺はもう見慣れてるから、隣で半眼の女が寝てたって驚かないし」
「そっか……ふふっ、それなら安心して半眼で寝れる」
「うん。そんな度胸のある男は俺くらいだからな……待ってろよ」

 彩乃が唇を震わせながら頷いた。

「彩乃は半眼でも何でも可愛いからな。……そんないい女を独占しようと思ったらさ、それなりの覚悟が必要なんだよ」

 3年間の旅は、そのための自信と覚悟を得るために自分に課した試練だ。

 言葉の通じない見知らぬ土地で、バイトをしながら写真を撮りまくる。
 それをやり遂げる事が出来たなら、たとえどんな結果であろうとも、自信と誇りを持てるような気がするんだ。

 真っさらな気持ちで彩乃との未来に踏み出せると思うんだ……。



 ケーキはあまり喉を通らなくて、半分近く余ってしまった。

「こんなの1人じゃ食べきれないよ……」

 彩乃がポツリと呟いたから、

「胃下垂なんだから大丈夫だよ。デブっても可愛いって」

 笑いながら言ってやったら、馬鹿にしてると背中をバシッと叩かれた。

 旅行の疲れがあるはずなのに、その夜は全く眠くならなくて、結局また抱き合って、冗談を言い合って、また抱き合って。

 そうしているうちに夜が明けて、薄っすらと陽が差し始めた。
 カーテンを開けると、窓の外には濃紺と紫と淡いオレンジの絶妙なグラデーション。

 カシャッ! この景色もちゃんと覚えておこう。

 振り向くと、ベッドからこちらをジッと見つめている彩乃と目が合った。
 頬を流れる雫が朝日を反射して輝いていた。

ーー綺麗だな……本当に。

「彩乃……俺、行くよ」

 彼女の顔がグニャッと崩れて、バッと布団に覆われた。

 俺はゆっくり近付いて、そっと布団をめくって顔を覗き込んで……。

「彩乃、愛してる……行って来ます」

 おでこに、頬に、そして唇にキスをして、リュックとカメラケースを肩に掛けた。

 スーツケースを持って玄関で振り返ると、ベッドの上の彩乃が、涙でぐちゃぐちゃの顔で小さく手を振っていた。

 俺も小さく手を振って玄関のドアを開けて……ドアを閉める前にもう一度振り向いたら、アイツは両手で顔を覆って号泣していた。

 パタンとドアを閉めて、鍵をかけて……。
 胸ポケットに入っている彩乃の写真3枚を、ポケットの上からポンと叩いて。
 俺はもう一度アパートの部屋を見上げて目に焼き付けると、朝焼けの眩しい朝の街へと踏み出して行った。


 10月26日、彩乃の26歳の誕生日の翌朝だった。
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