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20、ベトナムの思い出

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 3年間の放浪の旅。
 最初は景色を撮っていた。
 
 驚くほど大きくて、濃いオレンジ色をした夕陽。
 雄大な大河の流れ。
 独特な音楽と祈りの声が聞こえてくる歴史的寺院。
 目も開けられないような砂塵の舞う砂漠。

 9畳スペースに4人暮らしのシェアハウスや、バストイレ共有のユースホテルを泊まり歩いた。
 バイトが見つからない時は、何日も食事にありつけなかったり、凍えるように冷え切った路上で夜を明かしたり。


 転機はベトナムで訪れた。
 その頃俺は、ハノイ市内にある日本食レストランでバイトしながら、休日にあちこちで写真を撮るという生活をしていた。

 その日はハノイ市内から南西に行った、ホアビン省の片田舎まで足を伸ばしてみた。

 適当にブラつきながら、舗装されていないデコボコ道や庭で放し飼いにされているニワトリを撮っていたら、そのうち身体が怠くなり、どうにも動けなくなってしまった。
 たぶん熱中症だったのだと思う。

 木の根本に座り、幹にもたれて休んでいたら、見知らぬお爺さんがリヤカーに乗せて自分の家まで連れ帰ってくれた。

 ベトナム人は英語を話せる人が多いけれど、この田舎ではそうでも無いらしい。

「シンチャオ (こんにちは)、カムオン、アィン (ありがとうございます)」

 頭をペコリと下げながら、ベトナムに来てから覚えた簡単な挨拶をすると、どうにか伝わったらしく、『うんうん』というように頷かれた。

 アルミ製のマグカップに入ったココナッツジュースを渡されて一気飲みする。
 スポーツ飲料を薄めたような味で、元々そんなに好きな味だとは思っていなかったけれど、この時は喉に染み渡って凄く美味しく感じた。

 日本のパスポートと運転免許証を見せて日本人だと説明すると、一緒に住んでいるらしい息子夫婦や孫がワラワラと寄ってきて取り囲まれた。

 日本人に興味津々な彼らにカメラを見せて、自分は26歳で、あちこちの国で写真を撮っているバックパッカーだと身振り手振りで伝えたら、カメラを指差しながら、自分たちを撮って欲しいと言われた。

 旅のお供の愛機はNikon D850。今回の旅の前に思い切って購入したものだ。

ーーそう言えば、しばらく人間を撮っていなかったな……。

 意識的に景色ばかりを撮っていたアシスタント時代。
 食べ物ばかりを撮っていた、会社員の2年半。

 人物を綺麗に撮る自信が無くて、誰かと比較されるのが怖くて避けていたけれど……。


 カシャッ!

 全員を家の前に立たせて家族写真を撮った。
 画像モニターを見せたら全員顔を寄せ合って覗き込んで来て、「グッドだ!上手だな!(と言っていたような気がする)」と大喜びしてくれた。

 ここでは芸術性もテクニックも求められていない。
 ただあるがままを写し、喜んでもらえた。
 それでいいと思えた。

 
 俺を救ってくれたおじいさんはタムさんと言う名前で、市場で果物を売って生計を立てていた。
 孫は2人いて、ファンとダン。まだ10歳と8歳の少年だけど、週末には市場でココナッツジュースを売っているらしい。

 家に一泊させてもらった俺は、翌朝一緒に市場について行き、ドリンクスタンドでジュースを売っている2人をカメラで撮りまくった。

 浅黒い肌に薄っすらと汗をかき、白い歯を見せてニカッと笑う2人は活き活きと輝いていた。

 カシャッ! カシャカシャッ!

 活気ある市場の雑踏。値段を交渉する大きな声。犬を追いかけて走り回る子供たち。

 あんなに怖がっていたのが嘘みたいに、夢中でシャッターを押し続けていた。

ーーうん、楽しいな……。

 難しく考える必要は無いんだ。
 背景がどうのとか、構図がどうのとか。

 ただ、目の前にある美しいものをあるがままにレンズで捕らえる。それでいい。

 素材さえ良ければ、ソースやクリームで余計な味付けをしなくても、十分美味しく食べられる。
 要はそういう事だ。


 その夜俺は、街で買ってきた絵葉書で、初めて彩乃に手紙を書いた。

『ベトナム人はエネルギッシュです。干からびた時に飲むココナッツジュースは案外美味しかった』

 もっと色々書こうかとも思ったけれど、スペースが少なかったから諦めた。
 それに、長く書けば書くほど、弱音を吐きたくなってしまうから。
 ここで早くも里心がついたら目も当てられない。

ーーとにかく、俺の撮りたいものが見えて来た。

 俺は少し考えてから、さっきの文章の下に短く書き足した。

『子供の写真を撮ろうと思う』



 カシャッ!

 Nikon D850のシャッター音。

 目も眩むような白い閃光。

 ああ、まただ。


 俺は白い光の中に吸い込まれていく。
 今度はいつの時代に飛ばされるんだ?

ーーああ、だけど……。

 気付いてしまった。
 思い出を巡る旅は、徐々に、だけど確実に、終着点に近付いている。
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