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1巻

1-2

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 彼のもとに戻ろうと一歩門に近づいた瞬間、もう一度ハッキリと耳に飛び込んでくる。

「ごめん、婚約はなかったことにして」

 それはまるで、いつもの『じゃあまたね』と同じ口調で。

「冗談……?」
「本気だよ。婚約を解消したい……いや、解消する」

 提案でもお願いでもなく『断言』だ。
 震える足をもう一歩前に出したところで、雛子はそこから先に進めなくなった。
 こちらを見つめる彼の瞳が、真剣だったから。
 ――うそ、どうして?
 だって、今日は朝からデートして、思い出のホテルで過ごして……
 そこでヒュッと息をのむ。
 ――最後の思い出づくり!?
 瞳を大きく見開いて茫然ぼうぜんとしていると、朝哉が口角を上げて語り出した。

「俺、クインパスを継ぐことにした」

 ――自分は会社を継がない、お兄さんに任せるって言っていたのに?

「大学生活も折り返し地点になってさ、あらためて自分の将来を考えてみたんだ」

 どうせなら人に使われるよりもトップになりたい。
 会社を継げば嫌でも注目されるし、行動が制限される。なかなか羽目がはずせなくなるから、今のうちに遊んでおきたい。いろんなことを経験しておきたいし、もっと広い世界を見てみたい。
 彼はそうスラスラと語った。

「だから、二‌、三年海外をブラついて見識を広めるのもいいかな……って思ってさ」
「海外……に、行っちゃうの?」

 朝哉は笑顔で「うん、まだ行き先は決めてないんだけど……」と、うなずく。

「日本での思い出づくりはできたから、今度は留学という名の自由時間で思い出づくり? かな」
「私は置いてかれちゃうの?」
「置いていくっていうか……連れていくって選択肢は、最初からないから」

 ハハッと笑いながら言われて、心臓が凍りつく。
 この人は何を言っているのだろう。
 目の前にいる彼は、全然知らない人のようだ。
 ――朝哉は初恋の人で恋人で、私の婚約者で……

「ごめんな、婚約ごっこは今日で終わりだ」
「……ごっこ? 朝哉はずっと婚約ごっこをしてたつもりだったの?」

 彼が困ったように肩をすくめる。

「ヒナは可愛いし一緒にいて楽しかったから、結婚してもいいかなって思ってたよ。結納を交わしてたらそうなってたかもしれないけど……実際はそうならなかった。だから、しょうがない」

 ――結婚してもいいかなって……

「ヒナと付き合ったことは後悔してないよ。素敵な思い出ができた、ありがとう」

 返す言葉が浮かばない。
 雛子が恋愛だと思っていた日々は、朝哉にとっては思い出づくりの一環だった。
 ――今日のことも……
 ホテルの部屋に行ったのは、彼にとってはただの興味本位、留学前のお遊びで。
 だから『血迷った』……なのか。
 我にかえって寸止めできるなど、随分冷静な判断だ。
 ――私は必死だったんだけどな。本当にそうなってもいいって……
 今聞いた言葉を脳内で反芻はんすうしているうちに、身体が震え出す。
 思わず両手で耳をふさいだ。もうなんの言葉も入ってこない。

「ヒナ……本当にごめんな」

 最後に彼の唇がそう動いたような気がしたけれど……もう見えなかった。
 茫然ぼうぜんと立ち尽くす雛子に「じゃあね」と右手を上げて、朝哉はさっきまで乗っていた愛車で去っていく。
 それが朝哉と雛子の別れだ。
 しばらくその場から動くことができなくて、ようやく雛子が寮に戻ったのは帰寮予定時間を二十分も過ぎてから。
 罰として一ヶ月間の外出禁止になったけれど、特に問題なかった。
 だって週末に出掛ける予定も楽しみも、もうなくなってしまったのだ。
 こうして初恋は、唯一残された未来への希望とともに、あっけなく砕け散ったのだった。
 その後、傷心の雛子に追い討ちをかけるように、衝撃的なニュースがもたらされる。
 クインパスグループによる白石メディカの買収、そして大介の社長解任だ。
 以前聞いていた計画では、平等な業務提携だったはず。その関係を強固にするための朝哉と雛子の婚約話ではなかったのか。
 ――ああ、そういうこと……
 雛子は裏切られたのだと悟る。
 最初からそのつもりだったのか、それとも宗介の死によって流れが変わったのかはわからない。
 いずれにせよ、朝哉はこうなることを知っていたに違いない。
 元々が業務提携のために仕組まれた出会いだ。
 雛子が社長の娘ではなくなり、白石メディカの買収が決まったことで、朝哉にとって自分は必要のない人間になったのだろう。
 その直後、ちょっとした事件を起こして、大介一家が失踪した。
 雛子は十六歳にして無一文で放り出されたのだ。
 しかし幸いなことに、数日後に『あしなが雛の会』なる団体から奨学金給付の声がかかる。
 なんでも、『あしなが雛の会』は日本の未来をになう優秀な若者を支援することを目的としていて、日本国内の高校生の中から独自の調査方法で給付対象者を選び援助している民間の非営利団体だという。
 だが、雛子がインターネットで調べても、その団体についての情報はわからなかった。校長から聞いた内容がすべてだ。
 得体が知れず心配ではあるものの、授業料と寮費の全額負担に加え、学用品購入費として月々十万円が支給されるのはありがたい。
 学校を辞めて寮を出なくてはいけないと思っていた雛子には、断る理由がなかった。
 校長から差し出された書類に、その場ですぐにサインする。
 ――よかった……高校を辞めなくていいんだわ。
 とりあえずこれで寮に残れる。
 高校を卒業後は仕事を見つけて働こう。
 今まで働いたことはないけれど、何か一つくらいはできる仕事があるはずだ。
 そう思うと少しだけ気持ちが楽になる。
 それに、すべてを失ってどん底にいたけれど、そんな自分にもちゃんと光が射してくれた。
 努力はむくわれる。何も言わなくてもちゃんと手を差し伸べてくれている人がいる、それが嬉しい。
 雛子は校長の許可を得て、団体宛にお礼状を書くことにした。


 あしなが雛の会 御中
 拝啓残暑の候、貴会ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
 このたびはあしなが雛の会の奨学生に選んでいただき、誠にありがとうございました。
 私事ですが、学校を辞め、退寮もやむを得ないという窮状きゅうじょうおちいっていたところでしたので、貴会の奨学金のお話をいただいた時は、天にも昇る気持ちでした。
 大袈裟おおげさではなく、本当にそう思ったのです。
 奨学金のお陰で続けられる学校生活です。これから残り一年半の高校生活は、今まで以上により一層勉学に励み、高校卒業後は社会人として貴会のように世の中に貢献できるよう精進する所存です。
 今後も厳しくも温かい目で見守っていただければ幸いです。どうかよろしくお願い申し上げます。
 末筆ながら貴会の一層のご発展をお祈り申し上げます。
 敬具 白石雛子


 すると、すぐに返事が来た。書いてくれたのは、『あしなが雛の会』の会長だそうだ。


 白石雛子様
 丁寧な手紙をありがとう。
 奨学金があなたの役に立っているようで何よりです。
 あしなが雛の会の給付金は、あなたのように真面目で勉強熱心な学生に使われるべきだと思っています。
 おおいに学生生活を満喫まんきつしてください。
 ところで、あなたからの手紙を読んで気づいたことがあります。
 あなたは白石メディカのご息女だったのですね。
 実は、私はあなたの亡くなったお父上、宗介氏と旧知の間柄でした。
 それで返事を書かせていただくことにしたのです。
 私が長らく海外に行っていたこともあり、近年はなかなか会えずにいた間に宗介氏が亡くなり、彼のご家族の状況が大きく変わっていたと知り驚いています。
 そこで雛子さん、会の奨学金とは別として、私個人としてもあなたの支援をさせてもらえないだろうか。
 宗介氏には大きな恩義があったのに、それを返す機会を永遠に失ってしまった。
 せめてあなたを通じて恩返しをさせてほしい。それは迷惑だろうか。
 私は孤独な独り身で、資産を譲る相手もいない。
 あなたのような優秀な人を支援させてもらえるのは有益だし、若者の役に立っていると思えば仕事にもより一層励める気がします。
 その代わりといってはなんだが、たまにこうして手紙をください。孤独な男に生きる希望を与えてほしいのです。いうなれば『あしながおじさん』のジャービスや『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ教授の役回りをさせてほしいということです。
 それと、あなたはまだ高校生なのだから、無理に堅苦しい文章を書く必要はないと思う。
 次からは若者らしい素直な言葉を使い、メールでも構わないので、気軽に近況を知らせてもらえるとうれしい。楽しみにしています。
 どうか体に気をつけて。
 あしなが雛の会 会長


 ――会長さんから返事をいただけた!
 喜んだ雛子は、今度は同封のカードに記されていたアドレスにメールを送った。


 あしながおじさま
 こんにちは。
 あしながおじさま……と勝手に呼んでしまいましたが、構わないでしょうか?
 名前を教えていただけなかったので、どういう呼び方がいいかと考えてみたのです。
「会長様」も「会長さん」もすごく他人行儀な気がしてしっくりこなかったので、おじさまからの手紙をヒントにしました。
 おじさま、お言葉に甘え、おじさまからの支援をありがたくお受けいたします。
 おじさまは孤独だとおっしゃいましたが、私も孤独です。
 ですが、お互いの存在が支えになれるのであれば、今この瞬間から私たちは孤独ではありません、二人です。
 もうこれからは寂しくなんかないですね。
 私は『あしながおじさん』のジュディほどのユーモアや行動力もないし、『マイ・フェア・レディ』のイライザみたいに期待通りの淑女になれるかも怪しいです。
 それでも、ご期待に添えるよう努力を続けるとお約束します。
 おじさま、私を見つけてくださり、ありがとうございました。そして父のことをしのんでくださり、ありがとうございます。
 また日々の報告をさせてくださいね。
 お忙しくて迷惑な時は遠慮なくそうおっしゃってください。
 そうじゃないと私は調子に乗って、しょっちゅうメール攻めにしてしまいそうです。
 それではまた。
 雛子
 PS.実を言うと、最初からおじさまの会には運命を感じていました。私は「あしながおじさん」のお話が大好きですし、会の名前には私の名前が一文字入っているんですから。


 こうして彼の支援を受け、結局、雛子は大学まで卒業することができた。
 その間、一度もおじさまと会うことはなく――



   2 おじさまの代理人


 照明の落とされた飛行機の座席。
 雛子がハッと目をさますと、目の前のテーブルで開かれたままのパソコン画面がぼんやりと光っていた。
 おじさまに送った文章をもう一度読み返しているうちに、うとうとしていたらしい。肩や腰に痛みがないのは、シートがよいからだろう。
 生まれて初めてのファーストクラスは、想像以上に豪華だ。
 ウッディな色調でそろえた落ち着いた空間は、ビジネスクラスの倍ほどの広さ。シャンパンやキャビアは欲しいだけ提供され、寝る時にはCAキャビンアテンダントにベッドメイキングをしてもらい、足を伸ばして寝られる。
 ――今回、おじさまが私のためにファーストクラスを取ってくれたと知った時には驚いたな。
 きっと帰国祝いに奮発してくれたのだろう。こんな経験はもう二度とできないかもしれない。雛子はおじさまがせっかくプレゼントしてくれた至れり尽くせりの環境を堪能たんのうし、十四時間の飛行機の旅を快適に過ごさせてもらおうと思っていた。なのに……
 今、雛子の左隣、細い通路を挟んだすぐそこのシートには、なぜか朝哉が座っている。
 空港のラウンジで会った時には、たまたまだろうと無視をした。
 けれど、搭乗口前で隣に立って表示を見上げた横顔に、もしや……と胸騒ぎがし、彼が乗務員に頭を下げられながら最初にボーディング・ブリッジを渡った瞬間に確定する。
 ――この人、同じ日本行きの飛行機に乗るんだわ!
 それだけでも衝撃なのに、まさか座席まで隣り合わせだなんて、なんという運命の悪戯いたずら
 こうして、快適なはずの空の旅が一気に憂鬱ゆううつな時間に様変わりしていた。
 通路の反対側にそっと顔を向けてみると、なんと朝哉もこちらを見ている。雛子は慌てて顔を戻す。

「なあ、ヒナ……」
「名前で呼ばないでもらえますか」
「あのさ――」
「今から寝るので話しかけないでください」

 一体どういうつもりなんだろう。
 自分が捨てた女に平気で話しかけてくる無神経さに腹が立つ。
 そして、久しぶりの再会に一方的に動揺している自分がもっと腹立たしい。あまりにもみじめだ。
 ――こんな人に振り回されたくない。
 雛子は覚悟を決めると、なおもチラチラこちらを見ている彼と、何年かぶりに真っすぐ目を合わせる。

「朝哉……ううん、黒瀬さん、あの時は確かにつらかったし、あなたのことを憎みもしました。ですが私はもう大丈夫なので、気にしていただかなくて結構です」
「ヒナ、俺は……」

 雛子は朝哉の言葉をさえぎり、キッパリと告げる。

「私には今、大切な人がいるんです」
「えっ……」
「私には素敵な『あしながおじさま』がいるの」

 そう、雛子は彼がいたから生きてこられた。彼のおかげで前を向いて進むことができた。
 その恩にむくいたいし、これからはその人のために生きていきたい。
 だからこそ、おじさまのすすめに従って留学までしたのだ。

「ですからもう、私には構わないでください」

 まだ何か言いたそうにしている朝哉の顔からツンと顔を背けると、雛子は毛布を肩まで上げて通路に背を向けた。


「――えっ、嘘っ!」

 雛子におじさまからのメールが届いたのは、バゲージクレームでスーツケースを待っている時だった。
 この後おじさまに会い、社宅に案内してもらったうえで仕事についての説明を受ける予定だったのだが、彼が空港に来られなくなったというのだ。
 ようやくおじさまに会えるとワクワクしていた気持ちが一瞬でシュンとしぼみ、代わりに不安が押し寄せる。
 ――知人を代わりに行かせると書いてあるけど……代わりって誰?
 詳しいことは、メールには何も書かれていない。
 顔も名前も知らないのに会えるだろうか。もしかしたら相手はこちらの顔を知っている? おじさまが先方に写真を送ってくれているのかも。
 一人でグルグル考えているところに、自分のスーツケースがターンテーブルを流れてくるのが見えた。雛子が一歩前に出て身構えた瞬間、目の前に大きな背中がふさがる。
 ――えっ?
 朝哉だ。
 彼は雛子のワインカラーのスーツケースを軽々と持ち上げるとシルバーのカートにひょいと載せ、次いで自分のスーツケースも当然のように同じカートに載せた。

「スーツケースはこれだけ?」
「とも……黒瀬さん、ちょっと、何してるの?」
「朝哉でいい。……一緒に行くぞ」
「はぁ?」

 朝哉は頭をきながら困ったようにうつむいて、チラッと上目遣いで見つめてくる。

「あのさ……ヒナって、『あしながおじさま』と約束してたんだろ?」
「ちょっ……どうしてそれを!?」
「その人って、あしなが雛の会の会長だろ。彼からメールが来た。仕事のトラブルで急遽きゅうきょアメリカに行くことになったから、しばらくの間、代わりを頼むって。今日から俺がヒナの面倒を見る」
「ええっ!? そんなの困ります! 絶対に嫌!」

 雛子が即答すると、朝哉はひどく傷ついたような顔をした。
 一瞬泣きそうにも見えたけれど、それは見間違いだったらしい。すぐに片方の口角をニッと吊り上げて、「それじゃ、どこに行くんだよ。全部彼に任せてあったんじゃないの? そう聞いているよ」とカートを押して歩き出す。

「えっ、ちょっと待って!」
「ほら、貸して」

 彼は雛子の手からキャリーケースを奪ってスーツケースの上にポンと載せ、ついでに自分の手を雛子の頭にポンと乗せた。

「車の中で説明するから、とりあえずついてきてよ。なっ?」

 ――あっ……
 フワッと柔らかく微笑ほほえまれ、雛子は胸が締め付けられた。
 覚えている。朝哉はアーモンド型の目を細めると、ちょっとだけ幼く見えるのだ。
 顔があまりにも整いすぎているせいで冷たく見られがちな彼は、目が三日月みかづきみたいになった途端、グンと甘く優しい雰囲気に変わる。
 雛子はその笑顔が大好きだった。
 ――ああ、やっぱり好きだな……この笑顔。
 そんなふうにぼんやりしていると、「ヒナ、大丈夫か?」と顔をのぞき込まれていた。そこでハッとする。
 ――やだ、私ったら今何を……

「やだ、ダメッ!」

 両手で顔をおおってブンブンと首を横に振っているうちに、朝哉は雛子の頭から手をどけた。

「ごめん! 俺に触られたら嫌だよな。つい昔みたいに馴れ馴れしくして……ほんとゴメン。悪かった」

 今度こそ本当に朝哉が切なげな顔になる。
 彼は行き場をなくした右手で前髪をげ、眉尻を下げて黙り込んだ。

「違う、私は……」

 ――朝哉は勘違いしている。
 頭に手を置かれたのが嫌だったんじゃない。懐かしい手のぬくもりにときめいている自分が嫌だっただけだ。
 ――だって、もう期待なんてしたくない。あんな苦しい想いは二度としたくないから……

「……ううん、なんでもない」

 妙に速くなる鼓動こどう戸惑とまどいを胸の奥にグッと押し込めて、雛子はカートを押す朝哉に並んで歩き出した。
 空港から外に出ると、停車中の黒塗りのセダンの前に見知った女性が立っている。
 ――ん? ヨーコさん?
 雛子は彼女を知っていた。その女性――ヨーコは、大学の寮でルームメイトだったグレイスの従姉いとこだ。アメリカ人と日本人のハーフで、雛子の英語の個人レッスンをしてくれていた。
 確か、クインパスのニューヨーク営業所で働いており、この春から日本のクインパス本社に転勤していたはずだ。
 そこまで考えて、ああそうか、と合点がてんがいく。
 ヨーコは日本の新しいボスの秘書として働くと言っていた。
 ――ということは……
 なんという偶然。朝哉がヨーコの新しいボスなんだ……そう雛子が気づくのと同時に、ヨーコがカツカツとヒールの音をさせて近づいてくる。

「センム、白石サマ、お帰りなさいマセ」
「……ヨーコ、こちらは白石雛子さん。先ほど伝えた通り、私がしばらくお世話をさせていただくことになった。懇意こんいにしている人からお預かりした大切な方だから、よろしくお願いします」
「……はい、承っておりマスわ」
「ヒナ、彼女は俺の秘書を務めてくれているヨーコ・オダ・ホワイトさんだ。君の世話はすべて任せてあるから、困ったことがあれば彼女に頼めばいい」

 雛子はそれを聞いて少し安心した。そして、遠慮がちに口を開く。

「よかった……黒瀬さん、実はこちらのヨーコさんと私は知り合いなんです。彼女が黒瀬さんの秘書になっていたとは知りませんでしたけれど……」

 そう伝えると、ヨーコが朝哉に恐ろしく冷たい視線を向けたような気がした。けれど、それは一瞬。彼女はすぐに上品な笑みを浮かべ、「そうそうセンム、言い忘れておりましたワ~」と言う。

「実はそうなのデス。ワタシとヒナコさんはアメリカで知り合ったオトモダチなのデス」
「あっ……ああ、そうだったのか。だったら堅苦しい挨拶あいさつは必要ないな。俺を気にせず、これまで通りに接してくれ」
「……アリガトウゴザイマス。ヒナコ、スーツケースをこちらへドウゾ」
「あっ……はい。ありがとうございます」

 ヨーコの合図で車から出てきた運転手らしい若い男性が、トランクに二人分のスーツケースを丁寧に寝かせた。
 助手席にヨーコ、後部座席に朝哉と雛子が座る。
 車内では朝哉もヨーコも異様に無口になった。最初に口を開いたのは沈黙に堪りかねた雛子だ。

「あの……私がお世話になってるおじさまは、黒瀬さんとどういう関係なの?」

 そう聞いてはみたものの、雛子の中には一つの考えが浮かんでいる。
 ――あしながおじさまは、もしかしたら朝哉のお父様の黒瀬時宗ときむねさん、もしくは祖父の定治さだはるさんなのではないかしら……
 そうであれば、朝哉がおじさまの代理で現れたことも納得できる。
 いくら亡き父を知っていて、成績優秀者に資金援助をする活動をしているといっても、これまであしながおじさまが雛子に与えてくれた援助は、すぎるほどだ。高校を卒業させてもらったばかりか、留学までさせてくれた。
 黒瀬家が雛子にしたことへの罪悪感からの援助の申し入れだったと考えれば、すべての辻褄つじつまが合う。
 ――要は慰謝料代わり、黒瀬家に悪評が立たないために予防線を張った……とか?
 そんな雛子の心中を察したように、朝哉が『あしながおじさま』との関係を語り始めた。


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