煉獄の歌 

文月 沙織

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「ほう……」
 男の酷薄そうな双眼が光った。嶋が身震いしたのが知れる。
「す、すんまんせん! 坊ちゃん、気が立っているんです。俺がお詫びします。さ、帰りましょう」
「うう……」
 敬は踏んばった。
「ふふふふ」
 男はますます面白がるように、腰を折って、敬に顔を近づける。珍獣でも見るような目つきだ。敬にも相手の顔がよく見える。
 整髪料が光る黒々とした髪はていねいに七三にわけられており、ととのった鼻梁は役者顔負けだ。黎黒れいこくの瞳と目が合った瞬間、煙草の煙を吹きつけられて敬はむせた。
 男は苦しげな敬の顔を見つめて、また笑う。
 その表情と態度に、敬の怒りは沸点にまで行く。
(この野郎!)
「さ、坊ちゃん」
 早春の情熱をおさえこまれ、行き場のなくなった熱は、敬を内側から煽った。
「くそっ!」
「坊ちゃん!」
 嶋の悲鳴のような声を無視して、敬は思わず、目の前にあった男の精悍せいかんな顔に唾を吐いていた。
 ひっ……! と周囲でホステスの一人が息を飲む音が響く。
 店内は凍りついたように静まりかえった。
 次に物音がしたのは、脇で控えていた木藤組の舎弟たちだろう。黒い背広姿の二人の男が無言で寄ってくる。
 傍観者たちは皆一様に青ざめ、瀬津と敬、そして二人の男を見ている。
「ほう……」
 驚いたことに瀬津は微笑していた。
 声同様、艶のある笑顔を浮かべて部下のさしだしたハンカチで頬にかっかった唾をぬぐう。だが、莞爾かんじと微笑みながらも、その鋭い目が笑っていないことに敬も嶋も気づいた。
「これはたいした挨拶だな。……どうやら、安賀組の先代や兄貴は、おまえに躾をしそこねたようだな」
「なんだと!」 
 父や兄のことを言われ、敬はさらに逆上する。
「礼儀を知らない馬鹿な餓鬼にはお灸をすえてやらないとな」
 黒い袖が伸びてくる。敬は嶋に羽交い絞めにされたままもがいた。
「うるせぇ! はなせ! うわっ!」
「ぼ、坊ちゃん!」
 嶋の声が響くなか、敬はあっという間に嶋から奪われるように、瀬津の肩にかつがれていた。それこそ、三つの子を拾いあげるように、あっさりと瀬津は、敬を肩に乗せると、客やホステスが見守るなか、店の奥へと進む。
「ま、待ってください! ぼ、坊ちゃん!」
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