煉獄の歌 

文月 沙織

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(なんで……、だよ。なんで、あんなひどいことされたのを思い出しているときに……)
 そうおのれ自身の手に問いたい。なぜ、この手は、今ここへ行きたがるのか。
(はぁ……)
 閉じたまぶたの裏に浮かぶのは、小馬鹿にしたように敬を嘲笑あざわらう瀬津龍昇の食えない顔だ。
 妖しく光る黒い双眼。揶揄するようでいて、厳烈げんれつななにかを秘め、敬を見つめてくる。
その目に捕らわれて、敬は背筋に電流が走るのを感じる。
(そうだ、坊や、いい子だ)
 不意に、耳元に、憎い男の声が響いてくる。
(やっと素直になったな)
 ちがう、ちがう、と心では叫びながら、敬の手はパジャマのズボンをずらし、下着の割れ目にしのびこみ、若い芽をさぐり出す。
(いい子だ、可愛いぜ)
 低い、男の色気をにじませた声が、敬の耳を、心をくすぐる。
(くそっ!)
 自分自身への唾棄だきしたいほどの、絶望的ないらだちのなか、敬は手を動かしつづけた。
(あっ……、もう……)
 あと、もう一歩、というところで、いきなり部屋に物声が響き、敬の心臓は爆発しそうになった。
「敬? 寝ているのか?」
 襖を引いて入ってきたのは、兄勇である。
(や、やばい……!)
 勇はずかずかと遠慮もなく入ってくると、枕元で胡坐をかく。外から帰ってきたばかりらしく、黒い背広姿の兄は、いつにもまして男らしく力強く見える。
「な、なに?」
「なにって、おまえが熱出したと聞いて心配して見に来てやったんだろう。なんだ、もう治ったのか?」
 兄の鋭い目つきに身をすくませながら、敬は必死にごまかすように言葉をつくり、おそるおそる上半身を起こす。
「う、うん。もう、すっかり平気」
 敬は、いつものことだが、勇の前だと子どもに戻ってしまう。組員たちにも揶揄やゆされることがあるが、どうしょうもないのだ。
「そうか? 顔が熱っぽいぞ」
 言うや、兄は自分の額を敬の額にあてた。敬はますます頬が熱くなるのを感じた。
「だ、大丈夫だって」
 あわてて身をよじったせいで、かぶっていた布団が落ちる。
「敬……おまえ」
「……」
 つい先ほどまでもてあましていた敬の青春の熱情を感じとったのか、勇の男らしい黒い眉がゆがむ。鋭く光った目は、次の瞬間、甘いものを秘めて輝いた。敬は悟られた恥ずかしさに、耳たぶまで熱くなるのを感じた。
「風邪のくせに……しょうのない奴だな」
「ち、ちがうって。うわ!」
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