黄金郷の夢

文月 沙織

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花開くとき 一

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 水音が南国の庭園に心地よく響く。
 エリスは裏庭の洗い場で井戸水を汲みあげていた。
 たらいのなかには、午前中いっぱい、アベルを苦しめつづけた黒檀の道具と、薄紅色の布がある。
 こういった小物の処理や手入れも〝菫〟の仕事になっており、自分が担当する調教相手の私的なものは、おいそれと下女や下級宦官には任せてはいけないことになっている。というのも、調教相手は、行く行くはは王侯貴族の妻妾、側室となるので、貴人の寵をうける立場の人間の秘めた物を、あまり下々の者の目にさらすことははばかられるからだ。
 だが、アーミナは決してこういう雑事はしたがらない。カイは忙しいので、今のところ、アベルにつかった道具や腰布などのわずかな衣類の手入れや洗濯はすべてエリスが請け負っている。
「よく、そんな阿呆らしい仕事が出来るな」
 オレンジを齧りながら、鳳凰木の影からアーミナがあきれたような声をあげる。
 グラリオンの夕刻は、この国が一日のあいだで一番美しいときだろう。
 太陽が世界に別れを告げ休息に入ろうとする瞬間、あたりはやわらかな黄金色こがねいろ一色に染まり、万物が輝いて見える。そんな優しい時間につつまれ、さわやかな風に髪をなぶられ、のんびりくつろいでいるアーミナは、ごく普通の少年のようだ。
「そんな雑用、そこいらの下女にでもさせておけばいいじゃないか?」
 そうする者も多い。だが、エリスはそれはしたくなかった。
 勤勉というよりも、アベルの私物を他人に触れさせたくないのだ。
 エリスは、盥のなかにある、例の薄紅の腰布を見下ろした。
 これもきれいに洗って汚れは落としてある。あとは絞って干すだけだ。こんなものを下女や下級宦官たちに洗わせたら、またどんな噂をたてることやら。
 そうでなくとも、異国の騎士が後宮に閉じこめられ、近いうちに王の〝妻〟となるという噂を聞いて、皆興味津々なのだ。用もないのにアベルの室の周りをうろついたり、調教現場に居合わせた宦官や侍女にまとわりついて、なにかと中の様子を聞きだそうとする者も多い。
 サライアなどは口が軽いので、奥室付きの侍女たちのあいだでは、室内の様子は筒抜けだ。浅はかな侍女たちはその話を伝えあったり聞き耳たてたりしては、頬を赤らめ、嘲笑をこぼす。 
 皆、後宮という巨大な籠に閉じ込められ、欲望をもてあましており、そんな彼らや彼女たちは、異国の美しい奴隷の運命が気になってしかたない。まして、奴隷がもとは高貴な身分の美青年となると、誰しも調教の様子がおもしろくてならないのだ。
 もともと、グラリオンにおいても異教徒は長年の敵であり、過去のたびかさなる戦で親族や身内を殺されたり、恋人や友人がひどい怪我を負わされたりした者も多いので、当然ながら、奴隷の身に堕とされた敵国の青年貴族への同情はあまりない。宮廷人たちは、誰しもアベルの凋落ぶりをおもしろがっているのだ。いわば、アベルは、宮殿じゅうの全員からいたぶられているようなものだ。
 つい、そんなことを考えて、アベルの心配をしてしまっている自分に気づいて、エリスは一人苦笑した。
(異教徒はたしかに嫌いだけれども……でも、あの人は……別だ)
 今朝のアベルの姿を思い出すと、エリスは今も胸が熱くなってくる。
 アベルの悲鳴のような泣き声が耳によみがえる。
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