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始まりの夜
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扉のひらく音に、リィウスは膝の上で両手を握りしめた。胸の鼓動が早くなる。
物音がし、人が入ってくる気配をつよく感じる。
室内を照らす獣脂蝋燭は一本だけ。こういった娼館の習いとして薄暗くしてあるうえに、顔は火焔の色のヴェールで覆っているので、すぐに見られることはないが、それでも客が望めば当然、ヴェールは取らなければならない。わざわざ大枚はたいて買った敵娼の顔を見たがらない客がいるだろうか。
(落ち着け……)
膝がふるえて純白のトーガの裾が床上で揺れる。床のモザイク模様の紅薔薇までゆれて見える。
(いい、うまくやるのよ。今夜の客は大物よ。うまくいけば上客になってくれるかもよ。相手次第であんたの運が変わるのよ)
タルペイアの声が耳にこだまする。
(客の言うことに逆らうんじゃないよ。まちがっても逃げようなんて思わないことだね。万が一にもそんなことしてごらん、あんたの可愛い弟がひどい目に合わされるんだからね)
リィウスは唇を噛みしめた。
逃げるわけにはいかない。逃げようもない。
屋敷の柱廊には見張りの男たちが常に立っている。この屋敷を出れたとしても、行く当てもない。何より、弟を人質に取られているようなものだ。自分一人逃げるわけにはいかない。
男が、客が近づいてくる。
(ああ……)
リィウスはヴェールのなかで目を閉じた。
よもや、自分が男に身体を売る羽目になろうとは、夢にも思ったことがなかった。男の自分が……、ローマ有数の貴族の家に生まれた自分が。
リィウスは胸のうちで神々の名をとなえたが、加護はなく、客のたてる足音がなまなましく響いてきた。
「リィウス……なのか? 本当に? あのリィウスか? リィウス・トゥリアス・プリスクスか?」
名を呼ばれ、リィウスはヴェールの内で目をとじた。感じるのは絶望だけだった。
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