燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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仇敵 一

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 その日、肌寒く感じたのは天気のせいばかりではなかった。
 大通りを抜けて、リィウスは下町の、目当ての店を訪れた。今日はアンキセウスは所用でいそがしいので、側にはまだ若い奴隷が一人控えているだけだ。
 この辺りへはあまり来ることはない。行き交う人も庶民が多く、リィウスのような身分の者が立ち入る区域ではないが、大通りの店では、知った者と顔を合わせるかもしれず、それが嫌でリィウスは、あえて下町の店を選んで訪れるようになった。
「おまえはここで待っておいで」
 奴隷に声をかけて、リィウスは扉の内へと足を踏み入れた。
「これは……ようこそ」
 ユダヤ人の両替商は、リィウスを見て椅子から立ち上がると、あらためて目を細める。あえてこちらの名前を呼ばないのは、それが礼儀だと思っているからだろうか。
「これを……頼む」
 リィウスは外套の内側から、紅玉ルビーの耳飾りを取り出し、商人に手渡す。 
「おお、これは、なかなか良い品で」
 亡母の形見だった。リィウスの母は、皇室にもつながる名家の出で、花嫁道具として持参してきた宝石や装飾品も見事なものだったが、家が困窮するにつれて、そういった品も手放すしかなかった。
「五千デナリウスでいかがですかな?」
 一瞬、リィウスは考え込んだ。本当はもっと欲しい……。だが、ここで商人相手に言い張るのは、みずからの品位を落とすようでためらわれる。
「それで結構だ」
「では、少々お待ちを」
 商人と挨拶程度の言葉をいくつか交わし、リィウスは店外へ出て息を吐いた。
 にぶい陽光のもとで一瞬安堵した。だが、
「リィウスではないか、こんなところで何をしているんだ?」
 名を呼ばれてリィウスは驚愕に叫びそうになった。こんな下町で、よもや自分の名を呼ばれるとは思いもしなかった。
(まずい……)
 そこに立っていたのは、今一番会いたくない人物だったのだ。
「ディオメデス……」
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