燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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「ちがうようだ」
「……手足がないのか?」
「いや、そうじゃない。四つん這いになっているのだ」
 そんな囁きが聞こえてくる。
 影は、男だった。確かに四つん這いになっている。
 一瞬、リィウスも、男は手足がないのではないかと不安に思ったが、ただ四つん這いになっているだけだと気づいてほっとした。
 だんだんよく見えるようになってきた。
 男はここから見てもかなり体格が良いことがわかる。たくましい身体つきは、彼が戦士であったことを、すくなくとも戦うことを経験してきた人間であることを物語っている。
 ほとんど全裸にちかい格好だが、先ほどの私兵たちとおなじく革の武具のようなものを膝に着けている。彼が動くたびに奇妙な音がするのは、両脚につけられた縄の先に重しの石があるからだ。
 リィウスは、今宵幾度目か、眉をひそめていた。
 手首と首にびょうを打った革の輪をつけられているのが、ひどく侮辱的に思えたのだ。
 なまじ人並みはずれて体格の良い男だけに、今の様子がすさまじく哀れに見える。
 身体つきや、不様な姿で四つん這いで歩いていてさえ、その動き方から、彼がただの奴隷ではなく、歴戦の戦士であることが感じられ、そんな彼にこんな異常な状況を強いていることが、恐ろしく残忍に感じられて仕方ない。
(なんて……むごい……)
 近づいて来るほどに、遠目ながらも、顔立ちの整った男だということが知れた。
 耳あたりで刈り上げられた黒髪が、汗に濡れて飴色の肌の上、つやをはなって篝火のあかりをはじき返している。肌の色からして異国人であることがしのばれる。
 リィウスは四つん這いで近づいてくる彼に、はっとした。
 黒い目にはおさえきれぬ憤怒がたぎっており、その眼光の激しさからして彼がかなり強い意志を秘めた人間であることを示している。
 舌を噛んで自害をさせないためか、噛みついてくることを恐れてか、口には革の猿ぐつわがめられており、噛み切らんばかりにその太い皮紐を噛んでいる様子は、ひどく痛ましくも、どれほどおとしめられても屈せぬ戦士の気骨にあふれており、リィウスは胸がしめつけられる錯覚をおぼえた。
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