燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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「物売りたちが喋っているわ」
 つい数刻ほど前の話が世間に漏れているのは、自然に流れたわけではない。かならず意図して話を広めた者がいるのだ。おそらくはアウルスの仲間だろう。
「やっぱり、あそこにいたのは本当に皇帝だったのね。ウリュクセスがときおり離島の皇帝のお見舞いに行っているという話は、聞いたことがあったのだけれど」
 単にご機嫌うかがいに行っていたのではなく、そこで〝献上品〟をわたしていたのだ。あの男はそういうやり方で権力者におもね、闇の世界を牛耳るほどの力を得ていたのだ。
「これから世のなか騒がしくなるわね……。うちも大変よ」
 タルペイアはやや混乱しているのか、言葉づかいも客に対するものというより、顔馴染みの知人に対するようなものになっている。
「何かあったのか?」
 一睡もしていないのだろう。相手は疲れた顔に苛立ちをはしらせた。
「不覚だわ。足抜けされてしまったのよ」
「……それは」
 なんと言うべきだろう。ディオメデスは珍しく言葉に詰まった。気の毒に、とでも言うものだろうか。
 深々と溜息をついて、タルペイアはこぼした。
「とんだ恥さらしよ。この柘榴荘から足抜けお出すなんて」 
 主の意向や契約を無視して娼婦男娼が勝手に店から抜け出したのだ。下級の売春宿でも、足抜けなどされてはしめしがつかず、主の不手際として非難される。タルペイアにとっては痛恨の出来事だろう。
「本当に悔しいわ。けっこう売れっ子だというのに」
「度胸のある女だな。ベレニケか? もしやリキィンナか? それともサラミスか?」
 そんなことをしそうな娼婦たちの顔を思い浮かべながらディオメデスが問うと、タルペイアは疲れた顔に翳をちらつかせた。
「いえ、サラミスはもう……、いえ、そんなことはどうでもいいわ。まぁ、いずれ知れるでしょうから」
 一呼吸おいてから、その名を口にした。
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