サファヴィア秘話 ー闇に咲く花ー

文月 沙織

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魔神の使者 一

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 地獄の二日目が過ぎ、三日目の朝も太陽の光が入ってこない室でラオシンは目覚めた。
 どろどろに汚れた身体を浴場で清められ、昨日とおなじく少量の食事をあたえられ、無感動のままただ口に押し入れられた。麺麭パンひときれと水だけの食事は、食欲のまったくない今のラオシンにはいっそありがたいぐらいだ。
「少し殿下には痩せてもらわないといけないのよ。その方が色っぽく見えるし、それにあまり食べさすと……調教のとき困るでしょう?」
 そんな話をディリオスと交わすマーメイの言葉は今日もラオシンの神経をひっかくが、今は反抗する気力もない。
(いや……とにかく逃げる機会を見つけなければ……。今は従順をよそおった方がいい)
 嫌々ながらも食べ物を口にすると気力がもどってくる。ラオシンは闘志をひそかに養った。
 さらに白絹の腰布を腰にまかれたラオシンは、とりあえず纏うものがあることによって人としての尊厳を取りもどした気がした。
(あんなこと……なんでもないことだ)
 だが、そう必死に自分をなだめ、説得してみても、この二日間のできごとを死ぬまで忘れられないことは自覚せざるを得ない。
「さてと、食事もすんだし。殿下、そこに立って」
 なにをされるのか怯えたが、言われたとおりにするしかなく、しぶしぶラオシンは赤煉瓦の壁のまえに立つ。
「さ、手を出して」
 室にはマーメイのほかにも、リリ、ドド、ディリオスが並び、しかもその背後には、昨夜はいなかった護衛たちが四人いる。下卑た男たちは皆にやにやしながらラオシンの身体を脂ぎった目でみている。マーメイによると、少しずつ人の目に慣れていかなければならないのだという。屈辱をこらえて、ラオシンは言われたとおりにするしかなかった。
 ラオシンの手首足首をしばるのはいつものように上等の玉綱である。鎖や縄をつかわないのは、貴人にたいする敬意だとマーメイは言うが、ラオシンは恨めしい思いでその高価な戒めを見た。天井ぎわの細い、ぼり模様をほどこした木窓からさしこむわずかな光のもと、玉綱はあいかわらず妖しいほどに美しく輝いてラオシンの目を刺す。
「あら」
 手足を拘束され、壁際に立たされたラオシンの半裸の胸を見ながら、マーメイはいやらしい笑みを浮かべる。
「リリ、ご覧、殿下の御胸おむね。すこしふくらだんだように思えない?」
「はい、マーメイ様。まるで女の子のようですね」
「ほほほほほ。おまえたちもよぉく鑑賞するといいわ。昨夜一晩かけてドドががんばってくれたおかげよ」
 マーメイの言うように、ラオシンの胸はドドの暴力的な愛撫の結果、赤く腫れていた。だが、たしかに少しふくらんだようにも見え、見物人たちの目を楽しませる。
(くぅ……)
 今はひたすら耐えるしかないと、とにかくよけいな体力をつかわないように、自分の神経を麻痺させないようにと、必死に自制していたラオシンも、マーメイが放った次の言葉には全身をこわばらせた。
「今日はお客様がいらっしゃるのよ。殿下もよくご存知の方ですわ」
 ラオシンは蒼白になった。この戒められた姿を知っている人間に見られるなど、あってはならない。
「……だ、誰だ?」
「ふふふふ。お入りください」
 扉がひらくと、消え入りそうな想いで震えているラオシンのまえにあらわれたのは、ひどく小柄な人物だった。 

「お、おまえは!」
 ラオシンは息を飲んで相手を凝視した。
「これはラオシン殿下、ご機嫌いかがかな?」
 そこに立っていたのは、ジャハンだった。
 王太后の腹心の宦官であり、いつもラオシンのことを不気味な目で見ていたせむしの宦官である。
 そして、おそらくはラオシンを卑劣な罠でおとしいれたこの恐ろしい計画の加担者、いや、もしかしたらその計画を王太后エメリスにささやいた真の黒幕かもしれない。
 そのジャハンが真紅の絨毯のうえを歩いて近づいてきたとき、ラオシンは我をうしなっていた。
「き、貴様、よくも!」
「おおーっと」
 玉綱にいましめられたラオシンが全力でつかみかかろうとした瞬間、ジャハンはおどけて身体をひねる。勿論、ジャハンの身体に触れることもできずラオシンはいたずらに手足を痛めただけで、悔し気にジャハンを睨みつけるしかなかった。
「おお、殿下はお元気ですなぁ。けっこうなことで。殿下が『悦楽の園』でお元気に楽しくお過ごしのことを報告したら、きっとご安心なさるでしょう」
 その相手は当然主である王太后だろう。ラオシンは怒りに全身を炎のように燃やした。
「貴様、貴様、貴様!」
「おお、おお、おお」
 ジャハンはおどけたように猿のように小さな身体で踊る真似をする。
 思えば、もともとジャハンは宮廷で宴の折りに滑稽な踊りをおどる芸人、いわば道化役として養われていたのを、意外にも機知に富む受け答えをすることで王太后に気に入られ、目をかけられ、いつの間にか相談役のようになり、もはや王太后宮殿においてなくてはならない存在にまで出世したのだ。
「お、おまえが企んだことなのだろう! おまえが伯母上をたぶらかしたのだろう!」
「仕方ないのですよ、殿下、あなたが悪いのです」
「な、何故だ、誓っていうが、私は王位なぞ望んだことはなかったぞ」
 やれやれ、というふうにジャハンが首をふる。
「たとえあなたに欲がなかろうが、群臣はあなたと陛下がならぶと、つい見比べてしまう。あなたは陛下のまえで目立ちすぎたのです。宮廷や宮殿において、陛下以上に輝く男はいてはいけないのだ。あなたは存在そのものが不忠なのだ。しかも陛下の従兄いとこであり、王位継承権第一位。あなたはきわめて危険な存在だ」
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