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魔女神の采配 一
しおりを挟む「悦楽の園」の館のまえに、身分たかい者がつかう輿に乗ったジャハンが従者をつれておとずれたのは、ちょうどその日のラオシンの躍りの稽古が終わった昼過ぎだった。
「これはジャハン様」
マーメイは愛想よく宦官の小男を出迎える。
「おお、マーメイ、昼の光のなかではいっそう美しいな。魔女神のようだぞ」
「御冗談を」
軽口をたたきながら館内に入ってきたジャハンは、彼の癖である下からうかがい見るような仕草でマーメイに訊ねた。
「どうじゃ、殿下の調教は順調か?」
「ええ。今日も踊りの練習をされて。もともと、武芸できたえていらしただけあって、すばらしい進歩具合ですわ」
「ほう……」
ジャハンの細い目から毒がしたたるようだ。
「しかし、殿下に踊りをさせるのは、困難であったろう?」
「それは、もう。でも、ジャハギル、例の宮廷舞踏の教師でもあったジャハギルがいろいろ説得して」
「どう説得したのだ?」
「ふふふ……ないしょ」
マーメイの口調はくだけたものになった。客や話し相手との距離をちぢめるときに彼女がよくつかう手管である。
「なんじゃ、気になるではないか。言え」
「ふふふ。実は……」
廊下を歩きながら魔女神と使い魔は嘲笑をこぼした。
「ぐひひひひ……。殿下のそんな格好、想像するだけで傑作じゃ。いっそ、本当にさせてみてはどうじゃ?」
ジャハンの目はその様子を想像したのか、快楽に燃えていた。さすがにマーメイは言ってしまったことを後悔した。
(私も私だけれど……この男の趣味というか、病はかなり根深いわね)
宮廷宦官には加虐趣味のある者がおおいと聞く。
それは宦官になるための男性器喪失という壮絶な体験が原因なのか、弱肉強食の宮廷で生きていくなかでの過酷な経験が影響しているのかはわからないが、男としての最大の屈辱と苦痛をあじわった人間の持つ底しれぬ闇がジャハンの濁った眼から感じられて、マーメイは陽光のさしこむ廊下を歩きながら首のうしろに冷気を感じた。
「それは……ご依頼主様のお許しがあれば」
「儂がそのうち説得してみる。現に、今日も」
ジャハンがそこまでしゃべったとき、ラオシンが踊りの稽古をしていた広間に着いた。扉のまえに立っていた白と青の羅をまとった二人の娘たちが左右から扉をあける。
「おや、殿下は?」
なかにいたのはジャハギルとディリオス、それにリリだけだ。ジャハギルは休憩中だったらしく、椅子に腰かけ、卓のうえの銅杯で水を飲みながら干した杏子をつまんでいたが、来客を見てすぐ立った。
「あら、これは……。ジャハン様」
「おお、久しぶりだな、ジャハギル」
「ごぶさたしておりました」
一瞬にして、ジャハギルの態度が男性的なものになる。
「儂のまえでは無理せんでいい。おまえがそっちだということは気づいておったわ」
「あら……まぁ」
宮廷舞踏の教師をしていたジャハギルは、宮殿での踊りの催しの際、幾度かジャハギルと顔を合わせ、懇意にしてもらっていたことがあり、そのときは常に男性的な態度をとっていた。
だが、性質というのはどことなくにじみ出るもので、侍女や小姓たちのあいだではジャハギルが、外見は男でも中身が女性であることは周知の事実であり、踊りの教師という職業上、皆見て見ぬふりをしてくれていたのだ。
勿論、ジャハギルも身分たかい相手をまえにしては本来の性質を似必死に隠していたので、おもてだっては糾弾されることはなかったが、影で笑われることは日常茶飯事だった。
「あのときは、いろいろとありがとうございました」
「いやいや」
類は友を呼ぶとでもいうのか、どういうわけかジャハギルとジャハンは気が合い、当時は王妃だったエメリスの寵愛を受けていたジャハンがそれとなく庇護してくれたおかげで、ジャハギルも意地の悪い宮廷人からそれほど苛められずにすんだのだ。
男色そのものは大目に見られるおおらかな南国の気風の国であってさえも、ジャハギルのそのむさくるしい容姿に女っぽい仕草は、やはり見る者を落ち着かせなくさせ、苛立ちを呼び起こしてしまうところがある。
それは散々宮廷人に白眼視されてきた宦官の成り上がり者であり、せむしの小男であるジャハンにも備わってしまった黒い因子だ。
思えば、ジャハギルといいジャハンといい、そうやってその外見から差別されてきた経験が、加虐の欲望となって火を吹き、生贄をもとめるのかもしれない。
そんな彼らにとって王子という高貴な身分であり容姿にも知性にも恵まれているラオシンは最大にして最高の生贄であり、玩具であり、鬱憤ばらしの道具なのだろう。
(殿下もお気の毒に……)
内心苦笑いしているマーメイのまえで、ジャハンたちは話しつづける。
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