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宴の前 二
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(アラム……早く、早く助けに来てくれ)
残酷にも太陽はラオシンの人生にとって一番長い一日となる日を炙る。
ラオシンはいつものように身体をあらわれ、全裸で陽光のもとに立たされ、それがすむと麺麭と水だけという食事をとらされた。
ここへ来てからの食事はひどく少なめで、麺麭を食べれるのは朝一回だけで、午後の休憩のときに果実を少し、夜にわずかな豆料理や乾酪をあたえられるだけだ。食事を多量にあたえないのは、女性的に見えるように痩せさせるためと、腹にため込まさせないためだという。食欲などないのでそういった食生活は苦痛ではないが、力が弱っていくようで不安でたまらなくなるときがある。
そして肌を美しくするためだという蜂蜜をまぜた薬草の茶を日に幾度となく飲ませられ、その効果はたしかにあったらしく、ラオシンは館へ来たときとは別人のように痩せ、なお肌はぬめるように妖しく輝くようになっている。
その日も、最後の仕上げだという踊りの稽古を終えたあと、ふたたび浴場で身体を洗われ、大きな楕円形の鏡のまえに立たされた自分の姿を見たとき、ラオシンは目をうたがった。
(これが……私?)
無駄な肉がいっさいない飴色の肉体は、無残に体毛も剃り落とされ、隠すものもおおうものもない、文字どおり一糸まとわぬ姿にされ、蝋燭の光に照らされ、震えている。怯えた痩せた顔には、かつての輝くばかりの麗質を誇った王子ラオシン=シャーディーの、あの不遜なまでの誇りたかさや、凛々しさはどこにも見られない。
一目みて、目を伏せつつも、また銀盤に目をやってしまい、ラオシンは泣き出しそうになった。
「さ、殿下」
リリが布で下肢をおおってくれる。ドドに腕をひかれ、ぼんやりとした頭で廊下を歩き、気がついたときは小部屋に連れていかれていた。
「殿下、ここへ座って」
待ちかまえていたジャハギルと、リリの手によって、昨日のように屈辱の足布を巻かれるあいだ、ラオシンは自分の身体がすっかり変わっていた衝撃に打ちのめされつづけて呆然としたままだった。だが、しゃがれた声が室にとびこんできた瞬間、彼の無反応になっていた感覚に熱がそそぎこまれた。
リリはすかさずまくりあげていた腰布をもどす。
「どうかな、殿下のお仕度は? ぐひひひひ」
室に入ってきたのは、あの憎いジャハンだ。
猿のように前かがみで、けれどやたらはずんだ足取りで近寄ってくる。
ラオシンは吐き気がした。
磨滅していた感情が、殺してもあきたりない相手に、女のように足布を巻かれていた姿を見られたことで一気に覚醒したのだ。火のような屈辱感が胸を焦がす。今のラオシンにとっては、屈辱に燃えているときだけが、全身に気力を取り戻せる瞬間だった。
「また、よい格好をされて。ひひひひ、そんな顔をなされるな、殿下。せっかく綺麗に化粧してもらった顔が、台無しじゃぞ。ほれ、今日は殿下のご機嫌をよくするための贈り物を持ってまいりましたぞ」
「あら、何かしら?」
嬉しそうに訊くジャハギルに、ジャハンのあとから入ってきたマーメイが手にしているひらべったい黒箱を見せ、上機嫌で答えた。
「見て、これ」
「あら、綺麗!」
美しい黒絹の衣、おなじく黒繻子の面紗、下帯も黒い羅である。
「黒い衣装をさがしておるというから、宮殿のものを持ってまいったのじゃ。これは、ラオシン殿下の亡き御母上アーミア王弟妃殿下が生前お使いになっておられたものじゃ」
「……」
ラオシンは、今度こそ悔しさのために死ねるのではないかと思った。
「ひひひひ。アーミア妃殿下がお亡くなりになられてから、妃殿下の遺品は、御遺言にのっとって、いつしかラオシン殿下の妻となられる方に贈られるべく、すべて王宮の衣装室に管理されておったのを、儂が持ってきたのよ。なに、殿下のために使うのじゃから、亡きアーミア妃殿下もゆるしてくださるだろう。いや、むしろ、天から今宵の息子の晴れ姿を見て喜んでいらっしゃるかもしれんぞ。ひひひひひ」
「貴様ぁ!」
ラオシンはジャハンに飛びかかっていた。
残酷にも太陽はラオシンの人生にとって一番長い一日となる日を炙る。
ラオシンはいつものように身体をあらわれ、全裸で陽光のもとに立たされ、それがすむと麺麭と水だけという食事をとらされた。
ここへ来てからの食事はひどく少なめで、麺麭を食べれるのは朝一回だけで、午後の休憩のときに果実を少し、夜にわずかな豆料理や乾酪をあたえられるだけだ。食事を多量にあたえないのは、女性的に見えるように痩せさせるためと、腹にため込まさせないためだという。食欲などないのでそういった食生活は苦痛ではないが、力が弱っていくようで不安でたまらなくなるときがある。
そして肌を美しくするためだという蜂蜜をまぜた薬草の茶を日に幾度となく飲ませられ、その効果はたしかにあったらしく、ラオシンは館へ来たときとは別人のように痩せ、なお肌はぬめるように妖しく輝くようになっている。
その日も、最後の仕上げだという踊りの稽古を終えたあと、ふたたび浴場で身体を洗われ、大きな楕円形の鏡のまえに立たされた自分の姿を見たとき、ラオシンは目をうたがった。
(これが……私?)
無駄な肉がいっさいない飴色の肉体は、無残に体毛も剃り落とされ、隠すものもおおうものもない、文字どおり一糸まとわぬ姿にされ、蝋燭の光に照らされ、震えている。怯えた痩せた顔には、かつての輝くばかりの麗質を誇った王子ラオシン=シャーディーの、あの不遜なまでの誇りたかさや、凛々しさはどこにも見られない。
一目みて、目を伏せつつも、また銀盤に目をやってしまい、ラオシンは泣き出しそうになった。
「さ、殿下」
リリが布で下肢をおおってくれる。ドドに腕をひかれ、ぼんやりとした頭で廊下を歩き、気がついたときは小部屋に連れていかれていた。
「殿下、ここへ座って」
待ちかまえていたジャハギルと、リリの手によって、昨日のように屈辱の足布を巻かれるあいだ、ラオシンは自分の身体がすっかり変わっていた衝撃に打ちのめされつづけて呆然としたままだった。だが、しゃがれた声が室にとびこんできた瞬間、彼の無反応になっていた感覚に熱がそそぎこまれた。
リリはすかさずまくりあげていた腰布をもどす。
「どうかな、殿下のお仕度は? ぐひひひひ」
室に入ってきたのは、あの憎いジャハンだ。
猿のように前かがみで、けれどやたらはずんだ足取りで近寄ってくる。
ラオシンは吐き気がした。
磨滅していた感情が、殺してもあきたりない相手に、女のように足布を巻かれていた姿を見られたことで一気に覚醒したのだ。火のような屈辱感が胸を焦がす。今のラオシンにとっては、屈辱に燃えているときだけが、全身に気力を取り戻せる瞬間だった。
「また、よい格好をされて。ひひひひ、そんな顔をなされるな、殿下。せっかく綺麗に化粧してもらった顔が、台無しじゃぞ。ほれ、今日は殿下のご機嫌をよくするための贈り物を持ってまいりましたぞ」
「あら、何かしら?」
嬉しそうに訊くジャハギルに、ジャハンのあとから入ってきたマーメイが手にしているひらべったい黒箱を見せ、上機嫌で答えた。
「見て、これ」
「あら、綺麗!」
美しい黒絹の衣、おなじく黒繻子の面紗、下帯も黒い羅である。
「黒い衣装をさがしておるというから、宮殿のものを持ってまいったのじゃ。これは、ラオシン殿下の亡き御母上アーミア王弟妃殿下が生前お使いになっておられたものじゃ」
「……」
ラオシンは、今度こそ悔しさのために死ねるのではないかと思った。
「ひひひひ。アーミア妃殿下がお亡くなりになられてから、妃殿下の遺品は、御遺言にのっとって、いつしかラオシン殿下の妻となられる方に贈られるべく、すべて王宮の衣装室に管理されておったのを、儂が持ってきたのよ。なに、殿下のために使うのじゃから、亡きアーミア妃殿下もゆるしてくださるだろう。いや、むしろ、天から今宵の息子の晴れ姿を見て喜んでいらっしゃるかもしれんぞ。ひひひひひ」
「貴様ぁ!」
ラオシンはジャハンに飛びかかっていた。
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