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帰路 二
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「小島さん、今日私たちは帰ります。もうお会いすることもないでしょうから、最後に教えていただけませんか? あれは、やっぱりゆかりさんなんでしょう?」
お糸のつつましやかな葬儀が終わった夜、座敷で小島と向かいあった須藤は訊いた。
「なんのことですか?」
小島はふしぎなものでも見るような顔をするが、そんなことでごまかされる須藤ではない。
「ごまかさないでください。庭でゆかりさんの後ろすがたを見たとき気づきましたよ。あの人は男です」
「ほう……」
「つねに前かがみになって膝をすこし折っているせいでかなり小柄でなよなよと見えますが、あの人は女じゃない。口が聞けないというのも嘘なのでしょう?」
男の声は聞けば知れるものだ。だから口が聞けないということにしていたのだろう。
「世のなかにはゆかりさんのような人もいる。外聞をはばかって女で通すつもりだったんですね」
小島は不敵な目をした。
「仕方ないな」
小島の話によると、お糸の妹には木津ゆかりと木津清治というふたりの子どもがいたらしい。ゆかりと名乗っていたのは、清治だった。母親と姉のゆかりを空襲で亡くし、苦労しながら母の姉である伯母のお糸がいるこの村までたどりついたのだ。
「で、でもあの舞いは……? 鈴希さんとおなじぐらい上手だったけれど」
もともと母親は神戸にいたとき日舞の家元の家で住み込みで働いていたので、清治もおさないころから邦楽や舞踏にしたしみ、素質もあったらしい。こちらに来てからは本格的に能の稽古もしていた。
そもそも、清治は母親が里帰りしたさいに先代が手をつけて生まれた子だという。つまり、鈴希とは異母兄弟になるのだ。旧家の当主が人妻に手をつけ子どもを生ませるなど乱暴な話だが、当時はそういうことはざらにあった。使用人、とくに女性の立場というのは弱いものなので、田舎では主人というものは絶対だった。ちなみに夫となる男は、さいわい、と言っていいのかどうかわからないが、清治の妊娠が知れないころに戦地に出、とうとうそのまま帰ってくることはなかったという。
「どうりで似ているわけだ。声も背格好もそっくりだ」
須藤は納得した。
そういった特殊な事情の生まれ育ちが影響したのか、もしくは天性のものだったのか、清治には普通ではない嗜癖があった。戦後保護者をなくして生き抜くため、旅芸人の一座に身を寄せていたときもあったという。そういう世界で、まして混乱した時代のなかで、親を亡くした少年、それも幸か不幸か美貌にめぐまれた彼が、苦しい旅をつづけるなかで、大人たちの欲望の毒牙にかからないわけがない。青年になった現在でも、彼には言葉も挙措動作も通常の男子とは呼べないものがあった。
そういう身の上の清治であるから、いっそうお糸も世に出すのを嫌がり、また当人の意向もあって、なるべく顔をかくしひっそりと生きていたのだ。どうしても人前に出るときは、絵具を顔に塗ったりして火傷の跡に見えるようにしたという。そうすると人はたいてい目を逸らす。
「清治さんを花若として川堀氏たちの接待に出させたのですね」
「鈴希様をあの連中の餌食にすることはできなかったのです」
清治ならいいのか、と問いたいのを竜樹はこらえた。彼には人は平等という言葉はないのだ。いや、人は平等でも、鈴希だけはちがうのだろう。
「それを苦にしてお糸さんは自殺を……?」
「違うだろうな。お糸さんが亡くなったのは……おそらく、運転手に出した朝食になにかの薬を飲ませたせいじゃないですか?」
小島は答えない。
「ゆかりさんが籠を手にときどき裏の山や滝壺の近くに行くのは……あくまでも私の想像ですが、毒性のある山菜……、たとえば茸などをさがしていたのでは? 一昨日、新聞記者の知人に調べてもらったのですが、この近くで戦時中に山でとれた毒茸――日陰痺茸というものですが、それをあやまって食べた人間が、死にこそはしなかったものの、幻覚作用を起こし橋から落ちて大怪我をしたという事件があったといいます」
「さあ……? 私は知らないですね。毒性のある茸でも調理しだいでふつうに食べれるといいますし」
小島はしらじらしく言いはなった。
「……田所の死にもお糸さんかゆかり、じゃなくて、清治さんがからんでいたんじゃないですか? つまみの料理か飲み物に睡眠作用か幻覚作用のあるものを混ぜておけば、酔っぱらったようにふらふらして、少し押せば実行可能だ。女でも出来ることです。言いたくはないが、お静さんだとも考えられる。友達と会っていたといっても、口裏合わせればいくらでもなんとかなるものだ」
この家にいるものには、どこか尋常でないものがある。時代の影響かもしれないが、主家を守るためならそれぐらいのことは若い娘でもやりそうだし、手伝うぐらいのことはするかもしれない。
「さぁ……、私にはわかりませんね」
小島の目は相変わらず不敵に笑っている。
「言っておきますが、証拠はありませんよ」
お糸のつつましやかな葬儀が終わった夜、座敷で小島と向かいあった須藤は訊いた。
「なんのことですか?」
小島はふしぎなものでも見るような顔をするが、そんなことでごまかされる須藤ではない。
「ごまかさないでください。庭でゆかりさんの後ろすがたを見たとき気づきましたよ。あの人は男です」
「ほう……」
「つねに前かがみになって膝をすこし折っているせいでかなり小柄でなよなよと見えますが、あの人は女じゃない。口が聞けないというのも嘘なのでしょう?」
男の声は聞けば知れるものだ。だから口が聞けないということにしていたのだろう。
「世のなかにはゆかりさんのような人もいる。外聞をはばかって女で通すつもりだったんですね」
小島は不敵な目をした。
「仕方ないな」
小島の話によると、お糸の妹には木津ゆかりと木津清治というふたりの子どもがいたらしい。ゆかりと名乗っていたのは、清治だった。母親と姉のゆかりを空襲で亡くし、苦労しながら母の姉である伯母のお糸がいるこの村までたどりついたのだ。
「で、でもあの舞いは……? 鈴希さんとおなじぐらい上手だったけれど」
もともと母親は神戸にいたとき日舞の家元の家で住み込みで働いていたので、清治もおさないころから邦楽や舞踏にしたしみ、素質もあったらしい。こちらに来てからは本格的に能の稽古もしていた。
そもそも、清治は母親が里帰りしたさいに先代が手をつけて生まれた子だという。つまり、鈴希とは異母兄弟になるのだ。旧家の当主が人妻に手をつけ子どもを生ませるなど乱暴な話だが、当時はそういうことはざらにあった。使用人、とくに女性の立場というのは弱いものなので、田舎では主人というものは絶対だった。ちなみに夫となる男は、さいわい、と言っていいのかどうかわからないが、清治の妊娠が知れないころに戦地に出、とうとうそのまま帰ってくることはなかったという。
「どうりで似ているわけだ。声も背格好もそっくりだ」
須藤は納得した。
そういった特殊な事情の生まれ育ちが影響したのか、もしくは天性のものだったのか、清治には普通ではない嗜癖があった。戦後保護者をなくして生き抜くため、旅芸人の一座に身を寄せていたときもあったという。そういう世界で、まして混乱した時代のなかで、親を亡くした少年、それも幸か不幸か美貌にめぐまれた彼が、苦しい旅をつづけるなかで、大人たちの欲望の毒牙にかからないわけがない。青年になった現在でも、彼には言葉も挙措動作も通常の男子とは呼べないものがあった。
そういう身の上の清治であるから、いっそうお糸も世に出すのを嫌がり、また当人の意向もあって、なるべく顔をかくしひっそりと生きていたのだ。どうしても人前に出るときは、絵具を顔に塗ったりして火傷の跡に見えるようにしたという。そうすると人はたいてい目を逸らす。
「清治さんを花若として川堀氏たちの接待に出させたのですね」
「鈴希様をあの連中の餌食にすることはできなかったのです」
清治ならいいのか、と問いたいのを竜樹はこらえた。彼には人は平等という言葉はないのだ。いや、人は平等でも、鈴希だけはちがうのだろう。
「それを苦にしてお糸さんは自殺を……?」
「違うだろうな。お糸さんが亡くなったのは……おそらく、運転手に出した朝食になにかの薬を飲ませたせいじゃないですか?」
小島は答えない。
「ゆかりさんが籠を手にときどき裏の山や滝壺の近くに行くのは……あくまでも私の想像ですが、毒性のある山菜……、たとえば茸などをさがしていたのでは? 一昨日、新聞記者の知人に調べてもらったのですが、この近くで戦時中に山でとれた毒茸――日陰痺茸というものですが、それをあやまって食べた人間が、死にこそはしなかったものの、幻覚作用を起こし橋から落ちて大怪我をしたという事件があったといいます」
「さあ……? 私は知らないですね。毒性のある茸でも調理しだいでふつうに食べれるといいますし」
小島はしらじらしく言いはなった。
「……田所の死にもお糸さんかゆかり、じゃなくて、清治さんがからんでいたんじゃないですか? つまみの料理か飲み物に睡眠作用か幻覚作用のあるものを混ぜておけば、酔っぱらったようにふらふらして、少し押せば実行可能だ。女でも出来ることです。言いたくはないが、お静さんだとも考えられる。友達と会っていたといっても、口裏合わせればいくらでもなんとかなるものだ」
この家にいるものには、どこか尋常でないものがある。時代の影響かもしれないが、主家を守るためならそれぐらいのことは若い娘でもやりそうだし、手伝うぐらいのことはするかもしれない。
「さぁ……、私にはわかりませんね」
小島の目は相変わらず不敵に笑っている。
「言っておきますが、証拠はありませんよ」
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