今度は、私の番です。

宵森みなと

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第十八話 ファーストキスの行方

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授業が終わったあとの放課後。少し肌寒い風が吹く午後の校門を出ようとしたとき、ふと見知った顔が目に留まった。ハルシュタイン様 の邸に仕えている執事の方だった。

「セレスティア様。ディオラン=ハルシュタイン様 様が、お会いしたいとおっしゃっております。お迎えに参りました」

その言葉に、胸が一気に熱くなる。まだ完全には落ち着かない感情の波を抑えながら、私は自邸の馬車を返すよう手配し、そのままハルシュタイン様 の邸へと向かった。

馬車の中、じわじわと緊張が押し寄せてきた。昨日の出来事があまりにも突然で、まだ現実感が伴っていないのだ。救えた――その事実に安堵しながらも、どこか夢の中の出来事のようだった。

到着した邸宅は、以前と変わらぬ静けさを保っていた。執事の案内で寝室へ向かうと、サーラ様とライラちゃんがベッドのそばで寄り添っていた。私は姿勢を正し、心からの気持ちを込めて頭を下げた。

「ハルシュタイン様のご回復、心よりお喜び申し上げます」

ハルシュタイン様は、どこか照れくさそうに目を伏せ、それでも優しく微笑んでくださった。涙ぐんだその瞳が、言葉以上の感謝を伝えているのが伝わってきた。

「……セレスティア嬢。わしを、この現世へ戻してくれて……ありがとう」

その言葉に、胸の奥がふっと緩み、思わず私も目頭が熱くなった。助けられたことは事実。でも、改めて本人の口から「ありがとう」と言われると、その重みがずしりと心に響く。

だが、その感動の空気を切り裂いたのは、ライラちゃんの無邪気すぎるひと言だった。

「ねぇ、セレスティア様……どうしてお祖父様にチュウしたの?」

場が凍りついた。私もディオラン様も、同時に「ハッ」と目を見開き、動けなくなった。

ま、まさか……私のファーストキス、記憶にある限りじゃ、もしかしてあのとき……!?

パニック寸前で、私は両手をぶんぶん振って否定した。

「ち、違います!あれは、いえ、あれこそが人命救助なんです!決して、けっして、初めてのキスなんかじゃありませんからっ!」

サーラ様に向き直り、ライラちゃんにも全力で説明する。

「本当に、ただの蘇生措置なんですっ……!」

するとサーラ様は、口元を押さえて笑いをこらえきれず、ついには小さく吹き出した。

「ふふ……では、セレスティア様が初めてお口付けしてくださったのですから、主人には長生きしてもらわないといけませんわね」

それを聞いたディオラン様までが、茶目っ気たっぷりに目を細めて、

「そりゃあ長生きせねばならんな。命の代償に、初めての口付けをいただいたのだから。初めてのお返しにわしの名前を呼んでも良いぞ。倒れた時に、必死にハルシュタイン様!と何度も呼んだらしいな。息子が微妙な顔してたぞ。」

と笑うものだから、場の空気が一気に和んだ。ライラちゃんはよく分かっていない様子できょとんとしていたが、それでも釣られてくすくすと笑い出した。

もう……勘弁してくださいよ……と私は頭を抱えた。

そんな中、ハルシュタイン様がふいに表情を引き締め、口を開いた。

「……セレスティア嬢。前世の記憶のことだが、わしは詳しくは聞いておらん。少し、説明してくれぬか。」

その声に応えるように、サーラ様がライラちゃんの手を引いて、そっと席を外してくださった。

私は、深く息を吐き、ゆっくりと話し始めた。

「……私には、前世の記憶があります。この世界とは違う、魔法のない世界で……私は、ごく普通の女性として生きていました。年齢は四十。夫と子供がいて、毎日、仕事に家事に育児に追われる、そんな日々を送っていました。ある日の帰り道、駅の階段で倒れ……それが、私の人生の終わりでした。そして、目を覚ましたときには、この世界で……伯爵家の娘として生を受けていたのです」

私は一度、視線を伏せ、声の調子を少し落とす。

「先日、ディオラン様をお助けするために使った装置は、その前世の世界で、命を救うために実際に使われていたものです」

しばらく、静かな沈黙が部屋を包んだ。

やがて、ディオラン様が静かに口を開いた。

「この件は、わしの胸の内にとどめておこう。秘密を打ち明けざるを得ない状況にしてしまって……すまなかった。だが、なぜそこまでして助けようとした?」

私は、はっきりと答えた。

「守るべき秘密よりも、大切な人の命の方が、ずっと重いです。誰かを失ってまで抱え込むような秘密に、意味なんてありません。ディオラン様は……私にとって、大切な方ですから」

その言葉に、彼はほんの少し目を伏せ、照れたように笑ってみせた。

「……なるほど。わしのために、初めてを捧げてくれるほど、大事に思ってくれているとは。だが残念ながら、わしにはサーラという伴侶がおるのでな……その気持ちには応えられんよ、セレスティア嬢」

「ちっ、違いますってばーっ!だからあれは心肺蘇生の一環であって、そもそもキスって言わないし!振られたみたいに言わないでくださいよーっ!」

「ワッハハハ!」

「もーっ!誰か助けてください~っ!」

笑いと涙が入り混じる、そんな午後のひととき。命が戻った日には、不思議と心まであたたかくなってしまうものらしい。
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