【青薔薇の献身】~涙を作る女~

宵森みなと

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第二幕 仮面の裏に灯る策略

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サーライン家の広間にて、マイラはナターシャとエリーザ、そして古くから仕える侍女たちから、ミレーヌの「日常」を聞き取っていた。彼女の癖、歩き方、使う香水、嗜好する紅茶の温度──あらゆる細部を、鋭い観察眼で拾い上げていく。

「うちの妹、何考えてるか分かんないって言われがちでね。あの鉄仮面さえ取れれば、もっと……」
ナターシャの言葉に、マイラは小さく頷いた。

「その仮面、逆に使えるな」

感情を表に出さず、誰にも心の内を読ませぬ“仮面”──それは女優としてこれ以上ない武器だった。人形のように静かな演技、感情の底が見えない怖さ。それが“本物のミレーヌ”だったのなら、マイラもまた、その仮面を被ることができた。

体調不良という建前のもと、久方ぶりに王宮に足を踏み入れることとなったマイラ。仕上げた外見は完璧。仕立て直されたドレスに、王妃教育を受けるに相応しい佇まい。心の奥に炎を灯しながらも、表情はまるで湖面のように静かだった。

「長らくお休み頂き、ありがとうございました。本日より、またご指導のほどよろしくお願い申し上げます」

その言葉を、無表情に、抑揚もなく淡々と述べた。目の前の王宮教育係は、冷えた視線でマイラ──否、“ミレーヌ”を見つめ返す。

「ミレーヌ様、王子妃となる方が体調を崩されるなど、あってはならないこと。失った時間を、必ず取り戻していただきますよ」

「承知いたしました」

揺るがぬ声音、伏せられた睫毛。完璧だ。教師の目にも、彼女が偽者であるとは微塵も映らなかった。

だが、真の試練はその先にあった。

──アルベルト王子との謁見。

「長らくお休みさせていただきました。体調も回復いたしましたので、本日より王子妃教育へ復帰致します。ご挨拶に伺いました」

王子の表情は読み取りにくかったが、その眼差しはどこかよそよそしく、むしろ困惑すら含んでいるように見えた。

「……体調は良くなったか?」

「はい」

その短いやり取りの後、静寂が落ちた。ふたりはただ向き合い、言葉を探すように沈黙した。

「ミレーヌ……いや、無理はするな。自宅へ戻って、体を休めてくれ」

「かしこまりました。それでは、御前を失礼いたします」

──これが、婚約者同士の会話か?

マイラは心の中で鼻を鳴らした。確かに、ふたりの間に“情”はない。これまで築かれた関係性は、政治と儀礼の皮で形だけ取り繕われていたのだ。

「ならば、そこに“恋”を置いてやればいい」

彼女の中で、次の一手が浮かんだ。

サーライン邸に戻るや否や、姉ナターシャに向かって口を開いた。

「ナターシャ様。王子の目を引く、ちょうどいい“当て馬”になりそうな令嬢はいませんかね」

ナターシャは少し考え、ふと肩をすくめた。

「……いるわよ。リリカっていう子。子爵家の娘で、顔は可愛いけど欲深くて、人の物を欲しがる癖があるの」

マイラの目がわずかに輝く。

「ぜひそのリリカ様、王宮に同行して頂けないでしょうか。仕掛けるにはうってつけの配役です」

「……まさか、本当に当て馬に使うつもり?……まぁいいわ。あなたが言うなら、手配してあげる」

翌日には手はずが整い、リリカとの対面が叶った。

案の定だった。リリカは、絵に描いたような“欲の花”だった。ふわりとしたドレスに身を包み、声をかけると、にっこりと微笑んでくる。

「ミレーヌ様が王子との会話が続かないって……わたくしでお役に立てるなら、ぜひとも」

チャンスが巡ってきたと悟ったのだろう。瞳が妖しく輝いていた。

「明日、王宮にお付き添い頂けますか?アルベルト様もきっと、新鮮なお顔を喜ばれるかと存じますの」

「ええ、もちろん。ミレーヌ様のご依頼なら、喜んでご一緒させていただくわ」

策士の微笑みと、愚かなる野心家の握手が静かに交わされた。


---

翌日。王宮の白い回廊を歩きながら、マイラは心を澄ませていた。

謁見の間で、アルベルト王子が現れると、マイラは柔らかく会釈をし、リリカを促した。

「アルベルト様。本日はわたくしの従姉妹、リリカ様をお連れいたしました。少し違った顔ぶれの方が、お気も召されるかと思いまして」

リリカは楚々とした仕草で前へ出ると、甘く、やや舌足らずに語りかけた。

「初めまして。ミレーヌ様の従姉妹、リリカと申します。今日はミレーヌ様のお心遣いで、お供させていただきましたの。お二人のお邪魔にならなければよいのですが……」

アルベルトの視線が揺れた。戸惑い、けれど、その目は確かにリリカを捉えていた。

──かかった。

マイラは内心でつぶやいた。

「すみません、教育係の先生に渡す物がございますので、少し席を外しますね。すぐ戻りますので、お二人でお過ごしくださいませ」

「えぇ、大丈夫ですわ。ゆっくり行ってらして」

マイラは静かに扉を閉めた。

──恋は芽吹かせるものではない。“用意する”ものなのだ。

その後も、マイラは計三度、リリカを連れて王宮を訪れた。表向きは“付き添い”。だが裏では、二人きりの時間を慎重に設け、王子とリリカの関係を育てるよう仕向けていった。

やがて、ふたりは密かに会うようになったという噂を、マイラの耳が拾った。

「……これで、舞台は整った」

あとは、愛を“理由”にした破談の演出──その瞬間を、静かに待つだけ。

こうして、舞台は終幕へと転がっていく。

誰にも気づかれぬように、微笑みを浮かべながら──仮面の奥で、マイラはただ静かに、幕が下りるその時を見つめていた。

やがて訪れる、あの夜会の夜。

鉄仮面の涙が、すべてを変えるとも知らずに。
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