4 / 5
第二幕 仮面の裏に灯る策略
しおりを挟む
サーライン家の広間にて、マイラはナターシャとエリーザ、そして古くから仕える侍女たちから、ミレーヌの「日常」を聞き取っていた。彼女の癖、歩き方、使う香水、嗜好する紅茶の温度──あらゆる細部を、鋭い観察眼で拾い上げていく。
「うちの妹、何考えてるか分かんないって言われがちでね。あの鉄仮面さえ取れれば、もっと……」
ナターシャの言葉に、マイラは小さく頷いた。
「その仮面、逆に使えるな」
感情を表に出さず、誰にも心の内を読ませぬ“仮面”──それは女優としてこれ以上ない武器だった。人形のように静かな演技、感情の底が見えない怖さ。それが“本物のミレーヌ”だったのなら、マイラもまた、その仮面を被ることができた。
体調不良という建前のもと、久方ぶりに王宮に足を踏み入れることとなったマイラ。仕上げた外見は完璧。仕立て直されたドレスに、王妃教育を受けるに相応しい佇まい。心の奥に炎を灯しながらも、表情はまるで湖面のように静かだった。
「長らくお休み頂き、ありがとうございました。本日より、またご指導のほどよろしくお願い申し上げます」
その言葉を、無表情に、抑揚もなく淡々と述べた。目の前の王宮教育係は、冷えた視線でマイラ──否、“ミレーヌ”を見つめ返す。
「ミレーヌ様、王子妃となる方が体調を崩されるなど、あってはならないこと。失った時間を、必ず取り戻していただきますよ」
「承知いたしました」
揺るがぬ声音、伏せられた睫毛。完璧だ。教師の目にも、彼女が偽者であるとは微塵も映らなかった。
だが、真の試練はその先にあった。
──アルベルト王子との謁見。
「長らくお休みさせていただきました。体調も回復いたしましたので、本日より王子妃教育へ復帰致します。ご挨拶に伺いました」
王子の表情は読み取りにくかったが、その眼差しはどこかよそよそしく、むしろ困惑すら含んでいるように見えた。
「……体調は良くなったか?」
「はい」
その短いやり取りの後、静寂が落ちた。ふたりはただ向き合い、言葉を探すように沈黙した。
「ミレーヌ……いや、無理はするな。自宅へ戻って、体を休めてくれ」
「かしこまりました。それでは、御前を失礼いたします」
──これが、婚約者同士の会話か?
マイラは心の中で鼻を鳴らした。確かに、ふたりの間に“情”はない。これまで築かれた関係性は、政治と儀礼の皮で形だけ取り繕われていたのだ。
「ならば、そこに“恋”を置いてやればいい」
彼女の中で、次の一手が浮かんだ。
サーライン邸に戻るや否や、姉ナターシャに向かって口を開いた。
「ナターシャ様。王子の目を引く、ちょうどいい“当て馬”になりそうな令嬢はいませんかね」
ナターシャは少し考え、ふと肩をすくめた。
「……いるわよ。リリカっていう子。子爵家の娘で、顔は可愛いけど欲深くて、人の物を欲しがる癖があるの」
マイラの目がわずかに輝く。
「ぜひそのリリカ様、王宮に同行して頂けないでしょうか。仕掛けるにはうってつけの配役です」
「……まさか、本当に当て馬に使うつもり?……まぁいいわ。あなたが言うなら、手配してあげる」
翌日には手はずが整い、リリカとの対面が叶った。
案の定だった。リリカは、絵に描いたような“欲の花”だった。ふわりとしたドレスに身を包み、声をかけると、にっこりと微笑んでくる。
「ミレーヌ様が王子との会話が続かないって……わたくしでお役に立てるなら、ぜひとも」
チャンスが巡ってきたと悟ったのだろう。瞳が妖しく輝いていた。
「明日、王宮にお付き添い頂けますか?アルベルト様もきっと、新鮮なお顔を喜ばれるかと存じますの」
「ええ、もちろん。ミレーヌ様のご依頼なら、喜んでご一緒させていただくわ」
策士の微笑みと、愚かなる野心家の握手が静かに交わされた。
---
翌日。王宮の白い回廊を歩きながら、マイラは心を澄ませていた。
謁見の間で、アルベルト王子が現れると、マイラは柔らかく会釈をし、リリカを促した。
「アルベルト様。本日はわたくしの従姉妹、リリカ様をお連れいたしました。少し違った顔ぶれの方が、お気も召されるかと思いまして」
リリカは楚々とした仕草で前へ出ると、甘く、やや舌足らずに語りかけた。
「初めまして。ミレーヌ様の従姉妹、リリカと申します。今日はミレーヌ様のお心遣いで、お供させていただきましたの。お二人のお邪魔にならなければよいのですが……」
アルベルトの視線が揺れた。戸惑い、けれど、その目は確かにリリカを捉えていた。
──かかった。
マイラは内心でつぶやいた。
「すみません、教育係の先生に渡す物がございますので、少し席を外しますね。すぐ戻りますので、お二人でお過ごしくださいませ」
「えぇ、大丈夫ですわ。ゆっくり行ってらして」
マイラは静かに扉を閉めた。
──恋は芽吹かせるものではない。“用意する”ものなのだ。
その後も、マイラは計三度、リリカを連れて王宮を訪れた。表向きは“付き添い”。だが裏では、二人きりの時間を慎重に設け、王子とリリカの関係を育てるよう仕向けていった。
やがて、ふたりは密かに会うようになったという噂を、マイラの耳が拾った。
「……これで、舞台は整った」
あとは、愛を“理由”にした破談の演出──その瞬間を、静かに待つだけ。
こうして、舞台は終幕へと転がっていく。
誰にも気づかれぬように、微笑みを浮かべながら──仮面の奥で、マイラはただ静かに、幕が下りるその時を見つめていた。
やがて訪れる、あの夜会の夜。
鉄仮面の涙が、すべてを変えるとも知らずに。
「うちの妹、何考えてるか分かんないって言われがちでね。あの鉄仮面さえ取れれば、もっと……」
ナターシャの言葉に、マイラは小さく頷いた。
「その仮面、逆に使えるな」
感情を表に出さず、誰にも心の内を読ませぬ“仮面”──それは女優としてこれ以上ない武器だった。人形のように静かな演技、感情の底が見えない怖さ。それが“本物のミレーヌ”だったのなら、マイラもまた、その仮面を被ることができた。
体調不良という建前のもと、久方ぶりに王宮に足を踏み入れることとなったマイラ。仕上げた外見は完璧。仕立て直されたドレスに、王妃教育を受けるに相応しい佇まい。心の奥に炎を灯しながらも、表情はまるで湖面のように静かだった。
「長らくお休み頂き、ありがとうございました。本日より、またご指導のほどよろしくお願い申し上げます」
その言葉を、無表情に、抑揚もなく淡々と述べた。目の前の王宮教育係は、冷えた視線でマイラ──否、“ミレーヌ”を見つめ返す。
「ミレーヌ様、王子妃となる方が体調を崩されるなど、あってはならないこと。失った時間を、必ず取り戻していただきますよ」
「承知いたしました」
揺るがぬ声音、伏せられた睫毛。完璧だ。教師の目にも、彼女が偽者であるとは微塵も映らなかった。
だが、真の試練はその先にあった。
──アルベルト王子との謁見。
「長らくお休みさせていただきました。体調も回復いたしましたので、本日より王子妃教育へ復帰致します。ご挨拶に伺いました」
王子の表情は読み取りにくかったが、その眼差しはどこかよそよそしく、むしろ困惑すら含んでいるように見えた。
「……体調は良くなったか?」
「はい」
その短いやり取りの後、静寂が落ちた。ふたりはただ向き合い、言葉を探すように沈黙した。
「ミレーヌ……いや、無理はするな。自宅へ戻って、体を休めてくれ」
「かしこまりました。それでは、御前を失礼いたします」
──これが、婚約者同士の会話か?
マイラは心の中で鼻を鳴らした。確かに、ふたりの間に“情”はない。これまで築かれた関係性は、政治と儀礼の皮で形だけ取り繕われていたのだ。
「ならば、そこに“恋”を置いてやればいい」
彼女の中で、次の一手が浮かんだ。
サーライン邸に戻るや否や、姉ナターシャに向かって口を開いた。
「ナターシャ様。王子の目を引く、ちょうどいい“当て馬”になりそうな令嬢はいませんかね」
ナターシャは少し考え、ふと肩をすくめた。
「……いるわよ。リリカっていう子。子爵家の娘で、顔は可愛いけど欲深くて、人の物を欲しがる癖があるの」
マイラの目がわずかに輝く。
「ぜひそのリリカ様、王宮に同行して頂けないでしょうか。仕掛けるにはうってつけの配役です」
「……まさか、本当に当て馬に使うつもり?……まぁいいわ。あなたが言うなら、手配してあげる」
翌日には手はずが整い、リリカとの対面が叶った。
案の定だった。リリカは、絵に描いたような“欲の花”だった。ふわりとしたドレスに身を包み、声をかけると、にっこりと微笑んでくる。
「ミレーヌ様が王子との会話が続かないって……わたくしでお役に立てるなら、ぜひとも」
チャンスが巡ってきたと悟ったのだろう。瞳が妖しく輝いていた。
「明日、王宮にお付き添い頂けますか?アルベルト様もきっと、新鮮なお顔を喜ばれるかと存じますの」
「ええ、もちろん。ミレーヌ様のご依頼なら、喜んでご一緒させていただくわ」
策士の微笑みと、愚かなる野心家の握手が静かに交わされた。
---
翌日。王宮の白い回廊を歩きながら、マイラは心を澄ませていた。
謁見の間で、アルベルト王子が現れると、マイラは柔らかく会釈をし、リリカを促した。
「アルベルト様。本日はわたくしの従姉妹、リリカ様をお連れいたしました。少し違った顔ぶれの方が、お気も召されるかと思いまして」
リリカは楚々とした仕草で前へ出ると、甘く、やや舌足らずに語りかけた。
「初めまして。ミレーヌ様の従姉妹、リリカと申します。今日はミレーヌ様のお心遣いで、お供させていただきましたの。お二人のお邪魔にならなければよいのですが……」
アルベルトの視線が揺れた。戸惑い、けれど、その目は確かにリリカを捉えていた。
──かかった。
マイラは内心でつぶやいた。
「すみません、教育係の先生に渡す物がございますので、少し席を外しますね。すぐ戻りますので、お二人でお過ごしくださいませ」
「えぇ、大丈夫ですわ。ゆっくり行ってらして」
マイラは静かに扉を閉めた。
──恋は芽吹かせるものではない。“用意する”ものなのだ。
その後も、マイラは計三度、リリカを連れて王宮を訪れた。表向きは“付き添い”。だが裏では、二人きりの時間を慎重に設け、王子とリリカの関係を育てるよう仕向けていった。
やがて、ふたりは密かに会うようになったという噂を、マイラの耳が拾った。
「……これで、舞台は整った」
あとは、愛を“理由”にした破談の演出──その瞬間を、静かに待つだけ。
こうして、舞台は終幕へと転がっていく。
誰にも気づかれぬように、微笑みを浮かべながら──仮面の奥で、マイラはただ静かに、幕が下りるその時を見つめていた。
やがて訪れる、あの夜会の夜。
鉄仮面の涙が、すべてを変えるとも知らずに。
58
あなたにおすすめの小説
助かったのはこちらですわ!~正妻の座を奪われた悪役?令嬢の鮮やかなる逆襲
水無月 星璃
恋愛
【悪役?令嬢シリーズ3作目】
エルディア帝国から、隣国・ヴァロワール王国のブランシェール辺境伯家に嫁いできたイザベラ。
夫、テオドール・ド・ブランシェールとの結婚式を終え、「さあ、妻として頑張りますわよ!」──と意気込んだのも束の間、またまたトラブル発生!?
今度は皇国の皇女がテオドールに嫁いでくることに!?
正妻から側妻への降格危機にも動じず、イザベラは静かにほくそ笑む。
1作目『お礼を言うのはこちらですわ!~婚約者も財産も、すべてを奪われた悪役?令嬢の華麗なる反撃』
2作目『謝罪するのはこちらですわ!~すべてを奪ってしまった悪役?令嬢の優雅なる防衛』
も、よろしくお願いいたしますわ!
追放令嬢の発酵工房 ~味覚を失った氷の辺境伯様が、私の『味噌スープ』で魔力回復(と溺愛)を始めました~
メルファン
恋愛
「貴様のような『腐敗令嬢』は王都に不要だ!」
公爵令嬢アリアは、前世の記憶を活かした「発酵・醸造」だけが生きがいの、少し変わった令嬢でした。 しかし、その趣味を「酸っぱい匂いだ」と婚約者の王太子殿下に忌避され、卒業パーティーの場で、派手な「聖女」を隣に置いた彼から婚約破棄と「北の辺境」への追放を言い渡されてしまいます。
「(北の辺境……! なんて素晴らしい響きでしょう!)」
王都の軟水と生ぬるい気候に満足できなかったアリアにとって、厳しい寒さとミネラル豊富な硬水が手に入る辺境は、むしろ最高の『仕込み』ができる夢の土地。 愛する『麹菌』だけをドレスに忍ばせ、彼女は喜んで追放を受け入れます。
辺境の廃墟でさっそく「発酵生活」を始めたアリア。 三週間かけて仕込んだ『味噌もどき』で「命のスープ」を味わっていると、氷のように美しい、しかし「生」の活力を一切感じさせない謎の男性と出会います。
「それを……私に、飲ませろ」
彼こそが、領地を守る呪いの代償で「味覚」を失い、生きる気力も魔力も枯渇しかけていた「氷の辺境伯」カシウスでした。
アリアのスープを一口飲んだ瞬間、カシウスの舌に、失われたはずの「味」が蘇ります。 「味が、する……!」 それは、彼の枯渇した魔力を湧き上がらせる、唯一の「命の味」でした。
「頼む、君の作ったあの『茶色いスープ』がないと、私は戦えない。君ごと私の城に来てくれ」
「腐敗」と捨てられた令嬢の地味な才能が、最強の辺境伯の「生きる意味」となる。 一方、アリアという「本物の活力源」を失った王都では、謎の「気力減退病」が蔓延し始めており……?
追放令嬢が、発酵と菌への愛だけで、氷の辺境伯様の胃袋と魔力(と心)を掴み取り、溺愛されるまでを描く、大逆転・発酵グルメロマンス!
異世界からの召喚者《完結》
アーエル
恋愛
中央神殿の敷地にある聖なる森に一筋の光が差し込んだ。
それは【異世界の扉】と呼ばれるもので、この世界の神に選ばれた使者が降臨されるという。
今回、招かれたのは若い女性だった。
☆他社でも公開
【完結】魔力の見えない公爵令嬢は、王国最強の魔術師でした
er
恋愛
「魔力がない」と婚約破棄された公爵令嬢リーナ。だが真実は逆だった――純粋魔力を持つ規格外の天才魔術師! 王立試験で元婚約者を圧倒し首席合格、宮廷魔術師団長すら降参させる。王宮を救う活躍で副団長に昇進、イケメン公爵様からの求愛も!? 一方、元婚約者は没落し後悔の日々……。見る目のなかった男たちへの完全勝利と、新たな恋の物語。
【完結】婚約破棄されたら、呪いが解けました
あきゅう
恋愛
人質として他国へ送られた王女ルルベルは、その国の人たちに虐げられ、婚約者の王子からも酷い扱いを受けていた。
この物語は、そんな王女が幸せを掴むまでのお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる