39 / 54
第三十八話 王城初勤務
しおりを挟む
三人そろって馬車に乗り込むと、王城へ向かう石畳の道を静かに走り出す。車内には言葉少なながらも、どこか落ち着いたぬくもりがあった。
二人は何も言わない。ただ、クラリスの手を交互に握りしめながら、時折そっと見つめ合うだけだった。
王城へ到着すると、門前ではすでにマークレン宰相の随行が待っていた。クラリスが馬車から降りると、随行員が恭しく一礼し、手短に言った。
「セラフィナ女伯爵様、業務説明室へご案内いたします。お二方は、通常通り本日の執務室へお入りください」
ここで、ふたりと別れる。
クラリスが振り返ると、イザークとライナルトは黙って小さく頷いた。それだけで、胸の奥が少し温かくなった。
「……行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「昼に……一度顔を見せる」
そうして別れ、クラリスは石造りの廊下を通って、王城の中を進んだ。
先導する随行員は実務的で淡々としていたが、道中の侍女や文官たちは噂に聞いていた“全属性持ちの新任女伯爵”の姿を見て、控えめながらも視線を送っていた。
「きっとこれから、ずっとこうなんだろうな」
王の命で授かった名と地位――それは新たな責任と期待の重圧でもあった。
けれど、怖くはなかった。これまで何度も試験に追われ、魔力の訓練に苦しみ、それでも一歩ずつ積み上げてきた自分を、今は少しだけ誇れるから。
案内された先は、王城西翼にある文官区画。壁には精緻な織物と、魔力制御のための封印術が施された装飾がなされ、淡い灯光石の明かりが部屋を穏やかに照らしていた。
扉を開けると、そこにはすでにマークレン宰相がいた。静かに紅茶を飲みながら、まるで最初からそこにいたような佇まいだった。
「座りなさい。初日とはいえ、すでに時間が惜しい」
クラリスは息を整えて一礼し、指定された椅子に腰を下ろす。
宰相は淡々とした声で言った。
「君の役割は、行政判断と魔力補佐の中間。実務としては、報告処理、封印補助、儀式時の魔力調律。……特例ではあるが、君の“回復魔法”に関する一切は、王直属の許可を得ない限り行ってはならない。これは絶対だ」
「承知いたしました」
「明日以降の担当業務は日替わりで割り振る。どれだけできるか、何を優先させるべきか、こちらが見極める。今日の午前中は文官業務の基礎確認、午後は小規模な魔力測定を行う。以上だ」
それだけ話すと、マークレンは再び紅茶に視線を戻した。
「何か……ご質問を?」
「いえ。ありません」
「そう。なら、動きやすい服装を選んだのは正解だったな。……意外と君は、“勘が良い”」
それは褒め言葉なのか、それとも皮肉なのか。
けれどクラリスは、あえて深く考えず、「ありがとうございます」とだけ返した。
こうして、クラリス・エルバーデ――いや、セラフィナ女伯爵としての新たな日々が静かに幕を開けた。
午後には、魔力量の測定室に通され、専門官たちが交代で彼女の魔力の「深度」と「揺らぎ」を確認した。全属性適性を持つ者は稀であるゆえに、測定側のほうが緊張していたようだった。
終業の時刻が近づいたころ、廊下の先に見覚えのある人影が現れた。
「クラリス、迎えに来た」
イザークだった。続いて、ライナルトも現れ、軽く頷いた。
「……どうだった、初日」
「うん……大丈夫。思っていたより、悪くなかった。まだ全部は掴めていないけど、頑張れそう」
その答えに、二人の表情がほんのり柔らかくなる。
「よくやった。……じゃあ、今日はご褒美のワインでも開けようか」
「夜は鍋にしよう。疲れた身体に温かいものを」
……こんな些細なやり取りが、今日一番嬉しかった。
クラリスはふたりの腕に挟まれながら、帰り道の馬車へと向かった。
肩の力がようやく抜けた気がして、ふと空を見上げる。
王城の塔の先、夕陽が赤く染まるその先に、彼女の新たな日々が少しずつ形を持ち始めていた。
二人は何も言わない。ただ、クラリスの手を交互に握りしめながら、時折そっと見つめ合うだけだった。
王城へ到着すると、門前ではすでにマークレン宰相の随行が待っていた。クラリスが馬車から降りると、随行員が恭しく一礼し、手短に言った。
「セラフィナ女伯爵様、業務説明室へご案内いたします。お二方は、通常通り本日の執務室へお入りください」
ここで、ふたりと別れる。
クラリスが振り返ると、イザークとライナルトは黙って小さく頷いた。それだけで、胸の奥が少し温かくなった。
「……行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「昼に……一度顔を見せる」
そうして別れ、クラリスは石造りの廊下を通って、王城の中を進んだ。
先導する随行員は実務的で淡々としていたが、道中の侍女や文官たちは噂に聞いていた“全属性持ちの新任女伯爵”の姿を見て、控えめながらも視線を送っていた。
「きっとこれから、ずっとこうなんだろうな」
王の命で授かった名と地位――それは新たな責任と期待の重圧でもあった。
けれど、怖くはなかった。これまで何度も試験に追われ、魔力の訓練に苦しみ、それでも一歩ずつ積み上げてきた自分を、今は少しだけ誇れるから。
案内された先は、王城西翼にある文官区画。壁には精緻な織物と、魔力制御のための封印術が施された装飾がなされ、淡い灯光石の明かりが部屋を穏やかに照らしていた。
扉を開けると、そこにはすでにマークレン宰相がいた。静かに紅茶を飲みながら、まるで最初からそこにいたような佇まいだった。
「座りなさい。初日とはいえ、すでに時間が惜しい」
クラリスは息を整えて一礼し、指定された椅子に腰を下ろす。
宰相は淡々とした声で言った。
「君の役割は、行政判断と魔力補佐の中間。実務としては、報告処理、封印補助、儀式時の魔力調律。……特例ではあるが、君の“回復魔法”に関する一切は、王直属の許可を得ない限り行ってはならない。これは絶対だ」
「承知いたしました」
「明日以降の担当業務は日替わりで割り振る。どれだけできるか、何を優先させるべきか、こちらが見極める。今日の午前中は文官業務の基礎確認、午後は小規模な魔力測定を行う。以上だ」
それだけ話すと、マークレンは再び紅茶に視線を戻した。
「何か……ご質問を?」
「いえ。ありません」
「そう。なら、動きやすい服装を選んだのは正解だったな。……意外と君は、“勘が良い”」
それは褒め言葉なのか、それとも皮肉なのか。
けれどクラリスは、あえて深く考えず、「ありがとうございます」とだけ返した。
こうして、クラリス・エルバーデ――いや、セラフィナ女伯爵としての新たな日々が静かに幕を開けた。
午後には、魔力量の測定室に通され、専門官たちが交代で彼女の魔力の「深度」と「揺らぎ」を確認した。全属性適性を持つ者は稀であるゆえに、測定側のほうが緊張していたようだった。
終業の時刻が近づいたころ、廊下の先に見覚えのある人影が現れた。
「クラリス、迎えに来た」
イザークだった。続いて、ライナルトも現れ、軽く頷いた。
「……どうだった、初日」
「うん……大丈夫。思っていたより、悪くなかった。まだ全部は掴めていないけど、頑張れそう」
その答えに、二人の表情がほんのり柔らかくなる。
「よくやった。……じゃあ、今日はご褒美のワインでも開けようか」
「夜は鍋にしよう。疲れた身体に温かいものを」
……こんな些細なやり取りが、今日一番嬉しかった。
クラリスはふたりの腕に挟まれながら、帰り道の馬車へと向かった。
肩の力がようやく抜けた気がして、ふと空を見上げる。
王城の塔の先、夕陽が赤く染まるその先に、彼女の新たな日々が少しずつ形を持ち始めていた。
708
あなたにおすすめの小説
断罪されてムカついたので、その場の勢いで騎士様にプロポーズかましたら、逃げれんようなった…
甘寧
恋愛
主人公リーゼは、婚約者であるロドルフ殿下に婚約破棄を告げられた。その傍らには、アリアナと言う子爵令嬢が勝ち誇った様にほくそ笑んでいた。
身に覚えのない罪を着せられ断罪され、頭に来たリーゼはロドルフの叔父にあたる騎士団長のウィルフレッドとその場の勢いだけで婚約してしまう。
だが、それはウィルフレッドもその場の勢いだと分かってのこと。すぐにでも婚約は撤回するつもりでいたのに、ウィルフレッドはそれを許してくれなくて…!?
利用した人物は、ドSで自分勝手で最低な団長様だったと後悔するリーゼだったが、傍から見れば過保護で執着心の強い団長様と言う印象。
周りは生暖かい目で二人を応援しているが、どうにも面白くないと思う者もいて…
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
『婚約なんて予定にないんですが!? 転生モブの私に公爵様が迫ってくる』
ヤオサカ
恋愛
この物語は完結しました。
現代で過労死した原田あかりは、愛読していた恋愛小説の世界に転生し、主人公の美しい姉を引き立てる“妹モブ”ティナ・ミルフォードとして生まれ変わる。今度こそ静かに暮らそうと決めた彼女だったが、絵の才能が公爵家嫡男ジークハルトの目に留まり、婚約を申し込まれてしまう。のんびり人生を望むティナと、穏やかに心を寄せるジーク――絵と愛が織りなす、やがて幸せな結婚へとつながる転生ラブストーリー。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
悪役令嬢は調理場に左遷されましたが、激ウマご飯で氷の魔公爵様を餌付けしてしまったようです~「もう離さない」って、胃袋の話ですか?~
咲月ねむと
恋愛
「君のような地味な女は、王太子妃にふさわしくない。辺境の『魔公爵』のもとへ嫁げ!」
卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢レティシア。
しかし、前世で日本人調理師だった彼女にとって、堅苦しい王妃教育から解放されることはご褒美でしかなかった。
「これで好きな料理が作れる!」
ウキウキで辺境へ向かった彼女を待っていたのは、荒れ果てた別邸と「氷の魔公爵」と恐れられるジルベール公爵。
冷酷無慈悲と噂される彼だったが――その正体は、ただの「極度の偏食家で、常に空腹で不機嫌なだけ」だった!?
レティシアが作る『肉汁溢れるハンバーグ』『とろとろオムライス』『伝説のプリン』に公爵の胃袋は即陥落。
「君の料理なしでは生きられない」
「一生そばにいてくれ」
と求愛されるが、色気より食い気のレティシアは「最高の就職先ゲット!」と勘違いして……?
一方、レティシアを追放した王太子たちは、王宮の食事が不味くなりすぎて絶望の淵に。今さら「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです!
美味しいご飯で幸せを掴む、空腹厳禁の異世界クッキング・ファンタジー!
【完結】氷の王太子に嫁いだら、毎晩甘やかされすぎて困っています
22時完結
恋愛
王国一の冷血漢と噂される王太子レオナード殿下。
誰に対しても冷たく、感情を見せることがないことから、「氷の王太子」と恐れられている。
そんな彼との政略結婚が決まったのは、公爵家の地味な令嬢リリア。
(殿下は私に興味なんてないはず……)
結婚前はそう思っていたのに――
「リリア、寒くないか?」
「……え?」
「もっとこっちに寄れ。俺の腕の中なら、温かいだろう?」
冷酷なはずの殿下が、新婚初夜から優しすぎる!?
それどころか、毎晩のように甘やかされ、気づけば離してもらえなくなっていた。
「お前の笑顔は俺だけのものだ。他の男に見せるな」
「こんなに可愛いお前を、冷たく扱うわけがないだろう?」
(ちょ、待ってください! 殿下、本当に氷のように冷たい人なんですよね!?)
結婚してみたら、噂とは真逆で、私にだけ甘すぎる旦那様だったようです――!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる