マリアンヌ皇女の策略

宵森みなと

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第5話 下準備ー舞台裏

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“セリーヌ王女”としてシンホニアへ輿入れする日が近づくなかで、マリアンヌは静かに、だが入念にその準備を進めていた。

シンホニア国は、縁談を自ら持ちかけておきながら、テストニア帝国を内心では警戒していた。
だからこそ、輿入れの際の同行者を「侍女と護衛はそれぞれ一人ずつ」という、驚くほど厳しい条件で制限してきたのだ。

その書状を受け取ったとき、マリアンヌはつい小さく吹き出してしまった。
――思った通りすぎて、拍子抜けするわ。

だが、そんなことはとうに織り込み済みだった。
数年前から、マリアンヌは信頼できる部下たちを少しずつシンホニアへ先遣させていた。

他国の者がシンホニアの地に足を踏み入れるには、まず巫女の張った結界を通らなければならない。
その結界は、悪意や深い思惑を持つ者を受けつけず、また滞在できる期間もせいぜい一ヶ月程度。
ゆえに、他国の者が長期滞在しようとするには、結界そのものを書き換える必要があり、それには膨大な費用と希少な魔道具が必要とされた。
現実的にそれが可能だったのは、潤沢な資金を持つ商会や、一部の名門貴族ぐらいのものだった。

だが、最初にその魔道具を開発したのは、他ならぬ姉のセリーヌである。
巫女に関する研究を進める中で、彼女が偶然たどり着いた発明だった。
その知識と技術を、マリアンヌは静かに、確実に利用していた。

部下たちは少しずつ情報を集め、王都周辺の要人への接触や、城内での足場固めを行っていた。
驚くべきことに、シンホニアの人々は、結界があることへの過信からか、内部への侵入を疑う様子はほとんどなかった。
むしろ、簡単すぎて不安になるほどだった。

中でも、巫女の誕生に関わる“ある秘密”は、帝国にとって大きな切り札となった。

シンホニアの巫女は、代々とある条件のもとに誕生していた。
それは王都の外れ、古い霊廟の傍に植えられた一本の老樹――レッドスプリンという赤い実をつける木にあった。
その実を妊婦が口にすることで、胎内の子に“巫女の力”が宿るというのだ。

だがその老樹も、樹齢千年を越え、年々実をつけなくなっていた。
仮に実がなっても、苦味が強くなり、妊婦たちに敬遠され、ついには誰も食べようとはしなくなった。

村の者たちは焦った。
このままでは新たな巫女は現れず、国の守りは綻んでしまう。

だが、その不安が現実となったのは、ある年のこと。
季節外れの暴風雨の夜、雷が霊廟に落ち、レッドスプリンの老樹は焼け落ちてしまった。

――もちろん、それは“偶然”ではなかった。

マリアンヌの配下が、雷に見せかけた細工を施し、老木に火を放ったのだ。

巫女の系譜は、その夜に終わりを告げた。
――もう、シンホニアには巫女は生まれない。
マリアンヌは静かに勝利を確信した。

戦争という形で攻め入ることもできた。
だが、結界が薄れた今でも、戦が国を荒らせば、国際的な反発や戦後処理に多くの問題を残す。
だからこそ、内部からの調略によって、無血で国を手に入れる――それが最善だと判断したのだ。

縁談が決まってからは、さらに何人かの部下を城内に送り込んだ。
思いのほか侵入が容易で、逆に疑わしく感じるほどだった。

一方で、マリアンヌはセリーヌの仕草や話し方、好きなお茶の種類から癖のある笑い声まで徹底的に観察し、模倣した。
時折、姉の友人たちとの茶会に“セリーヌ”として顔を出したが、誰にも気づかれなかった。

セリーヌは心の奥に、伯父アジルバの息子――つまり従兄のアレクシスへの恋心を秘めていた。
だが王女としての責任を果たす覚悟で政略結婚を受け入れるつもりだった。

マリアンヌの計画が明かされたとき、セリーヌは驚きと共に姿を隠さなければならなくなった。
そのときマリアンヌが提案したのは、母マリアベルの姉の亡くなった娘が「実は生きていた」ことにするという荒技だった。
セリーヌはその“ララシャ”として生きることになる。

「髪の色を変えてしまえば、従姉妹として違和感もないわ」
とマリアンヌが言うと、セリーヌは顔を真っ赤にし、視線を逸らした。

そんな中、アレクシスが膝をついて告げた。
「セリーヌ王女様。子どもの頃より、ずっとお慕い申し上げておりました。
どうか、わたくしの妻になっていただけませんか」

セリーヌは涙ぐみながら小さく頷き、
「はい……わたくしも、アレクシス様をずっとお慕い申し上げておりました。
末永く、お側においてくださいませ」と答えた。

アレクシスは喜びを露わにし、彼女を抱きしめる。
「……夢のようだ……セリーヌ、愛しているよ」
「ア、アレクシス様……わ、わたくしも……あ、愛してます……」

感動的な抱擁の空気が満ちるなか、マリアンヌが手をひらひらと振りながら一言。
「お姉様、アレクシス様。キスは……後で、お二人だけの時にどうぞ」

室内に控えめな笑いが広がった。

こうして、セリーヌは“ララシャ”として社交界に姿を現し、マリアンヌは“セリーヌ”として振る舞い、周囲には従姉妹同士で瓜二つの少女たちだという印象を与えた。

ララシャは、柔らかな茶髪と緑色の瞳――マリアベル皇后の姉譲りの穏やかな美貌。
セリーヌは、金髪に同じく緑の瞳。
双子のレベッカは父似で、黒髪に赤い瞳を持ち、マリアンヌは母と同じ青みがかった銀髪と緑の瞳。

そして、ついにその日が来た。

“留学”という名目で、マリアンヌがリノベラナ国へ出発する日。
この日から、マリアンヌはセリーヌとして、セリーヌはララシャとして生きることになる。

「行って参ります。皆様、どうかご自愛くださいませ」

そう言って、マリアンヌは静かに微笑み、馬車へと乗り込んだ。
港へ向かう道中も、笑顔を忘れず、留学に向かう王女を演じ切る。
航海中も優雅に紅茶を啜り、甲板から広がる海を眺めながら思った。

――さて、ここからが本番ね。

静かに、けれど確実に歯車は動き出していた。
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