マリアンヌ皇女の策略

宵森みなと

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第10話 白い舞台の幕引きー終演

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夜の気配がまだ城を包む頃、ミリアはひっそりと安全な地へと移されていた。
リノベラナ国――マリアンヌがかつて留学していた屋敷の一室。
そこなら誰にも気付かれず、静かに息を潜めることができる。
“影”は去り、“本当の舞台”はいよいよ幕を開ける。

残った部下たちは、緊張で張りつめた空気をまとっていた。
今から始まるのは、ただの芝居ではない。
セリーヌ王妃という存在を、鮮烈な記憶として王宮に刻みつける――そのための、最後の仕上げだった。

白いドレスを纏う。
それは祝祭のために誂えられたものでありながら、まるで花嫁が墓場へ歩む衣装のように、どこか悲しげな光を放っていた。
首元には、浮遊魔法を秘めた細工入りのネックレス。
見えない位置に血糊の小袋を仕込み、奥歯の奥には仮死状態をつくる薬。
全てが、綿密に計算された“舞台装置”だった。
持ち時間はおよそ二時間。――それだけあれば十分。

セリーヌは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すと、部屋を後にした。
虚ろな目、裸足のまま廊下をふらふらと進む姿は、周囲から見れば、哀れな王妃が心の均衡を失ったようにしか見えなかっただろう。
「王妃様、お待ちくださいませ!」
心配して近寄る侍女や護衛の手を、弱々しい動きで振り払いながら、彼女はまっすぐに大理石のバルコニーへ向かう。
その扉が開かれるのは、年に数度の祝祭か儀式の時だけだ。
だからこそ、劇的な舞台にふさわしい。

「王妃様、危険です! どうかお戻りを!」
護衛の騎士が慌てて立ちふさがった瞬間、セリーヌはゆっくりと立ち止まり、氷のような声で吐き捨てた。

「……無礼者。わたくしに触れること、許しておりません」

その声は、あの優しい王妃のものではなかった。
護衛は息を呑み、ただ立ち尽くすしかなかった。

窓が開け放たれた瞬間、冷たい風が大広間に流れ込み、重く張り詰めた空気が震える。
「セリーヌ王妃! どうかおやめください!」
ベルリア宰相の声をあげた。

セリーヌは振り返り、頬に涙を宿しながらも、どこか安らぎを帯びた微笑を浮かべる。
その笑顔は、哀しみと決意の混じった、見た者の胸に刺さる微笑だった。

「ベルリア……今まで本当にお世話になりました。
これからは、陛下と、陛下の愛する方を支えてあげてくださいませ。
……わたくしは、もう疲れましたの。愛が消えたなら、わたくしの居場所はどこにもありませんでしょう?」

その言葉と共に、セリーヌは静かに一礼した。
それは、最後の舞台で幕が下りる直前の、女優のカーテンコールのようだった。

そして、ためらいもなく手すりに足を掛ける。
「さようなら……」
かすかに微笑むその横顔は、白いドレスと同じくらい淡く、儚い。

次の瞬間、風を切る音だけが響いた。
計算された落下――地面に着く寸前まで速度を落とさないよう制御し、最後の瞬間に頭の血糊を潰し、奥歯の薬を噛む。
仮死の幕が下りるその刹那まで、すべてが演技だった。

「キャー!」
悲鳴が大広間を揺らす。
「セリーヌ王妃様!」
部下たちは叫び、わざと声を大きくして周囲に響かせる。
すべては段取り通り。――あとは、ライオネル兄様、よろしく。

そう思いながら、セリーヌは深い闇の中へ落ちていった。

目を覚ました時には、すでに衣服が着替えられており、柔らかな布の感触に包まれていた。
帝国へ向かうのだろうか――そう思いながら、まぶたを閉じる。
そして、ふと薄目を開けると、そこは謁見場だった。
ライオネル兄様の腕の中、懐かしい匂いがする。

「……マリアンヌ、もうよい。演技は終わりだ。ライオネルに甘えるのはやめなさい」
低く響く声に、彼女はゆっくり目を開き、視線だけで“下ろして”と伝えた。

マリアンヌは滑らかな所作でスカートの裾を摘み、深くカーテシーをした。

「テストニア帝国アルバトロス皇帝、マリアベル皇后へ、ご挨拶申し上げます。
ただいま戻りました。シンホニア国元王妃、セリーヌ改め、マリアンヌでございます」

長く続いた任務の終わり。
その瞬間、仮面は静かに外され、マリアンヌの本当の人生が再び動き出した。
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