マリアンヌ皇女の策略

宵森みなと

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第9話 王妃の微笑と涙の幕引きー過去

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夜会の熱気がようやく鎮まり、王城に静けさが戻った頃――
初夜の支度が整えられたことを知らされたセリーヌは、自室で深く息を吐いた。

「こんなこと、あなたに頼むなんて……本当にごめんなさい。でも、どうか、お願いね」

その言葉に頷いたのは、変装魔法を施した彼女と瓜二つの顔を持つ娼婦、ミリアだった。
その姿はまるで鏡に映したもう一人のセリーヌ。しかし彼女の瞳には、世を見通すような影と、誇りが同居していた。

「姫様……本当に、私でよろしいのですか? わたくしは娼婦ですのに」

その問いかけに、セリーヌは微かに微笑む。

「ミリアだからよ。あなたにしかできない役目だわ。初々しい振る舞いで、どうかサニエル陛下を夢中にさせて――。……ごめんなさいね、治癒魔法で、処女膜を戻させてしまって。宮廷医の検査を誤魔化すには、それしか方法がなかったの」

口元に手を添え、セリーヌは心から申し訳なさそうにうつむいた。
だがミリアは、そんな彼女の手をそっと握り返す。

「姫様には……私を娼館から引き上げていただき、家族の借金まで肩代わりしていただきました。今日という日は、きっと一生、忘れません。誠心誠意、セリーヌ姫として務めさせていただきます」

「……ありがとう、ミリア。あなたに頼めて、本当に良かった。どうか、お願いね」

その夜――
王のもとに送り出されたのは、セリーヌの顔を持つ“娼婦”だった。
そして、国王と“セリーヌ”が扉の向こうに籠もったまま、蜜月の時は一週間も続いた。

その間、真のセリーヌは別の顔で動いていた。
“マリアンヌ”としての留学は、一時的に信頼する部下へと委ねられた。変装と魔法で継がれた仮面劇。
昼の光の中では王妃として公務にあたり、夜の帳の中では、静かに息を潜めミリアに役を委ねた。

だが、王妃としての務めは決して軽んじられるものではなかった。
事務処理は事務官に任せつつも、視察、慰問、貴族夫人との茶会――
「やさしき王妃」という名に恥じぬよう、セリーヌは懸命に振る舞った。
いずれこの地を治めることになるライオネルのために、民の不信を少しでも和らげようと、心から努めていた。

そのかたわらで、セリーヌには気になる噂が届き始める。

「陛下から、わたくしの使う香水とは違う香りがするの……」
「今日、お茶会で聞いたの。陛下が街で誰かといたって……本日は確か視察の予定ではなかったかしら?」

心をひたひたと濡らす不安。微かな違和が、やがて言葉になって侍女に不安を溢す頃には、セリーヌの食も細くなり、頬の肉もすっかり落ちていた。
その異変は、周囲の誰の目にも明らかだった。

だが――国王サニエルは、何も語らなかった。
「セリーヌはいらぬ心配をしている」と、ベルリア宰相にだけ言葉を残し、アイリスとの関係について否定はしたものの、心当たりがある者には、その言葉が空虚に響いた。

一方のアイリスは、焦りを募らせていた。

「わたくしを、いつ側室に迎えていただけるのです? もう28歳ですのよ」
3年も夫婦として過ごしながら子を授からない王妃を前に、彼女は自らの立場を強化すべく、国王を急き立てていた。

そんな中、テストニア帝国より、ライオネル皇子率いる軍が来訪し、さらに隣国サルジーニ国の第一騎士団までもが一堂に会する軍事演習が始まった。
歓迎晩餐会の席に現れたセリーヌ王妃の姿は、誰が見ても憔悴しきっていた。
そのやつれた顔に、ライオネル皇子は眉をひそめ、優しく声をかけた。

「……姉上、お体は大丈夫でいらっしゃいますか?」

その何気ない問いかけは、場の空気を凍らせた。
ただの社交辞令にさえ、背後に隠された感情が滲み出る――
国の重臣たちも、ただ黙して杯に口をつけるしかなかった。

そして、夜が更けた頃――

「セリーヌ……もう3年だ。子もできぬままでは困る。そろそろアイリスを側室に迎えようと思っている。いいな?」
それが、国王サニエルから王妃セリーヌに告げられた無情な言葉だった。

一瞬、何を言われたのか理解できず、呆然と立ち尽くしたセリーヌ。
やがて大粒の涙が頬を伝い、唇を震わせながら、ぽつりとつぶやいた。

「……神の御前で、“ただ一人”と誓ったあの夜を、あなたはもう……お忘れになったのですね」

だが、サニエルはその言葉に顔をしかめ、声を荒らげた。

「側室の一人や二人を認めぬとは……子をなせぬ王妃の癖に!」

声が城中に響くような怒声だった。
セリーヌは震える肩を抑えながら、それでもサニエルを見上げた。

そして、何も言わずに踵を返し、静かに部屋を後にした。

……それが、サニエルが見た、セリーヌの最後の姿だったとは――
このとき、誰も知る由もなかった。
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