マリアンヌ皇女の策略

宵森みなと

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第8話 誓いの言葉と、揺れる視線の先にー過去

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シンホニア国に到着してからというもの、セリーヌ皇女の毎日は目まぐるしかった。母国でひととおり学んできた行儀作法は、ここでもほぼ通じたが、細かな所作や慣習の違いはやはり多く、気を抜ける暇がない。招待される貴族たちの名を覚え、式の進行を幾度も確認し、目まぐるしく時は過ぎていった。

そうして迎えた挙式当日の朝。空は嘘のように晴れわたり、穏やかな風が王都の街並みに祝福を送っていた。沿道は人々であふれ返り、パレードの行列に旗を振る姿があちこちで見られた。その光景に、セリーヌは胸の奥でじんわりと熱くなるものを感じた。遠く離れた地に、こうして迎え入れられているのだと。

神殿に着くと、控え室にはすでに父・アルバトロス皇帝と、母・マリアベル皇后が待っていた。その傍らには、厳しい表情の今は弟であるライオネルの姿もある。セリーヌはドレスの裾を摘み、丁寧にカーテシーをして頭を下げた。

「本日の挙式にご出席いただき、心より感謝申し上げます」

「変わりはないか? なにか困ったことは?」と皇帝が声をかけると、セリーヌはそっと微笑んだ。「寂しさはありましたが、こうしてお会いできて……心の霧が晴れたようですわ」

皇后が続けて問いかける。「サニエル陛下とは、うまくやっていけそう?」

「ええ。とてもお優しい方で、私……お父様とお母様のような夫婦になれそうだと、そう思っていますの」

微笑みのなかにほんのりと紅潮する頬を見て、皇帝夫妻は安堵したようにうなずいた。

まもなく挙式が始まるということで、家族たちは先に式場へと移動した。残された控え室には、化粧を整えるブライダルメイドとセリーヌの二人だけ。

「やはり、サニエル陛下は……彼女と別れてはいないようですね。沿道に姿がありました」

「ありがとう。予定通り、進めてちょうだい」

メイドは静かにうなずき、そっと紅を差した。

「整いました」

「ありがとう」

セリーヌは立ち上がり、まっすぐな足取りで式場へと向かった。扉が開き、スポットライトのような陽光が差し込む中を、ゆっくりと進む。その姿は、ため息を誘うほどに気高く美しく、参列者たちは思わず息を飲んだ。

神官長の声が、厳かに響く。

「これより、サニエル国王陛下とテストニア帝国第二皇女セリーヌ殿下の婚礼の儀を執り行います」

サニエルは真っ直ぐにセリーヌを見つめた。

「わたくし、サニエルは、セリーヌをただひとりの妻とし、愛し、守り、共にこの国を導くことを誓います」

続いてセリーヌが言葉を紡いだ。

「わたくし、セリーヌは、サニエル陛下をただひとりの夫とし、愛ある限り、この国の民と共に歩むことを誓います」

その瞬間、場内がざわめいた。王族が婚姻の場で「ただひとり」と明言することの意味を、誰もが理解していた。神官長が補足するように語った。

「この場に立ち会う皆様方、本日をもって、サニエル国王陛下とセリーヌ王妃は、一夫一妻の契りを結び、共に国を守り抜くことを誓われました」

――それは、帝国からの要求でもあった。側室や愛妾の存在を許さぬ、確固たる盟約の言葉。

挙式は滞りなく終わり、夜には豪奢な夜会が催された。そこには、貴族たちが次々と祝いの言葉を述べる中、ある令嬢の姿もあった――ランバード子爵家の娘、アイリス。

その名が読み上げられたとき、空気が一瞬、止まったようだった。彼女とサニエル国王の関係は、貴族の間では公然の秘密だったのだ。誰もが、帝国の皇女が正妃としてやって来た今、アイリスとの関係は清算されていると願っていた。だが――

視線が絡んだ。互いに目を逸らすその様は、ただの旧知とは言い難い。

「お二人は、お知り合いですの?」

セリーヌの柔らかな声に、サニエルは瞬時に応えた。

「ああ、昔からの……知り合いだ」

「まあ、そうでしたの。今も、お付き合いが?」

「いや、久しぶりに顔を見ただけで……」

「フフッ、よかったですわ。あまりにじっと見つめていらしたから、てっきり……恋人かと思ってしまいました。神殿で“ただひとり”と誓ったばかりですのに、もうお心変わりかと――」

笑顔のまま紡がれたその言葉に、周囲の空気は凍りついた。

そのとき、アルバトロス皇帝が静かに歩み寄り、会場全体に響くように口を開いた。

「セリーヌ、今日は大切な日だ。何かあっても、我ら帝国が君の背に立つ。なにせ、“ただひとり”と誓ったのは、陛下ご自身なのだからな」

牽制にも等しいその言葉に、会場の空気は再び張り詰めた。貴族たちの胸中に、帝国との盟約が重くのしかかる。

その後ろで、アイリスは俯いていた。彼女は信じていたのだ、正妃を迎えても、いつか自分が側室として迎え入れられると。しかし、今やその夢は、固く閉ざされた扉の向こうへ消えようとしていた。

マリアベル皇后は、娘の背後からそっと見守るように立ち、心中でひとつ、区切りをつけた。

――もう少し、泳がせるべきだったかしら。でも、仕方ないわね。親子揃って、似た者同士だから。

夜会の灯が揺れる中、運命の歯車は音もなく、静かに回り始めていた。
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