とある魔女の後悔

宵森みなと

文字の大きさ
4 / 13

第3話 仮面の妻、真実に迫る

しおりを挟む
「……実年齢より10歳上の貫禄、ね……。ま、やってやれないことはないわ」

鏡の前でため息をひとつついたサナリア——もといアリスティアは、艶のある栗色の髪を丁寧に結い上げた。
落ち着いた仕草、柔らかい微笑み、低めの声。目指すは、物静かで上品な“年上の女性”。
貴族の男を安心させ、懐に入り込むには、それが最も効果的と判断された。

「旦那様、あまり根を詰めるとお身体に障りますわ。一息入れませんか?」

執務室にそっと現れ、銀の盆に乗せた紅茶と焼き菓子を差し出す。
あくまで自然に、あくまで優しく。
ガニエルの視線がこちらに向けられた瞬間、アリスティアはとびきりの笑みを浮かべた。

「おお、サナリアか。せっかくのお茶だ、ちょっと休憩でもするかのう」

立ち上がる拍子に、一枚の紙がふわりと床に舞い落ちた。
アリスティアは素早く拾い上げ、無造作に置くように見せかけて内容を一瞥。
その瞬間、文章の内容は脳裏に焼き付けていた。

「さぁ、旦那様。今日は身体をほぐすハーブティーですのよ。それに合わせて、軽い焼き菓子を」

無味無臭の睡眠薬が、紅茶の中で穏やかに香りを殺している。
まず自ら口をつけ、安心感を与えてから、カップを差し出した。

「お疲れの旦那様に、ぜひ飲んでいただきたくて」

ガニエルは満足そうに一口飲み、「あ~……サナリアが言う通り、何だか体がふわっとしてくるな……眠くなる……」ととろけたような顔を浮かべた。

「まぁ……本当にお疲れだったのね。どうぞ、少しお休みくださいませ。わたくし、傍におりますから」

優しく手を握り、ソファに導き、ブランケットを掛けてやる。
まるで慈愛の化身を演じるかのように。

「サナリア……眠い……一刻経ったら……起こしてくれ……」

「ええ、もちろんですわ。旦那様」

眠気に負けて、彼の大きな体が沈み込む。
鼻息が安定し、瞬きが止まったのを確認して、アリスティアはすっと顔から笑みを消した。

(……完全に寝た)

静かに立ち上がり、机の上の書類に目を通す。
だが、目的の情報は見当たらない。引き出しもざっと調べたが、収穫はなかった。

(やはり、金庫か……。でも今は、まだ動くべきじゃないわね)

一歩踏み出すごとに警戒心が蘇る。
任務とはいえ、発覚すれば命はない。それが“潜入”の現実だった。

ため息を一つつき、再び献身的な“妻”へと表情を切り替えた。

「旦那様……旦那様、起きてくださいませ。もう一刻経ちましたわ」

ガニエルは脂に艶めく額をぬぐいながら、寝起きの目を細める。

「……もうそんな時間か。早いな」

「ええ。お身体もすっきりなさったようで、良かったですわ」

にこりと笑いながら、部屋を後にする。
芝居は順調だった。少なくとも、今のところは。

* * *

初夜の晩。
あれほどまでに緊張した夜はなかった。

「旦那様……わたくし……閨が、怖くて……前の夫に……暴力を……それが、トラウマになっていて……」

震える肩、涙ぐむ瞳、途切れがちな声。
この世で最もか弱い女性を演じる覚悟で臨んだ。

「……サナリア。そうだったのか。大丈夫だ、無理にとは言わない。君が落ち着くまで、待とう」

そう言って、ガニエルは手すら握ってこなかった。
——唇へのキスすらも、未だにない。
もちろん、それは義父カイザルとカインの命令があったからだ。

『キスすら許すな、絶対に。』

(過保護すぎない!?)

と、何度思ったことか。

だが、時間はあまりにも短い。
そろそろ限界だった。情報を掴むには、何か突破口が必要だった。

そんなある夜——

寝静まった屋敷に、そっと扉の開く音がした。
アリスティアは息を潜めて寝台を抜け出し、物音の方へ足音を殺して進む。

(……ガニエル?)

廊下の突き当たり。
彼は壁の一角を押すと、そこが静かに回転し、奥へと姿を消した。

——隠し扉。なるほど、そう来たか。

その夜は、確認だけして引き返した。
無理に追うにはリスクが高すぎた。

翌朝。
ガニエルが外出した隙に、アリスティアは再びあの壁の前に立った。

扉を開け、足音を殺して中へ入る。
細い螺旋階段を登った先には、小さな隠し部屋。

そこには、金の流れを示す帳簿、密輸の記録、裏帳簿。
揃いも揃って、“詰んでる”証拠品たちだった。

(……決まりね)

証拠は持ち出さず、必要な情報を頭に叩き込む。
その場で暗号に変換し、小さな紙にしたためた。
紙は小さな筒に収め、胸元の隙間にしまい込む。

——あとは、仲間に託すだけ。

* * *

「今日は何かおすすめ、あるかしら?」

厨房に現れた“仕入れ業者”に、それとなく問いかける。

「奥様、こちらのオレンジは採れたてで、美味しいですよ」

その手渡されたオレンジに、あらかじめ開けておいた穴へ筒を差し込む。

「……そうね。このオレンジはいいわ。あちらの苺を頂こうかしら」

「かしこまりました。では、苺はこちらに」

自然なやり取りの中で、情報は“果物”に偽装されて運び出された。

庭に出て薔薇を数本切り、玄関に飾るように庭師へ指示。
一連の流れは、すべて“脱出の段取り”だった。

そして、夕暮れ。

「ガニエル=ランベルク。貴殿に武器密輸の容疑がかかっている。屋敷を改めさせていただく」

軍部の調査隊が屋敷を包囲した。

「なっ、何のことだ!? 私は……私は無関係だ!」

ガニエルが声を荒げた瞬間、アリスティア——いや、サナリアは震える声を上げた。

「だ、旦那様……う、嘘ですわよね……?そんな……そんなことって……」

涙を滲ませ、身体を震わせる。
完璧な“驚きと絶望”の演技。
手は後ろで拘束され、目には光が宿っていない。

「妻は何も知らない!頼む、彼女を巻き込まないでくれ!」

ガニエルの叫びが響いたが、サナリアは意識を失ったふりをして崩れ落ちた。

「サナリア!? くそっ……妻に触るな!!」

軍人の腕に抱き上げられるサナリア。
ガニエルの怒声が、空しく響く。

——アリスティアの任務は、これで終わった。

目を閉じたまま、胸の奥で、静かに呟く。

(……あとは、処理班に任せるだけ)

長い、長い仮面の舞台。
ようやく、幕が下りようとしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

虐げられた私、ずっと一緒にいた精霊たちの王に愛される〜私が愛し子だなんて知りませんでした〜

ボタニカルseven
恋愛
「今までお世話になりました」 あぁ、これでやっとこの人たちから解放されるんだ。 「セレス様、行きましょう」 「ありがとう、リリ」 私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。 ある日精霊たちはいった。 「あの方が迎えに来る」 カクヨム/なろう様でも連載させていただいております

疑惑のタッセル

翠月 瑠々奈
恋愛
今、未婚の貴族の令嬢・令息の中で、王国の騎士たちにタッセルを渡すことが流行っていた。 目当ての相手に渡すタッセル。「房飾り」とも呼ばれ、糸や紐を束ねて作られた装飾品。様々な色やデザインで形作られている。 それは、騎士団炎の隊の隊長であるフリージアの剣にもついていた。 でもそれは──?

【完結】断罪された占星術師は、処刑前夜に星を詠む

佐倉穂波
恋愛
 星は、嘘をつかない。嘘をついていたのは——わたし自身だった。  王宮の卜部に勤める十七歳の占星術師リュシア・アストレアは、ある日、王太子妃候補の婚儀に「凶」の星を読んだ。星が告げるままに報告したに過ぎなかったのに、翌朝には牢に入れられていた。罪状は「占星術を用いて王家を惑わせ、王太子暗殺を画策した」こと。  言いがかりだ。  しかし、証明する術がない。  処刑は五日後の朝と告げられ、リュシアは窓もない石の牢に閉じ込められた。  そこで彼女は気づいてしまう。占いが外れ続けていた本当の理由に。  道具も星図もない暗闇の中で、生まれて初めて、星の声を正しく聞いた。  瞼の裏に広がる夜空が、告げる。  【王太子が、明後日の夜に殺される】  処刑前夜に視た予言を、誰が信じるというのか。それでも、若き宰相クラウス・ベルシュタインは深夜の牢へ足を運び、断罪された少女の言葉に耳を傾けた。  二人の出会いは、運命をどう変えていくのかーー。

カリスタは王命を受け入れる

真朱マロ
恋愛
第三王子の不始末で、馬に変えられた騎士との婚姻を命じられた公爵令嬢カリスタは、それを受け入れるのだった。 やがて真実の愛へと変わっていく二人の、はじまりの物語。 別サイトにも重複登校中

【完結】婚約破棄される未来見えてるので最初から婚約しないルートを選びます

22時完結
恋愛
レイリーナ・フォン・アーデルバルトは、美しく品格高い公爵令嬢。しかし、彼女はこの世界が乙女ゲームの世界であり、自分がその悪役令嬢であることを知っている。ある日、夢で見た記憶が現実となり、レイリーナとしての人生が始まる。彼女の使命は、悲惨な結末を避けて幸せを掴むこと。 エドウィン王子との婚約を避けるため、レイリーナは彼との接触を避けようとするが、彼の深い愛情に次第に心を開いていく。エドウィン王子から婚約を申し込まれるも、レイリーナは即答を避け、未来を築くために時間を求める。 悪役令嬢としての運命を変えるため、レイリーナはエドウィンとの関係を慎重に築きながら、新しい道を模索する。運命を超えて真実の愛を掴むため、彼女は一人の女性として成長し、幸せな未来を目指して歩み続ける。

勘違い令嬢の心の声

にのまえ
恋愛
僕の婚約者 シンシアの心の声が聞こえた。 シア、それは君の勘違いだ。

将来の嫁ぎ先は確保済みです……が?!

翠月 瑠々奈
恋愛
ある日階段から落ちて、とある物語を思い出した。 侯爵令息と男爵令嬢の秘密の恋…みたいな。 そしてここが、その話を基にした世界に酷似していることに気づく。 私は主人公の婚約者。話の流れからすれば破棄されることになる。 この歳で婚約破棄なんてされたら、名に傷が付く。 それでは次の結婚は望めない。 その前に、同じ前世の記憶がある男性との婚姻話を水面下で進めましょうか。

不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない

翠月 瑠々奈
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。 始めは夜会での振る舞いからだった。 それがさらに明らかになっていく。 機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。 おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。 そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?

処理中です...