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第2章 隣は何をする人ぞ
第8話
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とりあえず咲良は、パジャマ代わりの部屋着から着替えると急いでバルコニーへ出た。藤森が言うところの「近道」をくぐり、そして今、藤森宅のリビングのソファに落ち着きなく座っている。
思わずきょろきょろ辺りを見回わす。キッチン前のダイニングテーブルの椅子には無造作にスーツのジャケットが掛けてあり、その上にはずしたばかりのネクタイが置いてあった。
見たところ生活必需品は一通り揃っているようだが、余計なものがない分、同じ間取りでも広く感じる。目視できる床面積が多い分、掃除をするには合理的だろうが殺風景すぎて居心地が悪い。
「あのぉ、センセ?」
「ん? ああ、そうそう」
藤森に招き入れられ待つこと5分。キッチンに消えた藤森がコーヒーを持って現れたのはいいが、ちょっと休憩とまったりコーヒーをすすってないで、早く本題に入って欲しい。
そんな落ち着きない咲良の雰囲気を察したのか、藤森はちらり咲良を見やって思い出したように口を開いた。
「見せたいもの」
そう言って藤森はコーヒーカップを置くと立ち上がり、ダイニングテーブルにあった雑誌を咲良に差し出した。
表紙にはなんと読むのか"bonheur"の文字。
渡されるままぱらぱらとめくった。内容はファッションだったり、今流行の健康志向食品の特集や美容に関するものだったりと、よく、美容院で時間つぶしに渡される女性雑誌の類だ。
「その付箋がついたページ、開いてみて」
言われるがまま咲良がそのページを開くと、まるまる一頁ほど、ざっと読むだけでも分かる恋愛に関するコラムが載っている。
「…これが何か?」
渡された意味がわからず藤森に尋ねる。
「その前に。 俺の職業、もう知ってるよね」
「サッカセンセ、ですよね」
「当たり。いまだに先生って呼ばれるのに慣れないんだけどね。 っと、話を戻そうか。 その雑誌、知ってる?」
残念ながら咲良に雑誌類を含め読書の趣味は皆無。首を横に振れば、そっか、と藤森が言う。
「それ"ボヌール"って読むんだけど、実は今度そのコラム、俺が連載することになってね」
「はぁ、センセがこれを?」
「そう」
「作家って小説だけ書いてるんじゃないんですね」
「人によるな。俺の場合、色々やらなきゃ食ってけないし」
「人気作家なのに?」
「んー、ここ一年新刊出してないからどうだろう? 本は売れてなんぼだし」
「ふ~ん。 で、その色々が、恋愛コラム?」
咲良は皮肉を込めて口にした。
ただならぬ関係の女性が二人もいる男の恋愛観とは、いったいどんなものだか。
「あ、そんなの書けるのかって? 俺も同感。そもそも現在進行形で恋愛してないし、独身男の妄想恋愛話なんてキモいじゃん。その辺のとこ編集長もよく分かってるから、内容は恋愛限定じゃなくていいって言われてるんだ。ただし、読者は女性だって忘れるなって念押された。だから俺としては日常の出来事や感じた事を、女性が興味持ちそうなものに絡めて好きに書こうかと考えてる。だから、どちらかって言えばエッセイかな」
「はあ…エッセイ、ですか」
コラムとエッセイの違いがよくわからないが、なんでも好きに書けばいいじゃないかと思いながら咲良は生返事を返した。そもそもが咲良にとってはどうでもいいこと。
にしても。
今、さらっと現在進行形で恋愛してないって言いましたね。
確かに、本気で恋愛していたら二人と現在同時進行形はありえないだろう。多くの男の場合、心と体は別のようだが、好きな人を誰かと共有するなど絶対に嫌だ。
とはいえしょせんは他人事。隣人がどんな仕事を請けようが、何をしようが、迷惑さえかからなければどうぞご自由に。
咲良はまだ口をつけていなかったコーヒーを手にした。少しぬるくなりかけていたが、うん、香りも味も悪くない。カフェインが食欲のなかった胃に優しくはないことはわかっているが、美味しいと感じるだけ回復した証拠だ。
空っぽの胃に物が入ったせいか、この部屋に慣れてきたのか、気分が落ち着いてきた。
ふと咲良の視界に入る動く物体に目をやれば、ここの家主があごに手をやり、ぶつぶつと何かを呟きながらうろうろと目の前を左右に行ったり来たり。どうやら咲良の存在は忘れている様子。
人を呼びつけといて放置ですか。ま、いいけど。
咲良はソファの背もたれに深く背をかけ、ゆっくりとカップに口をつけた。藤森のあの様子だと、隔板のことなどもう頭にないだろう。もしかしたら、隔板は呼び出す口実だったのかもしれない。咲良が断れないと承知の上で。
昨日といい今日といい、コノヤロウ。
のこのことやって来た自分も自分だが、もう二度とこの手に乗るものか。
そう強く思うものの、特に腹は立たなかった。いいや、正確には、今日はもう腹を立てる体力が残っていないからだ。
藤森のひとり呟く声が子守唄に聞こえる。とすれば、襲ってくるのは睡魔。結局のところサッカセンセは何がしたかったのか。凡人の咲良にはさっぱりわからん。単に話し相手が欲しかったとか?
付き合ってられない。帰ろう。
決めたら即行動。
咲良は残りのコーヒーを喉に流し込むと空のカップをテーブルに置いた。
よし、タイミングを見計らって、言うぞ、帰りますって。
決心した途端、急に藤森の足が止まった。そして咲良に顔を向けたかと思うと、にこり笑いかけて言った。
「って感じなんだけど、どうだろう?」
え?
咲良は眉根を寄せた。いったい彼は咲良に対して何か話していただろうか?
そんな咲良を見て藤森が尋ねる。
「聞いてた?」
咲良はさらに眉根を寄せる。
まさか。あれは独り言でなくて咲良に話しかけていた?
どうする、正直に言うか、聞いてなかったと。
いやいや、もういいかげん帰りたいのだ。また一から説明されてはかなわない。
どうせ咲良にはコラムとエッセイの違いすらわからないのだし。
「も、もちろん、聞いてましたよ? エッセイ? でしょ? 好きに書いたら、いいと思いますけど?」
咲良は我ながら上手く応えたと思った。が、それを聞いた藤森の笑顔が一瞬、とーっても腹黒そうに見えたのは気のせいか?
「おお!ありがとう。そう言ってもらうと心強いな。でも念のため、再確認。 本当に好きに書いていい?」
「へ? どうぞご自由に書いたらいいんじゃないですか?」
返事をしながら咲良は首をかしげる。再確認?はて、なんだろう、妙になにか引っかかる。
ふと不安になる。ちょっと待った。咲良がそう言おうとした時、突如センセの口から飛び出したのは、咲良にとって一番の関心事。
「それで、隔板だけど」
当然そのワードに咲良は敏感に反応した。さっさと帰ろうとしていたことも、なにか引っかかりを感じたのも、二度とその手に乗るかという決意も吹き飛ばして。
「あれ、しばらくあのままでいいよね」
「・・・・・・?」
いいよね?そう言いました?
藤森の言葉を理解するのに数秒かかってしまった。あのままで?あれ?聞き間違いか?
そうだ、きっと睡魔がさせた聞き間違え。
「あ、あの、今、あのまま?って言いました?」
「うん、言ったよ。 だってさ、便利じゃん?」
「えっ?」
便利?
何言ってんの?
どこが?
何がっ?!
ちっともよくない!
この人何考えてるの?!あ゛ーーーっ、意味不明、理解不能!!
咲良の睡魔もふっ飛んだ。もちろんすぐに反論開始。
「便利って…っ!」
「ああ! それと昨日玄関ですれ違った女性」
藤森が同時に言葉を被せてきた。咲良より大きな声で。
反論開始のはずだった。なのに、言葉を遮られたのは咲良の方。どうやら藤森の目的は反論の阻止。彼はそのまま話題をすり替え、話の続きを止める気はないらしい。
「覚えてるよね。 あの人、その雑誌の編集長で俺の元上司。昨日は今回の件で来てたんだよね。滅多にないだろうけど、もしかしたらここに来ることもあるかと思うんだ。人手不足なのと、一応、名の知れた作家ってことで、編集長なのに俺の担当買って出てくれたらしい。君とは隣同士だし、昨日みたいに顔を合わせることもあるかと思うから、よろしく」
藤森がにこにことしながら咲良を見れば、軽蔑の眼差しが返ってきた。
どうやら彼の目論見は成功したらしい。
そう、咲良が睡魔の次にふっ飛ばしたのは隔板のこと。咲良の関心は今やバレッタ女だ。
編集長で元上司?
よろしくってなんですかそれ。
つまり、それって遠回しな言い訳?それとも、部屋に訪ねてきて二人きりになるけど不審に思うなって意味ですか?
今更のような気もしますが、センセ?
ああ、そうか。なるほど、口止めってこと?
「大丈夫ですって。私、誰にも、なーんにも言いませんから」
もちろん短パン女にもね。
心の中でそう付け加え、気を利かせたつもりで咲良はそう言ったのに、肝心のセンセはキョトンとした顔で首を傾げてこう言った。
「誰にも言わないって…なにか内緒の話なんかしたっけ? 」
おい、なんだそのとぼけた答えは。
それとも、わざとか?
「内緒話をしたんじゃなくて、内緒にしてってことでしょ?」
「は?」
傾げた首をさらに傾げるセンセ。
は?
藤森のセリフを咲良は心の中でリピートした。
は、じゃねえ、は、じゃ!
あーあ、はいはい、そうですか。
あくまでも編集長とその担当作家のていでいきたいんですね。
了解です、了解です。そうだそうだ所詮は他人事、咲良が気を揉む必要はない。
「はいはい、わかりました。編集長さんが訪ねて来るんですね。はい、もうそれでいーです」
またまたキョトンとするセンセ。
「何がもうそれでいーの? なんかさっきから話が見えないんだけど。 あっ、わかった、それ、やきもち? そっかそっか、なるほどね。もしかして俺に惚れちゃった?」
藤森が真顔で言う。
さすが作家だ。脳内で勝手なストーリーをでっち上げやがった。と、褒めてる場合じゃない。
ばかやろう。
会ったばかりで誰が惚れるかっ!
せっかく美味しいコーヒーで気を良くしたのに、なんでこうムカッとさせるんだろう。本当に今日はもう無駄な体力消耗は避けたいのに。
落ち着け。自分に言い聞かせるよう咲良は大きく深呼吸。他の事ならいざ知らず、惚れちゃった発言だけは訂正させて頂きたい。
そう、冷静に冷静に。勢いに任せ否定すれば、図星だからだと言われかねない。
「惚れたって?ご冗談を。 あのですね、話が見えないようなのでハッキリ言わせていただきますが、あんたが二股かけようが三股だろうが知ったこっちゃないって言ってるんですよ。それを誰かにチクるつもりもないって。もちろん短パン女にもね! とゆーことで、私には関係ないので巻き込まないで!」
言った。よし、帰る。
咲良が腰を上げると、目の前の三度キョトンとする藤森が口を開く。
「は?」
「…は?」
咲良はリピートした。今度は声に出して。
するとまたも藤森が「は?」と返す。
思わず咲良は額を抱え込んだ。
は、じゃねえ、は、じゃ!!
ああ、デジャブ?いや、現実!
もう!リピートアフタミーかよ!!
すると、藤森は何か考えるように視線を遠くにやる。ほんの数秒後、「ああ、なるほど」と、そんな呟きが聞こえた。
やっとか。咲良はそう思った。やっと理解したようだ。だが、呟いた藤森の肩がなぜかぶるぶる震えている。
次の瞬間、
「ぷっ、」
と藤森が小さく噴出した。そして、腹を抱えて大笑い。
「な、なっ…に?!」
何がそんなに可笑しいの?!
爆笑されるほど変なことを言った覚えはないと、咲良は腹を抱える藤森をキッと睨みつける。
「ち、違っ、あははは、ちょっ、待っ、ハハハハハ、やっぱね、アハハ…っ!」
何言ってんだか。
笑うか話すかどちらか希望。
てか、そこどけ、邪魔だ。
「ひ、あ、ハハ、ちょ、ちょっと、待って、ハハハ、腹、痛っ、そ、それ、ご、誤解、だから、アハハ、」
誤解?どこが?なにが?
「た、短パン、お、女? アハ、アハハハ、そう、そう、ハハハ、あははは…っ、アッハッハッハ!」
「………………」
ちゃんと喋れ。つーか、壊れたなこりゃ。
何がつぼにはまったのか、何がそんなに可笑しいのか。
話になんない。
「もう帰ります!」
「ちょっ、待って、てッ、アハッ、そ、それ、その短パン女って、きみ、が、掃除に、ははは、来た日の、」
「そーですよ。もう、そこどいて下さいって。帰るんです!」
「だから、待ってよ。ははっ。聞いて。 あの、時、ひぃ、アハハ、いた、から、アハハハハ、」
「…いた?」
一歩踏み出そうとした咲良の足が止まった。
「へ、編、集長もっ、ハハっ、一緒に、いて、ハハハ、三、人で、せっ…で、し、と、ひぃッ、してたから、ご、誤解、だ、よ、アハハハ、」
「?????」
こいつ、なんていった?
一緒に?
三人で?
せっ…?
してた?
藤森を凝視していた咲良の瞳が大きく見開いた。
「さんっ…!」
ぴーーーーーッ!!!(自主規制だわよ!)
叫びそうになって咲良は自分の口をおさえた。
こんな告白、していいの!?
咲良の腰が再びソファに落ちる。
藤森は…まだ笑い転げている。
思わずきょろきょろ辺りを見回わす。キッチン前のダイニングテーブルの椅子には無造作にスーツのジャケットが掛けてあり、その上にはずしたばかりのネクタイが置いてあった。
見たところ生活必需品は一通り揃っているようだが、余計なものがない分、同じ間取りでも広く感じる。目視できる床面積が多い分、掃除をするには合理的だろうが殺風景すぎて居心地が悪い。
「あのぉ、センセ?」
「ん? ああ、そうそう」
藤森に招き入れられ待つこと5分。キッチンに消えた藤森がコーヒーを持って現れたのはいいが、ちょっと休憩とまったりコーヒーをすすってないで、早く本題に入って欲しい。
そんな落ち着きない咲良の雰囲気を察したのか、藤森はちらり咲良を見やって思い出したように口を開いた。
「見せたいもの」
そう言って藤森はコーヒーカップを置くと立ち上がり、ダイニングテーブルにあった雑誌を咲良に差し出した。
表紙にはなんと読むのか"bonheur"の文字。
渡されるままぱらぱらとめくった。内容はファッションだったり、今流行の健康志向食品の特集や美容に関するものだったりと、よく、美容院で時間つぶしに渡される女性雑誌の類だ。
「その付箋がついたページ、開いてみて」
言われるがまま咲良がそのページを開くと、まるまる一頁ほど、ざっと読むだけでも分かる恋愛に関するコラムが載っている。
「…これが何か?」
渡された意味がわからず藤森に尋ねる。
「その前に。 俺の職業、もう知ってるよね」
「サッカセンセ、ですよね」
「当たり。いまだに先生って呼ばれるのに慣れないんだけどね。 っと、話を戻そうか。 その雑誌、知ってる?」
残念ながら咲良に雑誌類を含め読書の趣味は皆無。首を横に振れば、そっか、と藤森が言う。
「それ"ボヌール"って読むんだけど、実は今度そのコラム、俺が連載することになってね」
「はぁ、センセがこれを?」
「そう」
「作家って小説だけ書いてるんじゃないんですね」
「人によるな。俺の場合、色々やらなきゃ食ってけないし」
「人気作家なのに?」
「んー、ここ一年新刊出してないからどうだろう? 本は売れてなんぼだし」
「ふ~ん。 で、その色々が、恋愛コラム?」
咲良は皮肉を込めて口にした。
ただならぬ関係の女性が二人もいる男の恋愛観とは、いったいどんなものだか。
「あ、そんなの書けるのかって? 俺も同感。そもそも現在進行形で恋愛してないし、独身男の妄想恋愛話なんてキモいじゃん。その辺のとこ編集長もよく分かってるから、内容は恋愛限定じゃなくていいって言われてるんだ。ただし、読者は女性だって忘れるなって念押された。だから俺としては日常の出来事や感じた事を、女性が興味持ちそうなものに絡めて好きに書こうかと考えてる。だから、どちらかって言えばエッセイかな」
「はあ…エッセイ、ですか」
コラムとエッセイの違いがよくわからないが、なんでも好きに書けばいいじゃないかと思いながら咲良は生返事を返した。そもそもが咲良にとってはどうでもいいこと。
にしても。
今、さらっと現在進行形で恋愛してないって言いましたね。
確かに、本気で恋愛していたら二人と現在同時進行形はありえないだろう。多くの男の場合、心と体は別のようだが、好きな人を誰かと共有するなど絶対に嫌だ。
とはいえしょせんは他人事。隣人がどんな仕事を請けようが、何をしようが、迷惑さえかからなければどうぞご自由に。
咲良はまだ口をつけていなかったコーヒーを手にした。少しぬるくなりかけていたが、うん、香りも味も悪くない。カフェインが食欲のなかった胃に優しくはないことはわかっているが、美味しいと感じるだけ回復した証拠だ。
空っぽの胃に物が入ったせいか、この部屋に慣れてきたのか、気分が落ち着いてきた。
ふと咲良の視界に入る動く物体に目をやれば、ここの家主があごに手をやり、ぶつぶつと何かを呟きながらうろうろと目の前を左右に行ったり来たり。どうやら咲良の存在は忘れている様子。
人を呼びつけといて放置ですか。ま、いいけど。
咲良はソファの背もたれに深く背をかけ、ゆっくりとカップに口をつけた。藤森のあの様子だと、隔板のことなどもう頭にないだろう。もしかしたら、隔板は呼び出す口実だったのかもしれない。咲良が断れないと承知の上で。
昨日といい今日といい、コノヤロウ。
のこのことやって来た自分も自分だが、もう二度とこの手に乗るものか。
そう強く思うものの、特に腹は立たなかった。いいや、正確には、今日はもう腹を立てる体力が残っていないからだ。
藤森のひとり呟く声が子守唄に聞こえる。とすれば、襲ってくるのは睡魔。結局のところサッカセンセは何がしたかったのか。凡人の咲良にはさっぱりわからん。単に話し相手が欲しかったとか?
付き合ってられない。帰ろう。
決めたら即行動。
咲良は残りのコーヒーを喉に流し込むと空のカップをテーブルに置いた。
よし、タイミングを見計らって、言うぞ、帰りますって。
決心した途端、急に藤森の足が止まった。そして咲良に顔を向けたかと思うと、にこり笑いかけて言った。
「って感じなんだけど、どうだろう?」
え?
咲良は眉根を寄せた。いったい彼は咲良に対して何か話していただろうか?
そんな咲良を見て藤森が尋ねる。
「聞いてた?」
咲良はさらに眉根を寄せる。
まさか。あれは独り言でなくて咲良に話しかけていた?
どうする、正直に言うか、聞いてなかったと。
いやいや、もういいかげん帰りたいのだ。また一から説明されてはかなわない。
どうせ咲良にはコラムとエッセイの違いすらわからないのだし。
「も、もちろん、聞いてましたよ? エッセイ? でしょ? 好きに書いたら、いいと思いますけど?」
咲良は我ながら上手く応えたと思った。が、それを聞いた藤森の笑顔が一瞬、とーっても腹黒そうに見えたのは気のせいか?
「おお!ありがとう。そう言ってもらうと心強いな。でも念のため、再確認。 本当に好きに書いていい?」
「へ? どうぞご自由に書いたらいいんじゃないですか?」
返事をしながら咲良は首をかしげる。再確認?はて、なんだろう、妙になにか引っかかる。
ふと不安になる。ちょっと待った。咲良がそう言おうとした時、突如センセの口から飛び出したのは、咲良にとって一番の関心事。
「それで、隔板だけど」
当然そのワードに咲良は敏感に反応した。さっさと帰ろうとしていたことも、なにか引っかかりを感じたのも、二度とその手に乗るかという決意も吹き飛ばして。
「あれ、しばらくあのままでいいよね」
「・・・・・・?」
いいよね?そう言いました?
藤森の言葉を理解するのに数秒かかってしまった。あのままで?あれ?聞き間違いか?
そうだ、きっと睡魔がさせた聞き間違え。
「あ、あの、今、あのまま?って言いました?」
「うん、言ったよ。 だってさ、便利じゃん?」
「えっ?」
便利?
何言ってんの?
どこが?
何がっ?!
ちっともよくない!
この人何考えてるの?!あ゛ーーーっ、意味不明、理解不能!!
咲良の睡魔もふっ飛んだ。もちろんすぐに反論開始。
「便利って…っ!」
「ああ! それと昨日玄関ですれ違った女性」
藤森が同時に言葉を被せてきた。咲良より大きな声で。
反論開始のはずだった。なのに、言葉を遮られたのは咲良の方。どうやら藤森の目的は反論の阻止。彼はそのまま話題をすり替え、話の続きを止める気はないらしい。
「覚えてるよね。 あの人、その雑誌の編集長で俺の元上司。昨日は今回の件で来てたんだよね。滅多にないだろうけど、もしかしたらここに来ることもあるかと思うんだ。人手不足なのと、一応、名の知れた作家ってことで、編集長なのに俺の担当買って出てくれたらしい。君とは隣同士だし、昨日みたいに顔を合わせることもあるかと思うから、よろしく」
藤森がにこにことしながら咲良を見れば、軽蔑の眼差しが返ってきた。
どうやら彼の目論見は成功したらしい。
そう、咲良が睡魔の次にふっ飛ばしたのは隔板のこと。咲良の関心は今やバレッタ女だ。
編集長で元上司?
よろしくってなんですかそれ。
つまり、それって遠回しな言い訳?それとも、部屋に訪ねてきて二人きりになるけど不審に思うなって意味ですか?
今更のような気もしますが、センセ?
ああ、そうか。なるほど、口止めってこと?
「大丈夫ですって。私、誰にも、なーんにも言いませんから」
もちろん短パン女にもね。
心の中でそう付け加え、気を利かせたつもりで咲良はそう言ったのに、肝心のセンセはキョトンとした顔で首を傾げてこう言った。
「誰にも言わないって…なにか内緒の話なんかしたっけ? 」
おい、なんだそのとぼけた答えは。
それとも、わざとか?
「内緒話をしたんじゃなくて、内緒にしてってことでしょ?」
「は?」
傾げた首をさらに傾げるセンセ。
は?
藤森のセリフを咲良は心の中でリピートした。
は、じゃねえ、は、じゃ!
あーあ、はいはい、そうですか。
あくまでも編集長とその担当作家のていでいきたいんですね。
了解です、了解です。そうだそうだ所詮は他人事、咲良が気を揉む必要はない。
「はいはい、わかりました。編集長さんが訪ねて来るんですね。はい、もうそれでいーです」
またまたキョトンとするセンセ。
「何がもうそれでいーの? なんかさっきから話が見えないんだけど。 あっ、わかった、それ、やきもち? そっかそっか、なるほどね。もしかして俺に惚れちゃった?」
藤森が真顔で言う。
さすが作家だ。脳内で勝手なストーリーをでっち上げやがった。と、褒めてる場合じゃない。
ばかやろう。
会ったばかりで誰が惚れるかっ!
せっかく美味しいコーヒーで気を良くしたのに、なんでこうムカッとさせるんだろう。本当に今日はもう無駄な体力消耗は避けたいのに。
落ち着け。自分に言い聞かせるよう咲良は大きく深呼吸。他の事ならいざ知らず、惚れちゃった発言だけは訂正させて頂きたい。
そう、冷静に冷静に。勢いに任せ否定すれば、図星だからだと言われかねない。
「惚れたって?ご冗談を。 あのですね、話が見えないようなのでハッキリ言わせていただきますが、あんたが二股かけようが三股だろうが知ったこっちゃないって言ってるんですよ。それを誰かにチクるつもりもないって。もちろん短パン女にもね! とゆーことで、私には関係ないので巻き込まないで!」
言った。よし、帰る。
咲良が腰を上げると、目の前の三度キョトンとする藤森が口を開く。
「は?」
「…は?」
咲良はリピートした。今度は声に出して。
するとまたも藤森が「は?」と返す。
思わず咲良は額を抱え込んだ。
は、じゃねえ、は、じゃ!!
ああ、デジャブ?いや、現実!
もう!リピートアフタミーかよ!!
すると、藤森は何か考えるように視線を遠くにやる。ほんの数秒後、「ああ、なるほど」と、そんな呟きが聞こえた。
やっとか。咲良はそう思った。やっと理解したようだ。だが、呟いた藤森の肩がなぜかぶるぶる震えている。
次の瞬間、
「ぷっ、」
と藤森が小さく噴出した。そして、腹を抱えて大笑い。
「な、なっ…に?!」
何がそんなに可笑しいの?!
爆笑されるほど変なことを言った覚えはないと、咲良は腹を抱える藤森をキッと睨みつける。
「ち、違っ、あははは、ちょっ、待っ、ハハハハハ、やっぱね、アハハ…っ!」
何言ってんだか。
笑うか話すかどちらか希望。
てか、そこどけ、邪魔だ。
「ひ、あ、ハハ、ちょ、ちょっと、待って、ハハハ、腹、痛っ、そ、それ、ご、誤解、だから、アハハ、」
誤解?どこが?なにが?
「た、短パン、お、女? アハ、アハハハ、そう、そう、ハハハ、あははは…っ、アッハッハッハ!」
「………………」
ちゃんと喋れ。つーか、壊れたなこりゃ。
何がつぼにはまったのか、何がそんなに可笑しいのか。
話になんない。
「もう帰ります!」
「ちょっ、待って、てッ、アハッ、そ、それ、その短パン女って、きみ、が、掃除に、ははは、来た日の、」
「そーですよ。もう、そこどいて下さいって。帰るんです!」
「だから、待ってよ。ははっ。聞いて。 あの、時、ひぃ、アハハ、いた、から、アハハハハ、」
「…いた?」
一歩踏み出そうとした咲良の足が止まった。
「へ、編、集長もっ、ハハっ、一緒に、いて、ハハハ、三、人で、せっ…で、し、と、ひぃッ、してたから、ご、誤解、だ、よ、アハハハ、」
「?????」
こいつ、なんていった?
一緒に?
三人で?
せっ…?
してた?
藤森を凝視していた咲良の瞳が大きく見開いた。
「さんっ…!」
ぴーーーーーッ!!!(自主規制だわよ!)
叫びそうになって咲良は自分の口をおさえた。
こんな告白、していいの!?
咲良の腰が再びソファに落ちる。
藤森は…まだ笑い転げている。
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ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
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