13 / 25
サチ
しおりを挟む
「なにかあたしに訊きたいことがあるんだって?」
サチが悟の居室にやってきたのは、薄らと小雨の降る昼下がりのことだった。
部屋に入って来るなりの突然の問いすぎて、悟は言葉に詰まった。
サチはそれを気にする様子もなく、鏡台の前あたりに膝を崩した。
湯を使ってきたばかりなのだろう、ほんのりと湿った髪からは石鹸の甘い香りがした。
その香りに触れるとなぜだか悟は落ち着いて、いささかぎこちなくだが頷くことができた。
するとサチは長い髪をかき上げながらにっと歯を見せて笑った。
「なんでも言ってごらん。答えられることなら答えるからさ。」
ふわりと漂うせっけんの香りに押されるように、悟は口を開く。
「蝉さんの、ことなんですけど。」
「蝉?」
意外そうに声を高くしたサチは、すぐに自分の失態を恥じるように肩を竦め、悟に手真似で先を促した。
「蝉さんが脚抜けをしたって聞いたんですけど……。」
「脚抜け? ああ、瀬戸さんから聞いたんだね。」
「はい。」
「瀬戸さんは薫を気に入ってたからね。」
「薫、さん?」
「蝉の脚抜け相手だよ。」
一旦言葉を切って、サチは俯くようにして低く笑った。その笑みは、どことなく暗みを帯びているようだった。
「そのくせ蝉が密告したんだよね。薫が脚抜けするって。」
「蝉さんが?」
「そう。あいつ、めんどくさいことが嫌いでしょ。だからじゃないの。」
「薫さんは、どうなったんですか? 」
「逃げ切ったよ。今はどこでなにしてんだろうね。」
「逃げ切った……。」
「そう。前借金踏み倒して、夜中のうちにどっか逃げた。蝉がちくったんだけど一足遅くてね。薫が逃げた後だったんだ。」
「蝉さんは、一緒に行かなかったんですね。」
「あいつはめんどくさいことはしないのよ。」
そんなことを知りたかったのね、とサチは笑った。
「客のあしらいだとか、そんなことかと思ったわよ。」
短い沈黙が落ちた。サチは悟の顔を覗き込んで、彼の言葉を待っているようだった。
「……蝉さんと薫さんは、恋人同士だったんですか?」
なんとか絞り出した言葉に、サチはあっさり頷いて見せた。
「そうでしょ。じゃないと二人で脚抜けなんて話にならないもんね。」
「でも、蝉さんは……。」
「そう。ちくった。」
最低だよね、と、サチが歌うように言う。
「あの頃はあたしもガキだったからよく分ってなかったけど、今思えば蝉と薫ができてることくらい、一目瞭然だったんだろうね。いつか二人で脚抜けするんじゃないかって、あの頃の遣り手も疑ってたみたいだったし。」
サチが悟の居室にやってきたのは、薄らと小雨の降る昼下がりのことだった。
部屋に入って来るなりの突然の問いすぎて、悟は言葉に詰まった。
サチはそれを気にする様子もなく、鏡台の前あたりに膝を崩した。
湯を使ってきたばかりなのだろう、ほんのりと湿った髪からは石鹸の甘い香りがした。
その香りに触れるとなぜだか悟は落ち着いて、いささかぎこちなくだが頷くことができた。
するとサチは長い髪をかき上げながらにっと歯を見せて笑った。
「なんでも言ってごらん。答えられることなら答えるからさ。」
ふわりと漂うせっけんの香りに押されるように、悟は口を開く。
「蝉さんの、ことなんですけど。」
「蝉?」
意外そうに声を高くしたサチは、すぐに自分の失態を恥じるように肩を竦め、悟に手真似で先を促した。
「蝉さんが脚抜けをしたって聞いたんですけど……。」
「脚抜け? ああ、瀬戸さんから聞いたんだね。」
「はい。」
「瀬戸さんは薫を気に入ってたからね。」
「薫、さん?」
「蝉の脚抜け相手だよ。」
一旦言葉を切って、サチは俯くようにして低く笑った。その笑みは、どことなく暗みを帯びているようだった。
「そのくせ蝉が密告したんだよね。薫が脚抜けするって。」
「蝉さんが?」
「そう。あいつ、めんどくさいことが嫌いでしょ。だからじゃないの。」
「薫さんは、どうなったんですか? 」
「逃げ切ったよ。今はどこでなにしてんだろうね。」
「逃げ切った……。」
「そう。前借金踏み倒して、夜中のうちにどっか逃げた。蝉がちくったんだけど一足遅くてね。薫が逃げた後だったんだ。」
「蝉さんは、一緒に行かなかったんですね。」
「あいつはめんどくさいことはしないのよ。」
そんなことを知りたかったのね、とサチは笑った。
「客のあしらいだとか、そんなことかと思ったわよ。」
短い沈黙が落ちた。サチは悟の顔を覗き込んで、彼の言葉を待っているようだった。
「……蝉さんと薫さんは、恋人同士だったんですか?」
なんとか絞り出した言葉に、サチはあっさり頷いて見せた。
「そうでしょ。じゃないと二人で脚抜けなんて話にならないもんね。」
「でも、蝉さんは……。」
「そう。ちくった。」
最低だよね、と、サチが歌うように言う。
「あの頃はあたしもガキだったからよく分ってなかったけど、今思えば蝉と薫ができてることくらい、一目瞭然だったんだろうね。いつか二人で脚抜けするんじゃないかって、あの頃の遣り手も疑ってたみたいだったし。」
0
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ふたなり治験棟
ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。
男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!
【BL】こんな恋、したくなかった
のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】
人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。
ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。
※ご都合主義、ハッピーエンド
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる