観音通りにて・姉

美里

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 男は黙ったまま、無骨な仕草で真央の手に、一万五千円を握らせてきた。真央は手の中の二枚の札を見下ろして、また男を見上げた。
 「寝たいの? 言っとくけど、首絞めは別料金だし、この前のは完全にやりすぎだからね。」
 突き放した声を出そうと努める自分がいた。そうでなくては、目の前に立つ男は、耳を寝かせた大きな犬のように見えて、突っぱねることができなくなりそうだった。
 男はこくりと子供みたいに頷くと、もうしない、と言った。当たり前だよ、と、真央は吐き捨てた。そして、男の前に立って、いつものおんぼろラブホテルへの道のりを、人目を避けるみたいに足早にたどる。男はやっぱり行儀のいい大型犬みたいに、真央の後を一歩遅れてついてきた。
 この男は、おそらく貴子の弟だろう。
 真央はこの一週間で、その答えに達していた。貴子の弟代わりやってんのか、と、燃えるような目と声で言って、首を絞めてきた男。この男の貴子への執着は、尋常ではない。肉親だとしか思えない。だとしたら、ついさっき受け取った金も多分、弟に仕送りをしているから金がないと言っていた、貴子の懐から出たものなのだろう。そう考えると複雑な気持ちにはなったが、金を受け取らないという選択肢が真央にはなかった。受け取らなかったら、なにかが深くなりすぎる。
 ホテルにつき、いつもの部屋に入った真央は、男をシャワールームに押し込み、自分はベッドサイドで煙草を吸った。真央は普段煙草を吸わない。持ち歩いているのは、知り合いの娼婦たちがくれるものを一本きり、喫茶店でもらったマッチと一緒にポケットに押し込んでいる。それで、こんなふうにどうしてももやもやが追い払えない時に、ひとりで吸うのだ。美味いと思ったことは一度もないけれど、なんとなく頭の中がクリアになるような気がしないこともない。
 あの男が貴子の弟なのだとしたら、そもそも肉体関係を持つべきではないだろう。貴子は確実に、弟と男娼が肉体関係を持つことを望まない。こんな、いつ病気をもらっていてもおかしくないような男娼と。だって貴子は、弟をきちんと大学まで通わせるために売春までしているのだ。弟が、自分や真央の側に落ちてくることを望むはずもない。
 「……仕事だから。」
 真央は口の中でそう呟くことで、なんとか自分の中のごちゃごちゃした感情を、脳味噌の奥深く、普段意識すらしないところにしまい込もうとした。仕事だから、寝るだけ。仕事だから、それだけ。
 シャワーを浴び終えた男が、真央の傍らまでやってくる、そして彼は、真央の手から煙草をとりあげると、灰皿に押し付けて火を消した。
 未成年喫煙。
 そんなことまで言い出しそうな彼の目の色を見て、真央はその男が、ひどく貴子に似ていると思った。
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