26 / 28
3
しおりを挟む
泣きじゃくる私を、悠ちゃんは言葉で宥めはしなかった。一緒になって廊下にしゃがみ込んで、ただ髪を撫でていてくれた。
本当は、不安だった。この家を離れたことはないし、私はひとりを知らない。それに、お母さんが取り乱すであろうことにだって、考えが及んでいないわけではなかった。
お父さんを急に失ってしまったからかもしれない。お母さんは、私や悠ちゃんをまた急に失うことを怖がっていた。たとえば、私がスキー教室のお知らせを学校から持って帰ったとき、お母さんは顔色を変えて反対した。そんな危険なことはさせられないと。悠ちゃんが一晩かけて説得してくれて、結局スキーに行くことはできたのだけれど、そのときにはじめて私は、お母さんの脆さを見たと思った。だから今回、私が出ていくといえば、お母さんがどれだけ動揺するか、分からないわけではなかったのだ。
「……お母さんは、」
「大丈夫だよ。」
「でも、」
「咲子さんは、大丈夫。」
悠ちゃんはそれから私の顔を覗き込んで、微笑んだ。私が一番好きな、悠ちゃんの顔だった。やっぱり疲れたみたいに目の下に影が落ちてはいたけれど、それはお互い様だったと思う。
それから私と悠ちゃんは、私の部屋に入って、少しの間お喋りをした。私は勉強机の椅子に座って、悠ちゃんは、私のベッドに座って。
大したことは話していない。お母さんがスキー教室を反対したこと。その何年か前にやっぱり悠ちゃんも反対されていて、そのときは説得するひともいなくてスキーは諦めたこと。だから今でも悠ちゃんはスキーが滑れないこと。そんなことを、笑いながら話した。
私が勉強机の上においている兎の形の時計にちらりと目をやって、悠ちゃんがすっとベッドから腰を上げたのは、私の涙が乾いてしばらくたってからだった。
「バイト、行かないと。」
「うん。」
「数学の要点まとめたプリント、作っておいたからやれよ。」
私はその言葉を聞いた瞬間、あ、と思った。
あ、悠ちゃん、本当に出ていくつもりなんだ。その数学のプリントにはきっと、高校卒業までの数学の要点が、きれいにまとめて書かれているのだろう。
止められなかった。今、変な形で止めてしまったら、ここで終わりかもしれないと思ったのだ。ただ成長して家を出て行った兄と、家に残っている妹として、時々顔を合わせたり連絡を取ったりする、それすらなくなるのではないかと。だから、止められなかった。
「じゃあな。」
悠ちゃんが手を振って、
「うん。」
私も手を振りかえした。
本当は、不安だった。この家を離れたことはないし、私はひとりを知らない。それに、お母さんが取り乱すであろうことにだって、考えが及んでいないわけではなかった。
お父さんを急に失ってしまったからかもしれない。お母さんは、私や悠ちゃんをまた急に失うことを怖がっていた。たとえば、私がスキー教室のお知らせを学校から持って帰ったとき、お母さんは顔色を変えて反対した。そんな危険なことはさせられないと。悠ちゃんが一晩かけて説得してくれて、結局スキーに行くことはできたのだけれど、そのときにはじめて私は、お母さんの脆さを見たと思った。だから今回、私が出ていくといえば、お母さんがどれだけ動揺するか、分からないわけではなかったのだ。
「……お母さんは、」
「大丈夫だよ。」
「でも、」
「咲子さんは、大丈夫。」
悠ちゃんはそれから私の顔を覗き込んで、微笑んだ。私が一番好きな、悠ちゃんの顔だった。やっぱり疲れたみたいに目の下に影が落ちてはいたけれど、それはお互い様だったと思う。
それから私と悠ちゃんは、私の部屋に入って、少しの間お喋りをした。私は勉強机の椅子に座って、悠ちゃんは、私のベッドに座って。
大したことは話していない。お母さんがスキー教室を反対したこと。その何年か前にやっぱり悠ちゃんも反対されていて、そのときは説得するひともいなくてスキーは諦めたこと。だから今でも悠ちゃんはスキーが滑れないこと。そんなことを、笑いながら話した。
私が勉強机の上においている兎の形の時計にちらりと目をやって、悠ちゃんがすっとベッドから腰を上げたのは、私の涙が乾いてしばらくたってからだった。
「バイト、行かないと。」
「うん。」
「数学の要点まとめたプリント、作っておいたからやれよ。」
私はその言葉を聞いた瞬間、あ、と思った。
あ、悠ちゃん、本当に出ていくつもりなんだ。その数学のプリントにはきっと、高校卒業までの数学の要点が、きれいにまとめて書かれているのだろう。
止められなかった。今、変な形で止めてしまったら、ここで終わりかもしれないと思ったのだ。ただ成長して家を出て行った兄と、家に残っている妹として、時々顔を合わせたり連絡を取ったりする、それすらなくなるのではないかと。だから、止められなかった。
「じゃあな。」
悠ちゃんが手を振って、
「うん。」
私も手を振りかえした。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
放課後の保健室
一条凛子
恋愛
はじめまして。
数ある中から、この保健室を見つけてくださって、本当にありがとうございます。
わたくし、ここの主(あるじ)であり、夜間専門のカウンセラー、**一条 凛子(いちじょう りんこ)**と申します。
ここは、昼間の喧騒から逃れてきた、頑張り屋の大人たちのためだけの秘密の聖域(サンクチュアリ)。
あなたが、ようやく重たい鎧を脱いで、ありのままの姿で羽を休めることができる——夜だけ開く、特別な保健室です。
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる