美里

文字の大きさ
10 / 29

10

しおりを挟む
 慎一郎さんは、アパートの前で俺を待っていてくれた。
 「すみません、寒いのに。」
 そう言った瞬間、一気に涙があふれて来た。翔真の前で堪えていたものが、慎一郎さんの顔を見た瞬間に堰を切ったのだ。俺はこの人の前で泣いてばかりいる、と、そう思って涙を止めようとしても、止まらなかった。
 「いいんです。さっきまで商店街歩いて雪見てましたし。」
 慎一郎さんは、成人男性の唐突な涙にも動じた様子を見せず、穏やかにそう言った後、俺の肩を抱いてくれた。俺は、これまで誰かにそんなことをしてもらったことがなかったので、どうしていいのか分からずに身体を強張らせた。身体のどこにどう力を入れれば、上手くこのひとの厚意に応えられるのかも全然分からなかったのだ。
 子供の頃は、いつも一人で泣いた。母親は忙しく働いていて、そんな彼女の邪魔はしたくなかった。翔真と暮らしてからは、泣かなくなった。感情をむき出しにしたら、翔真に面倒くさがられると知っていた。だから、こんなふうに誰かにいたわられながら泣いた経験が、俺にはなかった。
 「大丈夫ですよ。」
 慎一郎さんは、ごく低くそう言って、俺を抱き寄せてくれた。ひとになつかない野良猫を呼び寄せるときみたいな調子をしていた。
 いくら人通りの少ない商店街の外れだからと言って、慎一郎さんの知り合いが通らないとも限らない。俺は、焦って涙を止めようとして、なおさら混乱して肩を震わせた。すると慎一郎さんは、大丈夫、とまた囁きながら肩をさすってくれた。そうすると俺は、身体の力を抜くことができた。ひとに甘えて泣く方法を、生まれてはじめて習得した感じだった。こんなふうに、ぐらぐらに脚の力を抜いてしまってもいいのだ。
 数分間は、そうやって泣きじゃくっていたと思う。ようやく涙が引けた後、押し寄せてくるのは当然、恥ずかしさだった。
 「……すみません。なにからなにまで。」
 「いいんです。」
 「ご迷惑を、おかけして。」
 「お気になさらないでください。」
 慎一郎さんの顔が、まともに見られなかった。俯いて、自分が踏んでぐしゃぐしゃにしてしまった、足元の雪の形を目でたどった。なんだか、自分がうんと小さな子供に戻ってしまったみたいな気がした。
 「店に戻りましょうか。身体が冷えたでしょう。珈琲を淹れますから。」
 「でも、」
 部屋を探さないと。言いかけて、言葉を飲み込んだ。今はもう少し、この底抜けに優しいひとの胸を借りていたかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない

すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。 実の親子による禁断の関係です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...