美里

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 遮二無二に行為を終えて、俺はそのまま眠ってしまったらしい。夢を、見た。
 夢の中では、母親が泣いていた。黄色く変色した畳に突っ伏した、痩せた姿。細い恨み節みたいな泣き声と、黒い糸みたいな涙。
 俺は現実にその様子を見たことがあった。俺がまだちいさな子供だった頃、大酒を飲んだ父親が母を殴り、家を出て行った後、母はいつもそうやって泣いた。あのとき父親には若い愛人がいたのだと俺が知ったのは、両親が離婚した何年か後のことだ。あのおんな、殺してやりたい。珍しく酒を飲んだ母親が、目元を赤く染めて呻いた。俺はそれを聞いて、腑におちた感じがした。急に冷たくなり、母や俺を殴るようになった父親。あの態度の変化には、おんなが絡んでいたのかと。
 冷や汗をかいて目を覚ましても、夢が俺を離してくれなかった。俺がしたことは、父親の愛人がしたことと変わらない。妻がいる男と寝たのだ。許されはしない。
 指先から血の気が引いていくようだった。忘れられない母の泣き声が、耳の奥に潮騒みたいに響いていた。あのおんな、殺してやりたい。俺は男だ。だから多分、なお悪い。
 身体の右半分には温もりがあって、見れば慎一郎さんが眠っていた。眠っていても、穏やかな顔をしていた。生きているのか疑わしくなるくらいの。
 俺の弱さだ、と思った。俺の弱さが、この穏やかで優しい人に、とんでもないことをさせてしまった。両手で顔を覆い、なんとか気持ちを落ち着けようとする。でも、できなかった。全然落ち着くことなんかできなくて、どうしていいのかも分からなくて、俺は逃げ出した。慎一郎さんを起こさないようにベッドから下りて、手早く衣服を身に付け、ごめんなさい、と口の中で呟いて、そのまま店を走り出た。このままどこまでも、この世の果てまででも逃げて行って、誰も俺を知らない、誰にも傷付けられないし、誰も傷付けずに済むところまで行って、そこで死ぬまで膝を抱えていたかった。
 駅のホームに駆け込むと、始発がようやっと動き出したところだった。俺は電車に乗り、始発なのに車内がそれなりに込み合っていることに驚いた。こんなにも多くの人に、こんな朝早くから行くところや帰るところがあるのだ。そう考えると、どうしようもなく惨めになった。吊革につかまって、昨夜のことを思い返す。慎一郎さんがくれた言葉や、与えられた身体。忘れなければいけないと思った。どれも、正当に手に入れたものではない。忘れたくはなかった。でも、忘れなくては。目を閉じ、じっと身体を硬くして、頭の中で数を数えて昨夜の記憶をかき消した。
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