美里

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 こんなに弱弱しい慎一郎さんの声を聞いたのは、はじめてだった。俺は慌てて椅子から滑り降り、カウンターの内側に回った。そこに、慎一郎さんが膝を折ってしゃがみ込んでいる。その広い背中が、今日はやけに小さく見えた。
 なにか、言わなくてはと思った。でも、言葉が見つからなくて、とにかく慎一郎さんの正面に俺も膝を折り、その肩を両腕で抱きしめた。慎一郎さんは細かく震えていた。それは、俺自身も。
 「俺が、悪かったんです。」
 わずかにかすれた声で、慎一郎さんが言った。
 「翔真さんから聞きました。ご両親のこと。……俺があなたに、つらい思いをさせた。」
 違う、と、咄嗟に発した俺の声は、自分でも分かるくらい取り乱していた。
 違う、違う、と、何度も繰り返す。
 悪いのは、慎一郎さんではない。悪いのは、俺だ。きちんと向き合ってくれようとしたひとに背を向けて逃げ出した、俺。
 「指輪を、外せなかった。外したら、自分が変わってしまうのではないかと、妻を忘れてしまうのではないかと、怖かったんです。」
 目の前の慎一郎さんが、いつも毅然と穏やかだった彼が、今に限ってはひどく儚げにすら見えて、俺は慎重に言葉をさがした。
 「……奥様は、もう……、」
 「はい。もう、亡くなっています。8年前になります。」
 慎一郎さんの声は、やはり細い。奥さんの死は、このひとにこんなに深い傷を残しているのだ。8年。長い年月だと一瞬思った。そしてそれから、慎一郎さんにとってはほんの一瞬にすぎないのだろうとも。
 「病気、でした。妻には病名も余命も伝えていなかったのに、頻りに自分の死後の話をしていました。……新しいひとを見つけて、幸せになってね、と。」
 俺には、震えている目の前の人にかける言葉さえ見つからず、ただ黙って肩を抱いていることしかできなかった。
 慎一郎さんは顔を上げ、俺を見て、細く長い息を吐いた。そして微かに唇を笑わせ、小さく首を横に振る。
 「もう、ひとを好きになることはないと思っていたので、指輪を外すことはしませんでした。8年間。」
 俺は、黙って頷いた。ただ、聞いています、と示すための動作だった。俺にはどうやったって、慎一郎さんの辛さを理解することなんてできようもない。
 
 
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