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「お待たせしました。」
硬質なサエちゃんの声がきれいに響き、私の前に、細くて背の高いグラスに入った、真っ白いお酒が音もなく置かれる。私はなんとか姿勢を正そうとして、失敗した。背骨がぐらぐらになってしまって、身体を支える役目をはたしていない感じだった。
「……ありがとう。」
なんとかそれだけ口にして、俯いていた頭をうんと力を込めて起こす。いつも当たり前に自分にくっついている頭が、ひどく重たく感じられる。サエちゃんは、もう私の目の前から離れ、斜め前で丁寧にグラスを磨き上げていた。その動きはしんと降る雪を思い起こさせるくらい静かで、私はそれを、単純にとても、うつくしいと思った。
「……サエちゃん。」
「はい。」
自分が言おうとしている言葉を、頭の中で何度か反芻した。そしてその結果、やっぱりその言葉はサエちゃんの意識の表層にかすりさえしないとはっきり分かっていたので、引っ掛かりなく口にすることができた。
「箱根かどっか、静かなところに行って、二、三日ゆっくり眠りたいね。」
サエちゃんは、手の中のグラスから視線を外さないまま、平静な声で応えた。
「箱根、混んでて全然静かじゃないですよ。」
私は、やけに重たく感じられるグラスを慎重に持ち上げながら、そうなの、と、首を傾げた。私はこれまで、行楽地みたいなものには行ったことがなかった。サエちゃんはいつもの白い無表情で、オーバーツーリズムですね、と付け加える。
「……そっかぁ。」
私は、なんだかさらに絶望的な気分になって、でもなんだか晴れやかな感じもする、変な気持ちでサエちゃんを見上げた。サエちゃんはグラスをそっと背後の棚に並べると、ゆっくりとこっちへ向き直る。
「うち、多分、箱根よりは静かですよ。」
「え?」
サエちゃんの言った意味が分からなくて、私は首を傾げた。サエちゃんの目の中には、数時間前に見たほのかな熱さえ宿ってはいない。彼女は明らかに、平熱だった。
「寝ないですよ、ユナさんとは。金づるになる気もないです。でも、静かなんですよ、うち。」
困ったことに、と、サエちゃんが笑う。私はもう一度俯いた。じわりと込み上げる涙の気配があった。
「……昔、おんなとめちゃくちゃ寝てた時期があってね。」
これまで誰かに、あの頃の記憶を話したことはなかった。口にすれば記憶が追いかけてくるような恐怖があったし、そんな恐怖を感じていると、認めることもしゃくだった。それでも、箱根より静かだというサエちゃんの部屋でなら、あの記憶を言葉にできるような気がした。
硬質なサエちゃんの声がきれいに響き、私の前に、細くて背の高いグラスに入った、真っ白いお酒が音もなく置かれる。私はなんとか姿勢を正そうとして、失敗した。背骨がぐらぐらになってしまって、身体を支える役目をはたしていない感じだった。
「……ありがとう。」
なんとかそれだけ口にして、俯いていた頭をうんと力を込めて起こす。いつも当たり前に自分にくっついている頭が、ひどく重たく感じられる。サエちゃんは、もう私の目の前から離れ、斜め前で丁寧にグラスを磨き上げていた。その動きはしんと降る雪を思い起こさせるくらい静かで、私はそれを、単純にとても、うつくしいと思った。
「……サエちゃん。」
「はい。」
自分が言おうとしている言葉を、頭の中で何度か反芻した。そしてその結果、やっぱりその言葉はサエちゃんの意識の表層にかすりさえしないとはっきり分かっていたので、引っ掛かりなく口にすることができた。
「箱根かどっか、静かなところに行って、二、三日ゆっくり眠りたいね。」
サエちゃんは、手の中のグラスから視線を外さないまま、平静な声で応えた。
「箱根、混んでて全然静かじゃないですよ。」
私は、やけに重たく感じられるグラスを慎重に持ち上げながら、そうなの、と、首を傾げた。私はこれまで、行楽地みたいなものには行ったことがなかった。サエちゃんはいつもの白い無表情で、オーバーツーリズムですね、と付け加える。
「……そっかぁ。」
私は、なんだかさらに絶望的な気分になって、でもなんだか晴れやかな感じもする、変な気持ちでサエちゃんを見上げた。サエちゃんはグラスをそっと背後の棚に並べると、ゆっくりとこっちへ向き直る。
「うち、多分、箱根よりは静かですよ。」
「え?」
サエちゃんの言った意味が分からなくて、私は首を傾げた。サエちゃんの目の中には、数時間前に見たほのかな熱さえ宿ってはいない。彼女は明らかに、平熱だった。
「寝ないですよ、ユナさんとは。金づるになる気もないです。でも、静かなんですよ、うち。」
困ったことに、と、サエちゃんが笑う。私はもう一度俯いた。じわりと込み上げる涙の気配があった。
「……昔、おんなとめちゃくちゃ寝てた時期があってね。」
これまで誰かに、あの頃の記憶を話したことはなかった。口にすれば記憶が追いかけてくるような恐怖があったし、そんな恐怖を感じていると、認めることもしゃくだった。それでも、箱根より静かだというサエちゃんの部屋でなら、あの記憶を言葉にできるような気がした。
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