9 / 33
3
しおりを挟む
鈴村さんも、俺も、しばらく黙ったまま見つめ合っていた。それは、キスでもしないとおかしいのではないかと思うような距離と時間を。
その長い沈黙の後、鈴村さんが、海に沫でも浮かべるみたいにそっと囁いた。
「中村くんだよね。……違う?」
中村章吾。それが章吾のフルネームだ。
俺はどう答えていいのか分からなくて、ただ馬鹿みたいに棒立ちになっていた。
違う、と言わなくてはいけないと分かっていた。怖かったのだ。万が一鈴村さんが誰かに口を滑らせでもして、残りの学生生活をゲイとして暮らしていかないといけないことは。
それに、分からなかった。俺が本当に章吾を好きなのかだって。
なにせ、小学校からの付き合いの男だ。今更好きだのなんだの言うのはおかしいというか、最早間が抜けている。
黙ったままの俺を見て、鈴村さんは泣いた。ぽろぽろと、白い頬に涙をこぼした。
俺は慌てた。告白してきてくれた女の子を泣かせたのははじめてではなかったけれど、鈴村さんのそれは、なにか種類が違う気がして。
だから、いつもの俺だったら女の子が泣きやむのを待って、それから謝ってこの場を離れるのだけれど、それができなかった。まるで、泣けない俺の代わりに鈴村さんが泣いてくれているみたいで。
「……そうだよ。」
言葉は、勝手に口からこぼれ出していた。ぽろんと、丸い球を吐き出すみたいに。
そうなのか、と、自分でも驚いていた。
そうなのか。俺はやっぱり、章吾が好きなのか。
だから、あの去年の夏のセックスから、ずっと頭の中がぐちゃぐちゃなのか。
「ごめんね。」
それ以外の言葉が浮かばず、俺が彼女に謝ると、鈴村さんは勢いよく俺の胸にぶつかってきた。
俺は、数秒の逡巡の後、彼女の肩を抱いた。自分が彼女の肩を抱いていいほどきれいな人間だとは思えなくて。
「謝る必要なんて、ないじゃない。」
鈴村さんが、しゃくり上げながら言った。
「私が勝手に上原くんを好きになっただけなんだから。」
うん、と、俺はなるべく小さく呟いた。今はまだ、彼女の肩を抱いていたくて。
章吾に肩を抱かれたことは、ないな、と思った。
俺たちの間にあるものは、いつだって性欲だけで、それ以外のなにかが割り込む隙間もないのだから当たり前だ。
鈴村さんは、薄暗い体育倉庫裏で、多分20分くらいは泣いていた。そして、泣きやむと俺の胸から顔を上げ、恥ずかしそうにちょっと笑った。涙でびしょびしょになった頬で、それでも確かに。
俺は、この子を好きになれたらいいのに、と思った。それは、とても空しく。
その長い沈黙の後、鈴村さんが、海に沫でも浮かべるみたいにそっと囁いた。
「中村くんだよね。……違う?」
中村章吾。それが章吾のフルネームだ。
俺はどう答えていいのか分からなくて、ただ馬鹿みたいに棒立ちになっていた。
違う、と言わなくてはいけないと分かっていた。怖かったのだ。万が一鈴村さんが誰かに口を滑らせでもして、残りの学生生活をゲイとして暮らしていかないといけないことは。
それに、分からなかった。俺が本当に章吾を好きなのかだって。
なにせ、小学校からの付き合いの男だ。今更好きだのなんだの言うのはおかしいというか、最早間が抜けている。
黙ったままの俺を見て、鈴村さんは泣いた。ぽろぽろと、白い頬に涙をこぼした。
俺は慌てた。告白してきてくれた女の子を泣かせたのははじめてではなかったけれど、鈴村さんのそれは、なにか種類が違う気がして。
だから、いつもの俺だったら女の子が泣きやむのを待って、それから謝ってこの場を離れるのだけれど、それができなかった。まるで、泣けない俺の代わりに鈴村さんが泣いてくれているみたいで。
「……そうだよ。」
言葉は、勝手に口からこぼれ出していた。ぽろんと、丸い球を吐き出すみたいに。
そうなのか、と、自分でも驚いていた。
そうなのか。俺はやっぱり、章吾が好きなのか。
だから、あの去年の夏のセックスから、ずっと頭の中がぐちゃぐちゃなのか。
「ごめんね。」
それ以外の言葉が浮かばず、俺が彼女に謝ると、鈴村さんは勢いよく俺の胸にぶつかってきた。
俺は、数秒の逡巡の後、彼女の肩を抱いた。自分が彼女の肩を抱いていいほどきれいな人間だとは思えなくて。
「謝る必要なんて、ないじゃない。」
鈴村さんが、しゃくり上げながら言った。
「私が勝手に上原くんを好きになっただけなんだから。」
うん、と、俺はなるべく小さく呟いた。今はまだ、彼女の肩を抱いていたくて。
章吾に肩を抱かれたことは、ないな、と思った。
俺たちの間にあるものは、いつだって性欲だけで、それ以外のなにかが割り込む隙間もないのだから当たり前だ。
鈴村さんは、薄暗い体育倉庫裏で、多分20分くらいは泣いていた。そして、泣きやむと俺の胸から顔を上げ、恥ずかしそうにちょっと笑った。涙でびしょびしょになった頬で、それでも確かに。
俺は、この子を好きになれたらいいのに、と思った。それは、とても空しく。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる