愛じゃなくても

美里

文字の大きさ
7 / 24

しおりを挟む
くしゃらせた布団の際に立ったまま、最後の喧嘩はいつだっただろうかと考えてみる。
 些細な喧嘩はいくらでもした。家事の分担やら、代返の順番やら、買い物の仕方やら。
 そんなのはもう数えきれなくて、いつだって折れるのは章吾の役目と決まっていた。もういいよ、と折れた章吾に、ごめん、と七瀬が詫びる。
 そうやって不安定な二人暮らしをなんとか保ってきた。
 では、最後に七瀬がリビングに籠城したのはいつだったのか、と問われると、章吾は答えに詰まる。
 思い出せないからではない。きちんと思い出せすぎるほど出せるからだ。
 あのとき、七瀬は怒りながら泣いていた。
 サークルのコンパで、章吾が朝帰りをしたときのことだ。
 連絡をしないでの朝帰りが、そもそもルール違反だった。おまけにその晩章吾はしたたか酔って、後輩の女の子とホテルに行っていた。
 酔いすぎて勃たなかったので、なんとも微妙な空気になったのを今でも覚えている。
 後輩の女の子は、章吾が誰か女と同棲していると思い込んでいたのだろう。シャツの襟足のところに、口紅の染みをつけていた。それで章吾と同棲相手がもめればいいと考えたらしい。
 実際、章吾と同棲相手はもめた。その女の子の思惑が外れたのは、章吾の同棲相手が女ではなく男だったという一点だけだ。
 朝帰りした章吾を玄関で腕組みして出迎えた七瀬は、二日酔いで三和土に蹲った章吾の襟首に、ピンク色の口紅の痕をすぐに見つけた。
 「……そんなとこに、なんで口紅がつくわけ?」
 七瀬が静かにそう言った。静かだが、怒りと悲しみが凝縮された声をしていた。
 そんなとこ、というのがどこだかも分からないまま、章吾はなにがだよ、と喧嘩腰に返した。
 七瀬にというよりは、この世の全てに腹が立つくらいの酷い二日酔いだったのである。
 「ここだよ!」
 七瀬が章吾の襟首を捻り上げる。大の男が本気の力を込めたのだ。章吾は喉を締め上げられて激しく咳き込み、その場に嘔吐した。
 「なにすんだよ!」
 「どこの女となにしてたわけ!?」
 「サークルの飲み会だって言っただろ!」
 「朝帰りになるのに連絡もしないで、こんなとこに口紅付けて、あんた、俺をどうしたいの!?」
 そこまで言って、七瀬はわっと泣き崩れた。章吾の吐瀉物で汚れた狭い三和土に膝をつき、肩を震わせる。
 「愛してくれなくてもいいよ。そんなの俺はもともと分かってる。でも、この仕打ちはないだろ……。」
 愛、などと言う言葉がこの幼馴染の口から出るのを、章吾ははじめて聞いた。だからだろうか、なにも言葉を返せないまま、章吾はじっと蹲り、ただ七瀬が泣き止むのを待った。






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 2025.4.28 ムーンライトノベルに投稿しました。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...