1 / 10
あの男
しおりを挟む
はじめて男を買ったのは、土砂降りの夜だった。こんな雨に路上に立っているくらいだから、容姿の方は期待できないだろう、などと思っていたのだけれど、傘の下から現れた男の子は、案外可愛らしい顔立ちをしていた。小さな顔の中に、大きな猫目が似合う。俺はちょっと驚いて、まず値段を確信してしまった。うっかり、月給が飛ぶような高級男娼を引いてしまったのかと思ったからだ。すると男の子はにっこり微笑んで、一本指を立てた。
「一時間。」
なんとなく、これくらいかな、と考えていた金額とつりあったので、俺はその場で男の子に一万円札を渡した。彼は微笑んだまま、金をジーンズのポケットに押し込んだ。
「お兄さん、名前は? なんて呼んだらいい?」
路地を一本入ったラブホ街にゆっくりと足を進めながら、彼は顔に似合わず少し掠れた声で訊いてきた。
「……中村。」
とっさに偽名なんか出なくて、本名を告げてしまった。男の子はビニール傘越しにこちらを振り向くと、俺は宮本、と名乗った。俺に合わせて適当な苗字をでっち上げてくれたのだろう。その優しさに背中を押されるみたいに、俺は彼を引き留めた。
「ちょっと、待ってくれるかな。」
宮本くんは、怪訝そうな顔をしてこちらを振り返ると、警察? と、小さく呟いた。俺は慌てて首を横に振った。
「違う。……場所なんだけど、ホテルじゃなくてもいいかな。……家、この近くなんだけど。」
「……家?」
宮本くんが軽く眉を寄せ、考えるようなそぶりを見せた。警戒させてしまっただろうか、と思う。初対面の男の家についていくなんて、いくら男同士とはいえ警戒するのが当たり前だろう。盗撮される可能性も高いし、もしかしたらもっとひどい目に合わされるかもしれない。
それでも俺には、今日家で誰かとセックスすることに意味があったので、必死だった。
「カメラがないか探してくれて構わないし、家のドアだって、鍵はかけないよ。怪しいと思ったら、すぐ逃げてくれて構わないし、お金だって、追加料金出すから。」
言ってから、必死すぎて逆に怪しまれてしまっただろうか、と不安になる。
宮本くんは少しの間黙っていた。その間、俺は強くなっていく雨音だけを聞いていた。
「……いいよ。」
ぽつん、と宮本くんが言う。
「盗撮でも監禁でも殺人でも、別にね、いいっちゃいいよ。」
「え?」
「いいよ。家で。」
「いいの?」
「うん。」
俺より十歳くらいは若いのであろう男の子は、すとんと感情が抜け落ちたような、黒い目をしていた。
俺は一瞬ぞっとしたけれど、それどころではなかった。とにかく今日、家で誰かとセックスできる。それだけで心の中がいっぱいいっぱいになった。
「一時間。」
なんとなく、これくらいかな、と考えていた金額とつりあったので、俺はその場で男の子に一万円札を渡した。彼は微笑んだまま、金をジーンズのポケットに押し込んだ。
「お兄さん、名前は? なんて呼んだらいい?」
路地を一本入ったラブホ街にゆっくりと足を進めながら、彼は顔に似合わず少し掠れた声で訊いてきた。
「……中村。」
とっさに偽名なんか出なくて、本名を告げてしまった。男の子はビニール傘越しにこちらを振り向くと、俺は宮本、と名乗った。俺に合わせて適当な苗字をでっち上げてくれたのだろう。その優しさに背中を押されるみたいに、俺は彼を引き留めた。
「ちょっと、待ってくれるかな。」
宮本くんは、怪訝そうな顔をしてこちらを振り返ると、警察? と、小さく呟いた。俺は慌てて首を横に振った。
「違う。……場所なんだけど、ホテルじゃなくてもいいかな。……家、この近くなんだけど。」
「……家?」
宮本くんが軽く眉を寄せ、考えるようなそぶりを見せた。警戒させてしまっただろうか、と思う。初対面の男の家についていくなんて、いくら男同士とはいえ警戒するのが当たり前だろう。盗撮される可能性も高いし、もしかしたらもっとひどい目に合わされるかもしれない。
それでも俺には、今日家で誰かとセックスすることに意味があったので、必死だった。
「カメラがないか探してくれて構わないし、家のドアだって、鍵はかけないよ。怪しいと思ったら、すぐ逃げてくれて構わないし、お金だって、追加料金出すから。」
言ってから、必死すぎて逆に怪しまれてしまっただろうか、と不安になる。
宮本くんは少しの間黙っていた。その間、俺は強くなっていく雨音だけを聞いていた。
「……いいよ。」
ぽつん、と宮本くんが言う。
「盗撮でも監禁でも殺人でも、別にね、いいっちゃいいよ。」
「え?」
「いいよ。家で。」
「いいの?」
「うん。」
俺より十歳くらいは若いのであろう男の子は、すとんと感情が抜け落ちたような、黒い目をしていた。
俺は一瞬ぞっとしたけれど、それどころではなかった。とにかく今日、家で誰かとセックスできる。それだけで心の中がいっぱいいっぱいになった。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる