観音通りにて・父親

美里

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 連れ込み宿、とか、温泉マーク、とか、そんな呼び名が似合うような、古ぼけた二階建て木製のホテルだった。俺は、父親の背中を見ながら突っ立っていた。現実感が、なくて。
 「休憩四千円、お客様持ちですけど、いいですか?」
 父親が、流れるようにそんな台詞を吐いた。言い慣れた台詞なのだろう。俺は、ただ頷くしかなかった。
 宝くじ売り場みたいな造りのフロントで四千円を先払いし、二階の角部屋に通された。見るからに未成年の俺がいるから、咎められるかな、と思ったけれど、杞憂だった。この通りだけ、無法地帯みたいで変な感じだった。通されたのは、狭い、湿っぽい部屋だった。畳の上に、お茶のセットと布団が敷かれているだけ。本当に、やることしか想定されていない部屋だった。
 父親が、こちらを振り向いた。
 「男としたことは?」
 「……ない。」
 「女は?」
 「……客に一々そんなこと訊いてんの?」
 「……訊いてない。」
 だったら俺にも訊くなよ。いがらっぽい喉を詰まらせながら言うと、父親は薄く笑った。
 「そうだな。」
 そして父親はハーフコートを脱ぎ、鴨居にハンガーでつるすと、俺にも手を伸ばしてきた。俺もコートを脱いで、父親に渡した。その下にまだ、厚手のトレーナーを着ているのに、裸に剥かれたみたいな気分になった。身構える俺に、父親は曖昧な笑みを投げかけていた。俺は男に欲情したことがなかったからよく分からないけれど、それは、妖艶と言える表情だったのかもしれない。
 「……なにも、訊かないのかよ。」
 逃げるみたいな俺の言葉に、父親は軽く肩をすくめた。
 「なにを?」
 なにを、と問われると、言葉が出てこなかった。こんなところに来る前に、父親を一回一万円で買う前に、訊くべきことも訊かれるべきことも山ほどあった気がした。それらの責務を全く果たしてこなかったから、俺は今ここにいる。
 父親が、自分のシャツのボタンに手をかけた。俺はその様子を、不思議な気持ちで見ていた。父親の裸なんて、腐るほど見たことがある。そう思ったのは一瞬で、いや、そんなことないな、と、打ち消した。一緒に風呂に入ったり、一緒の部屋で着替えたり、そんなことがほとんどない親子だった。だから俺は、父親の裸なんて、物心ついてから見たことがない。多分、父親がこの商売に入ってからは。
 「自分で脱ぎますか? それとも、脱がせた方がいい?」
 父親が、上から見上げる、みたいな、変な目つきで訊いてきた。俺は、とっさにぶんぶん首を振った。そしてそうしてから、それがなんの答えにもなっていないことに気が付き、固まった。
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