鯉のいない池のほとりで

美里

文字の大きさ
15 / 20

15

しおりを挟む
今度は俺が床に座って、ヨウさんが座椅子でカップ麺を食べた。
 「ハルカ、料理はできる?」
 「え……簡単なものなら。」
 本当に簡単なものしか、俺は作れなかった。昔、母さんが毎食作ってくれたいた家庭料理みたいなものは作れなくて、パスタやうどんをゆでるとか、カレーを煮込むとか、それくらいしかできなかった。そのどれも、必要に駆られたからできるようになっただけで、別に料理が好きなわけでもない。だから、それ以上のものを作れるようにはならなかった。
 そうヨウさんに説明すると、彼は軽く頷き、塩ラーメンをすすりながらちょっと笑った。
 「それでもすごいよ。俺はそれもできない。」
 「簡単、ですよ?」
 「やろうと思ったことがないからかな。だから、ハルカは偉いよ。」
 生きる意志がある、と、ヨウさんは言った。
 俺はその言葉を肯定も否定もせず、曖昧に首を振って、カップ麺に申し訳程度に浮かぶエビをつついた。
 本当は、否定したかった。そんなものはとうにないと。でも、ほぼ初対面の大人であるヨウさんの言葉を否定しづらくて、黙っていた。
 生きる意志なんて、ない。母さんが変わっていった頃から徐々にそぎ落とされ、カッターを持って家を出たあの瞬間に、完全に放棄した。
 そこまで考えて俺は、はっとした。カッターは、どこだ。
 スウェットのポケットには入っていない。ジーンズのポケットに入れたまま、風呂場に放置してきてしまったらしい。
 それに気が付くと、急に心細くなった。運が悪い俺は、カッターナイフ一本では多分死ねない。どこか道端で手首を切って倒れ、救急車を呼ばれるのが関の山だ。分かっている。分かっていても、あれは俺の決意の形だった。
 「……取ってくれば?」
 ふわりと羽根が舞い降りるような軽さで、ヨウさんが言った。俺の考えを完璧に読み取ったようなタイミングだった。
 俺は驚いて、カップ麺を取り落しそうになった。ヨウさんはプラスチックのフォークを持った手を、慌てたようにこっちに伸ばし、カップ麺を受け止めようとした。けれど俺は、なんとか意識を立て直し、ぎゅっとカップ麺の容器を掴み直した。
 びっくりしたー、と、ヨウさんは焦りを引きずる半笑いで言った。初めてヨウさんの感情をはっきり読み取れた気がした。
 「だって、俺の頭の中が分かるみたいに言うから。」
 言い訳じみた俺の台詞に、ヨウさんは肩をすくめた。
 「分かるよ。全部分かる。」
 半分冗談、半分本気、みたいな言い振り。俺は、お手上げ、ということを示すために、ヨウさんをまねて肩をすくめた。
 「……いいんです。」
 「いいの?」
 「はい。……今は、いいんです。」

 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

薄紅の檻、月下の契り

雪兎
BL
あらすじ 大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。 没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。 しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。 鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。 一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。 冷ややかな契約婚として始まった同居生活。 だが、伊織は次第に知ることになる。 鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。 発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。 伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。 月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。 大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの二人は、スキルを得た事で魔王討伐に旅立つ勇者と彼の帰還を待つだけのただの親友となる。 勇者と親友の無自覚両片想いのじれったい恋愛の物語。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

処理中です...