鯉のいない池のほとりで

美里

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今度は俺が床に座って、ヨウさんが座椅子でカップ麺を食べた。
 「ハルカ、料理はできる?」
 「え……簡単なものなら。」
 本当に簡単なものしか、俺は作れなかった。昔、母さんが毎食作ってくれたいた家庭料理みたいなものは作れなくて、パスタやうどんをゆでるとか、カレーを煮込むとか、それくらいしかできなかった。そのどれも、必要に駆られたからできるようになっただけで、別に料理が好きなわけでもない。だから、それ以上のものを作れるようにはならなかった。
 そうヨウさんに説明すると、彼は軽く頷き、塩ラーメンをすすりながらちょっと笑った。
 「それでもすごいよ。俺はそれもできない。」
 「簡単、ですよ?」
 「やろうと思ったことがないからかな。だから、ハルカは偉いよ。」
 生きる意志がある、と、ヨウさんは言った。
 俺はその言葉を肯定も否定もせず、曖昧に首を振って、カップ麺に申し訳程度に浮かぶエビをつついた。
 本当は、否定したかった。そんなものはとうにないと。でも、ほぼ初対面の大人であるヨウさんの言葉を否定しづらくて、黙っていた。
 生きる意志なんて、ない。母さんが変わっていった頃から徐々にそぎ落とされ、カッターを持って家を出たあの瞬間に、完全に放棄した。
 そこまで考えて俺は、はっとした。カッターは、どこだ。
 スウェットのポケットには入っていない。ジーンズのポケットに入れたまま、風呂場に放置してきてしまったらしい。
 それに気が付くと、急に心細くなった。運が悪い俺は、カッターナイフ一本では多分死ねない。どこか道端で手首を切って倒れ、救急車を呼ばれるのが関の山だ。分かっている。分かっていても、あれは俺の決意の形だった。
 「……取ってくれば?」
 ふわりと羽根が舞い降りるような軽さで、ヨウさんが言った。俺の考えを完璧に読み取ったようなタイミングだった。
 俺は驚いて、カップ麺を取り落しそうになった。ヨウさんはプラスチックのフォークを持った手を、慌てたようにこっちに伸ばし、カップ麺を受け止めようとした。けれど俺は、なんとか意識を立て直し、ぎゅっとカップ麺の容器を掴み直した。
 びっくりしたー、と、ヨウさんは焦りを引きずる半笑いで言った。初めてヨウさんの感情をはっきり読み取れた気がした。
 「だって、俺の頭の中が分かるみたいに言うから。」
 言い訳じみた俺の台詞に、ヨウさんは肩をすくめた。
 「分かるよ。全部分かる。」
 半分冗談、半分本気、みたいな言い振り。俺は、お手上げ、ということを示すために、ヨウさんをまねて肩をすくめた。
 「……いいんです。」
 「いいの?」
 「はい。……今は、いいんです。」

 
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