ママと娼婦

美里

文字の大きさ
20 / 22

20

しおりを挟む
 『警察に、遺体はあります。帰って来るのに数日かかるようです。』
 姉の夫は、そんなようなことを言った。多分。おそらく。俺は動転していて、スマホから流れてくるその声を、上手く聞き取ることができなかった。
 「なんで、そんな、姉は、」
 切れ切れの言葉だけが無意味に口からこぼれ出た。
 『祐樹くんの方が、妻に関しては詳しいでしょう。』
 姉の夫はそう言った。嫌味な口調でもなく、静かに。
 『遺書はありませんでしたが、状況から見て自殺でまず間違いないそうです。』
 遺書は、ない。姉はまた俺を裏切った上に、今度は一言の言葉も残さず去って行ったというのか。とうとう、取り返しのつかないところまで。
 俺は、電話を切った。これ以上、姉の夫の声を聞いているのが苦痛だった。一度目に俺を裏切ったとき、姉は確かに、この男との生活を選んだのだ。
 電話はすぐ、一度だけ鳴った。俺が答えずにじっとしていると、呼び出し音は途切れた。そしてそれから二度目を鳴らすことはなかった。
 祐樹くんの方が、妻に関しては詳しいでしょう。
 そうとも言い切れなかった。確かに姉とは子どもの頃からずっと一緒に生きてきた。ただの姉弟が知る以上のことをお互いに知ってもいた。それなのに、俺は姉のことを知っているとは思えない。今回の決定的なそれを含めて二度も裏切られたし、なにも知らないうちに姉は、暗い所まで歩いて行ってしまった。俺を置いて、ひとりで。
 しばらく、暗闇の中で膝を抱えていた。子どもの頃に戻ったみたいだと思った。あの頃と違うのは、こうやって待っていても、仕事を終えた姉が帰ってくることはないということだけで。
 姉は、帰ってこない。もう、二度と。二度目の裏切りは、取り返しがつかない。一度目のそれみたいに、なにもなかったみたいな顔をして姉弟ごっこに努めたりもできない。
 俺は、よろよろと立ちあがるとアパートを出た。このままだと、俺も姉の後を追いそうだった。どうして後を追ってはいけないのかも、よく分からなくて。だって、俺たち姉弟にはもう生き残っている親族はいない。みんな、みんなあの世行きだ。あの世の入り口で顔を合わせて、家族の再会でもした方が健全なのかもしれない。
 外は、暑かった。湿気が体に絡みつく熱帯夜だ。呼吸まで苦しくなるような。
 俺は駅までの道のりを、足を引きずりながら歩いた。なんで自分が歩いているのかも、どこに向かって歩いているのかもよく分からなかった。ただ、あの部屋の中にいてはいけないと、そう思っただけだ。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

処理中です...