20 / 24
4
しおりを挟む
健吾が彬のバイト先にやってきたのは、翌週の水曜日だった。彬は店のドアベルの音で客がやってきたことを認識し、張り付いた営業スマイルでそちらを振り向いた。するとそこには、嫌になるほど見慣れた人影が立っていた。
「……いらっしゃいませ。」
絞り出した台詞はほとんど意地で、健吾はそれを聞いて、悲しそうに笑った。昔から、彬が無意識に自分を粗末にすると、健吾はそんな顔をした。
「おひとりさまですか?」
「……彬、」
「こちらのお席にどうぞ。」
店内は、がらがらに空いていた。午後五時半。彬はどうしていいのか分からないまま、健吾を空席に通した。
お冷、持っていかないと。
ぎりぎり保った平常心でそう考え、背を向けると、手首を掴まれた。彬よりずっと高い、健吾の体温。
「彬。」
今度は、さっきよりはっきりと。
「……仕事中だから。」
声を落として、なんとかそれだけ呟く。すると健吾は、待ってる、と言った。
「上がり、何時? 俺、待ってるから。」
言葉が出なかった。上がりは30分後だ。でも、それを口に出すことができない。頼むから、帰ってくれ。念じながら、振り返る。帰ってくれ、と頼むために。すると、そのときまたドアベルがからからと鳴った。
「いらっしゃいませ。」
反射で出た言葉。慌てて健吾の手を振り払い、ドアに向き直ると、入ってきたのはこれまた見覚えのあるおっさんだった。仕事が早く終わったから、そのまま飯に行こうと彬の上がり時間を見計らってきたのだろう。
混乱した彬は、ロボットみたいにぎこちない動作で、健吾とおっさんにお冷を提供した。おっさんはいつも通り、メニューも見ずに、珈琲、と言ったっきりだったけれど、健吾は違った。
「あのひと、だよな?」
質問というよりは、確認の口調。彬はなにも言えず、店員の笑顔を張り付けたまま、黙って店の奥に引っ込もうとした。けれど、健吾がまた彬の手首を掴んでそれを阻止した。
「今、あのひとのところにいるの?」
これもまた、確認の口調。
おっさんが、こちらの様子を窺うようなそぶりを見せた後、手を上げて彬に合図した。追加の注文でもあるような動作だが、おっさんがここで珈琲以外のものを注文したことはない。
「……離せ。仕事中。」
ぼそりと言葉を落とせば、健吾は一瞬の躊躇いの後手を離した。分かってる。ここで強引になれる健吾じゃない。彬の迷惑も顧みず、店の外に引きずりだしたりなんか健吾はしない。絶対に。
「……いらっしゃいませ。」
絞り出した台詞はほとんど意地で、健吾はそれを聞いて、悲しそうに笑った。昔から、彬が無意識に自分を粗末にすると、健吾はそんな顔をした。
「おひとりさまですか?」
「……彬、」
「こちらのお席にどうぞ。」
店内は、がらがらに空いていた。午後五時半。彬はどうしていいのか分からないまま、健吾を空席に通した。
お冷、持っていかないと。
ぎりぎり保った平常心でそう考え、背を向けると、手首を掴まれた。彬よりずっと高い、健吾の体温。
「彬。」
今度は、さっきよりはっきりと。
「……仕事中だから。」
声を落として、なんとかそれだけ呟く。すると健吾は、待ってる、と言った。
「上がり、何時? 俺、待ってるから。」
言葉が出なかった。上がりは30分後だ。でも、それを口に出すことができない。頼むから、帰ってくれ。念じながら、振り返る。帰ってくれ、と頼むために。すると、そのときまたドアベルがからからと鳴った。
「いらっしゃいませ。」
反射で出た言葉。慌てて健吾の手を振り払い、ドアに向き直ると、入ってきたのはこれまた見覚えのあるおっさんだった。仕事が早く終わったから、そのまま飯に行こうと彬の上がり時間を見計らってきたのだろう。
混乱した彬は、ロボットみたいにぎこちない動作で、健吾とおっさんにお冷を提供した。おっさんはいつも通り、メニューも見ずに、珈琲、と言ったっきりだったけれど、健吾は違った。
「あのひと、だよな?」
質問というよりは、確認の口調。彬はなにも言えず、店員の笑顔を張り付けたまま、黙って店の奥に引っ込もうとした。けれど、健吾がまた彬の手首を掴んでそれを阻止した。
「今、あのひとのところにいるの?」
これもまた、確認の口調。
おっさんが、こちらの様子を窺うようなそぶりを見せた後、手を上げて彬に合図した。追加の注文でもあるような動作だが、おっさんがここで珈琲以外のものを注文したことはない。
「……離せ。仕事中。」
ぼそりと言葉を落とせば、健吾は一瞬の躊躇いの後手を離した。分かってる。ここで強引になれる健吾じゃない。彬の迷惑も顧みず、店の外に引きずりだしたりなんか健吾はしない。絶対に。
1
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
窓のない部屋の、陽だまりみたいな君
MisakiNonagase
BL
都心の高層ビル、その「内臓」とも言える地下一階のメール室。
そこで働く山﨑智之は、目立たず、期待されず、淡々と郵便物を捌く「透明人間」のような毎日を愛していた。自分は低スペックで、華やかな地上には居場所がない。そう、諦めていた。
そんな彼の静寂を破ったのは、二十二階の住人、若きエース・風巻隼人だった。
完璧なルックス、圧倒的な成果、羨望の眼差しを一身に浴びる彼が、なぜか地下のメール室に足繁く通い始める。
「五分だけ、ここにいさせてくれないか」
一通の郵便物から始まった、五分間だけの秘密の共有。
次第に剥き出しになっていく隼人の孤独と、それを無自覚に包み込んでしまう智之の温度。
住む世界が違う二人が、窓のない部屋で見つけたのは、名前のつかない「救済」だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる