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やっと長かった爪の手入れを終えた草平が、外出るか、と呟いた。これもいつも通りことだ。気がすむまで爪をやすった後、食事の前に、温泉街をぶらぶらと散策する。小さく寂れたこの街は、いつ来ても変わりがなくて、首を吊るのにちょうどよさそうな枝ぶりの木も、睡眠薬をいくらでも売ってくれそうな怪しげな薬屋も、簡単に俺たちを誘惑する。それなのに、草平はそれらを見るたびに、ここで死ぬか、と言うくせに、それらの前を通り過ぎるだけで、本当に死んだりはしない。はじめてここに来たときは、俺も、草平の、死ぬか、にいちいち動じていたのだけれど、今はもう、そんなこともない。いいよ、と答えながら、なんとなく少しだけ悲しい気分になるだけだ。ただ、この散策の間だけは、酔ったふりをした俺が肩に寄りかかっても、草平はそれを押しのけない。そのこともなぜだか、俺の胸をいつも悲しみで満たした。草平と二人で道行ごっこをするようになってから、旅館の二人っきりの部屋で、俺は何度か草平の肩に触れた。その度に草平は、俺を邪険に払いのけた。そうされるときのほうが、なぜか悲しくはなかった。
「いいよ、行こう。」
お猪口に残っていた酒を飲み干して、俺はつとめて酔いが回ったふうを装って、隣まで来ていた草平の腕に自分の腕をからませる。草平は、なにも言わない。この無口で自分勝手で神経質な男も、菜乃花さんとはこんなふうに腕を組んで歩調を合わせ、外を歩いたりするのだろうか。
部屋を出て、宿屋の出入り口まで歩く途中、きれいに磨かれてオレンジ色がかった木目の廊下で、さっき酒を持ってきてくれた中居さんとすれ違った。彼女は草平に絡ませた俺の腕をちらりと見た後、一瞬だけ俺の顔も見た。俺は酔っ払いらしくへらへらしていなくてはいけないのに、そのときだけは、笑っていられなかった。とられたくなかった。菜乃花さんにならば、もう何度も越えた冷たい夜の中であきらめもついたけれど、このぽっと出の女には。
俺は中居さんとすれ違った後、少し高い所にある草平の顔を、へらりと笑いながら見上げた。彼は、いつもと同じ仏頂面で、別になにという表情も浮かべてはいなかった。俺はそのことに、内心で安堵した。
「草平。」
「なんだ。」
「いいの?」
「なにが。」
「さっきの中居さん。」
いいんだ、と言ってほしかった。でも、草平はなにも言ってはくれなかった。つまらなそうな顔で下駄箱から靴を出し、履き替えている。俺もそれに続いた。春の夕方。まだ暮れきらない白い光が狭い路地に射しこんでいる。
「いいよ、行こう。」
お猪口に残っていた酒を飲み干して、俺はつとめて酔いが回ったふうを装って、隣まで来ていた草平の腕に自分の腕をからませる。草平は、なにも言わない。この無口で自分勝手で神経質な男も、菜乃花さんとはこんなふうに腕を組んで歩調を合わせ、外を歩いたりするのだろうか。
部屋を出て、宿屋の出入り口まで歩く途中、きれいに磨かれてオレンジ色がかった木目の廊下で、さっき酒を持ってきてくれた中居さんとすれ違った。彼女は草平に絡ませた俺の腕をちらりと見た後、一瞬だけ俺の顔も見た。俺は酔っ払いらしくへらへらしていなくてはいけないのに、そのときだけは、笑っていられなかった。とられたくなかった。菜乃花さんにならば、もう何度も越えた冷たい夜の中であきらめもついたけれど、このぽっと出の女には。
俺は中居さんとすれ違った後、少し高い所にある草平の顔を、へらりと笑いながら見上げた。彼は、いつもと同じ仏頂面で、別になにという表情も浮かべてはいなかった。俺はそのことに、内心で安堵した。
「草平。」
「なんだ。」
「いいの?」
「なにが。」
「さっきの中居さん。」
いいんだ、と言ってほしかった。でも、草平はなにも言ってはくれなかった。つまらなそうな顔で下駄箱から靴を出し、履き替えている。俺もそれに続いた。春の夕方。まだ暮れきらない白い光が狭い路地に射しこんでいる。
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