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第一章

この人には敵わない(改)

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 港に出ると、大型帆船はんせんが停泊していた。クリスが乗船してきた船と同じタイプだ。

「これは国で持っている定期船です。出航まで時間があるので乗ってみませんか? 船によって作りが違うし、甲板からの眺めもいいですよ」
「ええ、ぜひ」

 グリフィスが船を案内しながら説明をする。

「もうご存知かもしれませんが、川が凍らない時期は船で行き来できます。街道を馬車で来る事もできますが、悪路でもあり、帆船のほうが快適ですし到着が早い」
「アクエリオスは観光で成り立っているんですよね?」
「そうです。温泉も豊富に湧くために、夏は保養地として有名です。皮膚病や、色々な病気にも効能があり、最近では療養地としても知られてきましたが、長い冬の間は交通が寸断される為に、なかなか逗留とうりゅう客や、リピーターを掴めません」

「冬の交通手段ですか・・・」
「でも、今年の冬からそれも改善されます。街道沿いにずっと温泉が豊富に湧いているので、道を全部石畳にし、その上に温泉を少量ずつ常に流しっ放しにして、雪や氷が溶ける仕組みを造っているところです。それなら、冬でも馬車で行き来できます。石畳ももうすぐ全部敷き終わるので、先程言った悪路も解消されます」

「温泉を石畳に流しっ放しに――面白いアイデアですね! 夏はどうするんですか? 夏も石畳を流れていたら不便でしょう?」
「夏はその為に作った何本かある支流にふたをして、本流に戻すだけです」
「そんなに上手く本流に戻るんですか? それに、うまく石畳を流れるんですか? 流した後の水捌みずはけは?」
「食いついてきましたね」

 苦笑され、初めてグリフィスの袖を掴んで、迫っていた事に気付いた。紅くなりながら距離を置く。

「すいません・・・。目新しい事や、興味が惹かれる事があると、他が見えなくなるんです」
「いいえ、説明している私としては嬉しい限りです」
「でも、街道を全て石畳にするなんて・・・費用が掛かるのではありませんか?」
「はい、なのである国から資金を借り入れてます」
「それだけではないんですよ。資金の半分は兄様が頭を使って捻出したんです」

 今まで黙っていたプリシラが、ここぞとばかりに口を挟んだ。

「そうなんですか? その話も興味があります」

 プリシラに向き直ると、息つく間もなく話し始める。

「今までは、商人が商品をたずさえて、各国を回って売り歩くのが当たり前だったでしょう? それを各都市に支店を作り、我が国の特産品や、シュタイン社のぬいぐるみを置いて売り始めたんです。その他にも色々なアイデアを、サルマキスの留学から帰ってきてから、兄様は人が変わったように・・・」

「サルマキス・・・? ヘルマプロディトスの隣国ですが」
「ありがとう、プリシラ。でも、まだ支店の経営も軌道には乗っていないし、我が国の財政は残念ながら未だ完全には回復しておりません。私の自慢はこれ位にして、もう甲板に出るとしましょう。今の時期からの景色は素晴らしく、一見の価値がありますよ」

 甲板に出ると、なるほど――。川向こうの緑には春の日差しが降り注ぎ、美しい鳥が飛んできて彩りにアクセントを加えている。
 グリフィスとプリシラを目の前にして、周りの者達が騒ぎ始めた。警護の者達も控えてはいるが、プリシラが怖気づいたようにグリフィスの後ろに隠れてしまう。遠巻きにしていた観光客がふと漏らした言葉が聞こえてきた。

「プリシラ様って`孤高のプリンセス ‘ とイメージが違う」

 その声にプリシラの表情がさっと陰る。

「プリシラ、気にする事はない。お前らしくいればいいんだ。今のだって『イメージと違って可愛い』かもしれないだろう? マイナスに考えずに、まずは自分ができる事をしてごらん」
「自分ができる事?」
「ああ、まずは手を振ってみてはどうだ?」

 プリシラがグリフィスの後ろに隠れたまま、おずおずと手を振ってみた。『可愛い』と声があちらこちらから上がり、我も我もと手を振り返している。
 プリシラは嬉しそうに笑顔を見せるとグリフィスを仰ぎ見た。
 心温まる光景にクリスも見ていて嬉しくなる。視察はとても楽しいものであったが、夕食の席である問題が起こった。

 国王の許に、侍従が一通の書簡をお盆に載せて持って来た。読み終わった国王の顔が曇る。

「どのような内容ですか父上」

 第一王子のオズワルドが心配して声を掛けた。

「バドフォードのランダル王子が、今度我が国で催す夜会に参加したいそうだ」

 プリシラの顔に嫌悪感が浮かんだ。グリフィスも顔をしかめている。
 国王が溜息をついた。

「招待するしかあるまい」

 クリスが口を開く。

「恐れながらセオドア国王陛下、招待状も送られていないのに出席したいなどと・・・マナー違反ではありませんか? 親しい仲でもないようですし、断ればいいのでは?」

 グリフィスがクリスに向き直って説明をした。

「先程、船で話した資金を借り入れている相手国がバドフォードなのです。第一王子のランダルはプリシラを妻にと望んでいて、何度断っても、資金を貸し付けている有利な立場を利用して、今回のように足を運んできます。契約もきちんと交わし、借用証書なども揃っていて、もう返す目処めどもついたのですが、何かと不穏ふおんな噂しか立たない国なので、返し切るまではできれば穏便に済ませたいのです」

「またしつこく言い寄られるのは嫌だわ」

 プリシラが心底嫌そうな表情を浮かべる。

「プリシラに、もうお相手がいる事にしたらどうかしら?」

 王妃のコーネリアが提案して、グリフィスが疑問を投げかけた。

「今からですか? 3日後ですよ。大体お相手は誰を?」
「この間、町に出た時に見かけたの。素敵な黒髪の男性と通りを歩いていたじゃない? 貴方もいたわよ。グリフィス」
「あれは、クリスです」
「あら、クリスの男装だったの!? なら、尚いいわ! こちらの事情も分かっているし・・・架空の人物なら後でうやむやにできるじゃない。ただ、クリスが承知してくれたらだけど――」

 みんなのからの期待が籠もった視線が集中して、断れるような雰囲気ではなかった。

「私でお役に立てるのでしたら・・・」
「ああ、良かった! クリス、ありがとう!」

 プリシラは嬉しそうに早速コーネリアとどこの国の王子に化けるのがいいか、ばれないように新興国をでっち上げるか、などと話している。

「クリス、部屋までお送りします」
「え? ええ、お願いします」

 部屋までの道すがら、グリフィスが切り出した。

「嫌なら、皆を説得するのでおっしゃって下さい」
「嫌ではありませんが・・・貴方のパートナーがいなくなってしまいますね」
「相手なら、すぐに見つけられます」

 すぐに見つけられる・・・? クリスの胸がチクリと痛んだ。そしてなぜか腹が立ち、その勢いでずんずん歩き、ふと気付いたらもう部屋の前まできていた。

「おやすみなさい!」

 少しつっけんどんに言った後に`大人気なかった ‘ と後悔をしたが、謝るのも何だか妙だし一言付け加えた。

「部屋まで送ってくれてありがとう・・・」

 グリフィスが笑みを浮かべ、顔を赤らめたクリスが部屋に入ろうとしたところ、肘を引っ張られて彼の腕の中にすっぽりと包み込まれた。

「実は、妹といえども貴方を取られるのはしゃくに障ります」

 指先でクリスの髪の毛を耳にかけて後ろに流し、あらわになった滑らかな首筋に顔をうずめる。

 クリスは心積もりをしていなかったので、少し慌てて本音が出た。

「あ、あの、私は初心者なのでお手柔らかに願いたいのですが・・・」

 グリフィスの肩が揺れている。どうやら笑いをこらえているようだ。

「確かに初心者だ。首筋の脈が速くなった・・・」

 脈に沿ってついばむようにグリフィスの唇が這っていき、首の付け根の感じるところにくちづけられた。

「ん・・・っ」

 グリフィスの肩に回したクリスの手が、思わず爪を立てる。

「可愛い声だ」

 顎を掴まれ、親指で唇をゆっくりとなぞられた。背筋にぞくりとした快感がのぼる。唇を優しく押され、親指が口に入ってきた。半眼で見られているのにも興奮を掻き立てられる。

(この人にはかなわない――!)

 あらがおうとしたクリスの動きを易々と抑え、親指によってわずかに開いていた唇がグリフィスの口におおわれた。上顎うわあごの感じやすいところを舌先で探られ、上げる声は全てグリフィスに呑み込まれる。

 暫くして、クリスがグリフィスの胸を叩き始めた。グリフィスが顔を離すと、腕の中でクリスがくたりとしている。

「息・・・が・・・」
「ああ・・・」

 グリフィスがクスリと笑った。
 クリスを横に抱き上げると、部屋の扉をノックした。ハンナがすぐに顔を出す。

「まあ、クリス様! どうなさいました?」
「少し眩暈めまいがするようです」
「でしたら、あちらのソファに」

 身長が180cmあるクリスを軽々と運んでいく。下ろされる時に耳元で囁かれた。

「息は鼻でするといいです」
 
 手の甲にくちづけて、彼が部屋から退室した。

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