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よみがえった記憶
しおりを挟むその日は、正午から風花が舞っていたが、日が傾くにつれ、いよいよ雲は厚く垂れこめ、夕方には雪催いとなった。
夕食の後片付けをしていたロラは、一人物思いに耽る。
(昨日、テオが一緒にいたあの子が誰だったのか、結局聞けなかった。帰ったら直ぐに、聞くつもりだったのに……)
ロラの目の前で、いつものように優しげな笑みを浮かべているテオは、ティーポットからお茶を注いでいた。
彼の大事な妻のために。
「僕のロラ、お茶がはいったよ。いつものカモミールティー、飲んで?」
ぼんやりと愛しい人の顔を眺めていたロラは、その形の良い口が自分の名前を読んだことに気付き、現実に引き戻された。
(私ったら。彼が私を裏切るわけがないじゃない。彼は、プロポーズの時に言ってくれた。『他の誰よりも、ロラが愛しい』って、熱っぽい目で。私が彼を信じなくてどうするの?)
ロラは微笑む。
「いつもありがとう」
「どう致しまして。ちょっと疲れた顔をしているよ? 温かいうちに召し上がれ。ロラがゆっくり眠れるように、愛情をたっぷり込めたから」
そう言って、テオもにっこりと微笑む。
ロラは拭き上げ終わった食器類を棚に戻し、テオの待つテーブルに戻って来た。
そして、テオの向かいの椅子に座ると、両手を温めるようにカップを持つ。
「良い香り。頂きます」
そう言って、ロラがカップに口をつけたとき、来客を知らせる呼び鈴が鳴った。
「あら。こんな時間に誰かしら?」
ロラは席を立つ。
その姿を笑顔のまま目で追って、テオ小さく舌打ちを一つ。立ち上がり、部屋の奥で荷物をまとめはじめた。
直ぐにロラが戻って来たので、テオは笑顔を向ける。
「誰だった?」
「大家さん。こちらはまだ、一人住まいかって。一応、来年には二人になると伝えたわ」
「なんで?」
「さぁ。契約上必要なのかしら? ここは確か、夫婦で入れることになっていたから、連絡する義務は無かった思うけど……契約書、後で確認しておくわね」
「うん。お願い……あ、ロラ!」
「ん?」
テオは、普段より声のトーンを落とし、硬い声音で尋ねる。
「今、僕の名前言った?」
「え? いいえ。そこまでは、聞かれなかったから?」
ロラは、咄嗟に嘘をついた。
テオは、再び笑みを浮かべてうなずくと、荷物を持って立ち上がった。
「そっか。やっぱり、ちゃんと籍を入れてからの方が良いもんね。それじゃ、僕、そろそろ仕事に行くよ。
あ、折角淹れたんだから、ちゃんと飲んでよね? カモミールティー」
いつものトーンでそう言って、ロラの頬にキスをすると、テオは返事を待たずに、家の外に出た。
建物の外へ出る前に、テオはその場で一度立ち止まり、外の様子を伺った。
丁度、大家の女性がファイルを片手に家に入っていくところだったが、そこで誰かと接触するような気配は無い。
テオは小さく息をおとす。
(気のせい……か。でも、そろそろ ここも、潮時かな? あとは、大事なあの娘に罪を被って貰おう……)
テオは歪んだ笑みを浮かべると、ロラに伝えてある職場の方向へ、足を向けた。
◆
一方、部屋に一人残されたロラは、えも言われぬ不安に苛まれていた。
(私、テオに嘘をついてしまった。……でも、どうして? 名前を言ったらいけなかった?
私たち、事実婚だけど、夫婦よね?)
気持ちを落ち着けるために、ティーカップを手に取ったロラだったが、手が震えていたため、中のお茶が指にかかり、熱さから思わず取り落としてしまった。
「いけないっ!」
震える手で慌ててテーブルの上を拭き、ため息を落とす。
「折角、テオが淹れてくれたのに……」
ロラは残念な気分で、自分の体を抱きしめた。
(とにかく、落ち着かないと。そう、深呼吸。それから、ええと。ラベンダーティーを……)
ロラはゆっくり立ち上がると、深呼吸しながらキッチンへ向かう。そして、こぼして空になってしまったティーカップに、直接ラベンダーティーのサシェを入れ、テオが沸かしてくれたお湯をカップに注いだ。
ラベンダーの香りに包まれると、少しずつ気分が落ち着いていく気がする。
ロラゆっくりとお茶を口に含み、頼りない気持ちで、テオが出ていった戸口を見て、そこで既視感を覚えた。
(あら? 何かしら。以前似たようなことが……あの時は、確か……)
突如、急な頭痛に見舞われて、ロラは頭を抱えた。
(何か思い出しそうな、でも、思い出したくない様な……これは、何?)
あまりの痛みに、目を瞑った時。今まで忘れていた記憶が、目の前にうつしだされた。
外泊も夜勤も多いテオに、常々寂しさを感じていたロラ。
あの日は、結婚した友人の幸せそうな姿に、僅かばかり嫉妬していた。
それでも、テオの方がずっと素敵な男性だからと、気持ちを上向けて、お土産にワインを買って帰ることにした。
そこで、偶然見てしまう。
テオが、犬を連れた見知らぬ女性と、二人で歩いているところを。
気の弱いロラは、その場で二人に問いただすことなど到底出来ず、意気消沈して家に帰って見れば、テオの予定表には夜勤の文字が書き足されていた。
ショックだった。
まだ、テオが浮気をしたと決まったわけではないけど、あまりに多い夜勤は、浮気を誤魔化すためのものではないかと疑ってしまう。
ロラは、今日見たことが夢だったのだと、思い込みたかった。
買って来たワインをあおりながら、『これは悪い夢よ』と繰り返す。
そして、ワインのボトルが空になった頃、ロラは酔った勢いでテオを探しに街へ飛び出した。
その日、テオが夜勤で働いているはずの職場へ行ってみるも、そこにテオの姿はない。
諦めて、トボトボと家に帰る途中、女性とホテルから出て来るテオの姿を見てしまう。
そのまま、二人が人通りの少ない裏路地に入ったので、追いかけて声をかけようと近寄ると……。
一瞬、目の前が赤く染まった錯覚を覚える。
『ああ。僕のロラ。僕が好きなのは、君だけだって言うのに……』
最後に思い出したのは、血に濡れて悲しそうに微笑むテオの笑顔。
「あっ!」
ロラは、小さく悲鳴をあげて、頭を抱える。
「ああ……テオ。貴方は、私を愛するが故に?」
ロラは立ち上がると、急いでコートをはおった。
「だめ……これ以上、私のために罪を重ねては……」
それは、シスターが貸してくれた小説の中に出てくる、聖なる乙女の言葉。
ロラは、キッチンへ走り、シンク下に隠しておいた布包をコートのポケットに突っ込むと、テオを追って底冷えする夜の街に飛び出した。
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