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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅡ 0 ②
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「おまえが言ったとおりで、俺にとってのデメリットはさしてない。だがな、おまえにはデメリットしかないぞ。おまえは自分にもメリットがあるようなことを言ったが、俺には到底そうは思えない。特に、ここを出たあとは」
子どもに言い聞かせる根気でもって、茅野は問い重ねた。
「いいのか、それで」
「いい」
「できるか」
迷いの一切ない返事に、勝ったのは苛立ちではなく呆れだった。つい溜息まじりの調子になる。
成瀬の言うとおりで、つがいの契約は、アルファの側からなら自由に解除することができる。アルファにはそれで不利益はない。だが、オメガはそうではないはずだ。
「おまえは俺をなんだと思ってるんだ。できるわけないだろう」
「なんだって……」
「信用のできるお友達だというのなら、なおさらだ」
ドアを背にした位置から成瀬は動こうともしない。困ったような笑みを浮かべているものの、どうせかたちだけだ。
それもすべてわかってしまうだけに、余計にくるものがある。
「おまえの相手をしていると、たまに無性にむなしくなるぞ、俺は」
嘆いてはみせたが、どうせこれも響かないにちがいない。それでも言葉にしたのは、言わないよりはマシだと思ったからだ。
「篠原に言っても、俺と似たり寄ったりのことしか言わないと思うぞ。諦めろ。おまえは、おまえの言うおまえなんかのことを大事に思っている人間のために、もう少しくらい自分を大事に扱ってやれ」
「大事に?」
「そうだ」
らしくない馬鹿にしたような態度だったが、めげずに言い諭す。
「おまえにはおまえの都合があることはわかる。俺にはわからないだろうとおまえが切り捨てていることもわかる。でもな、おまえの都合に振り回される人間のことも思いやってやれ」
向原や篠原、柏木といった同級生もそうだし、成瀬がかわいがっている一年生だってそうだ。次々に茅野の頭には思い浮かぶのに、当人にとってはそうでないらしい。
抑えきれなかった苛立ちを自覚しながら、茅野は小さく息を吐いた。ここから先はあまり引き合いに出したくなかったのだが、しかたがない。
「おまえの思考回路が正常じゃなかったから出た言葉だと信じたいが、なかなかだったぞ」
瞬間、微笑を刻んでいた瞳の温度が下がった気がしたが、かまわずに続ける。
「俺も、最初からすべてを聞いていたわけじゃないがな、自分のことを好きだと承知している相手に『死んでやる』と言うのも最悪な脅し方だと思うし、『誰でもいいから相手を探す』という捨て鉢な言動もなかなかに最悪だった。しかもおまえ本気だっただろう」
「さぁ、どうだったかな」
「いいかげん、その似非臭い笑顔もやめろ」
響かないだろうと承知していたが、本当に糠に釘とはこのことだ。暖簾に腕押しでもいいが。
「あのな、成瀬」
どうにか声音を和らげて、人形のような顔に向かって呼びかける。いつも張り付けている笑みが剥がれると、出来すぎた造作が際立ってそんなふうに見えることがあるのだ。
わかっているから、人当たりのいい笑みで武装しているのだろうが。今日の作り笑顔は、この五年見てきたものの中で一番にひどかった。
見ているこちらが、やめろと言いたくなるくらいには。
「それでも、あいつは、おまえを優先した」
「あれのどこが優先だ。思い切り殴りやがって」
「本当に、そう思ってるのか」
重ねて問いかけると、今度こそ成瀬が黙り込んだ。追い込みたかったわけでもないのに、なんでこう頑ななのか。
あいつ次第だろと言った向原の、呆れと諦めに染まった声が思い出されて、茅野はちらりと窓の外を見やった。
――あいつがいなくてよかったかもしれないな。
これと会わせたら、今度こそ血を見たかもしれない。なにもさせない、と言った手前、面倒を見る義務はある。
「少なくとも、破れかぶれだったおまえよりは、おまえのことを考えていたように見えたぞ、俺にはな」
なにを考えているのかわからない顔で沈黙を決め込んでいる男に向かって、滾々と伝える。
「大切にしている、というのは、そういうことだと俺は思うが」
「……」
「強いだとか、弱いだとか、アルファだとか、オメガだとか、そういったことではなく。おまえはこれもアルファの俺だから言える詭弁だと切り捨てるのかもしれないが、そういった理由だけで庇うわけじゃないだろう。大事な人間だから、庇ってやりたいし、守ってやりたいと思うんだろう」
なんでこんな小学生への情操教育のようなことを同い年の男にしなければならないのか。そんなふうに呆れながらも、茅野は言い諭した。
なぜ、そんなふうな考え方しかできなくなっているのか、という同情はしたくなかった。自分たちは、友人だ。成瀬がどう思っていようが、アルファだろうが、オメガだろうが、関係はない。
「それは、そんなにおかしいことなのか」
そんなことはない場所であってほしいとも思っている。そうして、もともと、そう言っていたのは、――その世界を実現させようとしていたのは、成瀬だったはずだった。そのすべてが嘘だったとは茅野には思えない。
「それをわからないで切り捨てるのは、さすがにどうかと俺は思うぞ」
じっとこちらを見つめていた視線が逸れたのが合図だった。畳みかけるようにして、通告する。
「言い返せないなら、ちゃんと向原と話せ」
茅野は、成瀬たちとつくり上げてきた、ここが好きだ。陵学園も好きだし、櫻寮も好きだが、何年もともに過ごしてきた友人たちが好きだ。
だから、自分の好きな人間の望むかたちであってほしい。それ以外の人間の望みなど、どうでもいい。
これは、そのための最低条件だ。茅野はそう思っているし、成瀬もきっとわかっている。
「話はぜんぶそれからだ」
子どもに言い聞かせる根気でもって、茅野は問い重ねた。
「いいのか、それで」
「いい」
「できるか」
迷いの一切ない返事に、勝ったのは苛立ちではなく呆れだった。つい溜息まじりの調子になる。
成瀬の言うとおりで、つがいの契約は、アルファの側からなら自由に解除することができる。アルファにはそれで不利益はない。だが、オメガはそうではないはずだ。
「おまえは俺をなんだと思ってるんだ。できるわけないだろう」
「なんだって……」
「信用のできるお友達だというのなら、なおさらだ」
ドアを背にした位置から成瀬は動こうともしない。困ったような笑みを浮かべているものの、どうせかたちだけだ。
それもすべてわかってしまうだけに、余計にくるものがある。
「おまえの相手をしていると、たまに無性にむなしくなるぞ、俺は」
嘆いてはみせたが、どうせこれも響かないにちがいない。それでも言葉にしたのは、言わないよりはマシだと思ったからだ。
「篠原に言っても、俺と似たり寄ったりのことしか言わないと思うぞ。諦めろ。おまえは、おまえの言うおまえなんかのことを大事に思っている人間のために、もう少しくらい自分を大事に扱ってやれ」
「大事に?」
「そうだ」
らしくない馬鹿にしたような態度だったが、めげずに言い諭す。
「おまえにはおまえの都合があることはわかる。俺にはわからないだろうとおまえが切り捨てていることもわかる。でもな、おまえの都合に振り回される人間のことも思いやってやれ」
向原や篠原、柏木といった同級生もそうだし、成瀬がかわいがっている一年生だってそうだ。次々に茅野の頭には思い浮かぶのに、当人にとってはそうでないらしい。
抑えきれなかった苛立ちを自覚しながら、茅野は小さく息を吐いた。ここから先はあまり引き合いに出したくなかったのだが、しかたがない。
「おまえの思考回路が正常じゃなかったから出た言葉だと信じたいが、なかなかだったぞ」
瞬間、微笑を刻んでいた瞳の温度が下がった気がしたが、かまわずに続ける。
「俺も、最初からすべてを聞いていたわけじゃないがな、自分のことを好きだと承知している相手に『死んでやる』と言うのも最悪な脅し方だと思うし、『誰でもいいから相手を探す』という捨て鉢な言動もなかなかに最悪だった。しかもおまえ本気だっただろう」
「さぁ、どうだったかな」
「いいかげん、その似非臭い笑顔もやめろ」
響かないだろうと承知していたが、本当に糠に釘とはこのことだ。暖簾に腕押しでもいいが。
「あのな、成瀬」
どうにか声音を和らげて、人形のような顔に向かって呼びかける。いつも張り付けている笑みが剥がれると、出来すぎた造作が際立ってそんなふうに見えることがあるのだ。
わかっているから、人当たりのいい笑みで武装しているのだろうが。今日の作り笑顔は、この五年見てきたものの中で一番にひどかった。
見ているこちらが、やめろと言いたくなるくらいには。
「それでも、あいつは、おまえを優先した」
「あれのどこが優先だ。思い切り殴りやがって」
「本当に、そう思ってるのか」
重ねて問いかけると、今度こそ成瀬が黙り込んだ。追い込みたかったわけでもないのに、なんでこう頑ななのか。
あいつ次第だろと言った向原の、呆れと諦めに染まった声が思い出されて、茅野はちらりと窓の外を見やった。
――あいつがいなくてよかったかもしれないな。
これと会わせたら、今度こそ血を見たかもしれない。なにもさせない、と言った手前、面倒を見る義務はある。
「少なくとも、破れかぶれだったおまえよりは、おまえのことを考えていたように見えたぞ、俺にはな」
なにを考えているのかわからない顔で沈黙を決め込んでいる男に向かって、滾々と伝える。
「大切にしている、というのは、そういうことだと俺は思うが」
「……」
「強いだとか、弱いだとか、アルファだとか、オメガだとか、そういったことではなく。おまえはこれもアルファの俺だから言える詭弁だと切り捨てるのかもしれないが、そういった理由だけで庇うわけじゃないだろう。大事な人間だから、庇ってやりたいし、守ってやりたいと思うんだろう」
なんでこんな小学生への情操教育のようなことを同い年の男にしなければならないのか。そんなふうに呆れながらも、茅野は言い諭した。
なぜ、そんなふうな考え方しかできなくなっているのか、という同情はしたくなかった。自分たちは、友人だ。成瀬がどう思っていようが、アルファだろうが、オメガだろうが、関係はない。
「それは、そんなにおかしいことなのか」
そんなことはない場所であってほしいとも思っている。そうして、もともと、そう言っていたのは、――その世界を実現させようとしていたのは、成瀬だったはずだった。そのすべてが嘘だったとは茅野には思えない。
「それをわからないで切り捨てるのは、さすがにどうかと俺は思うぞ」
じっとこちらを見つめていた視線が逸れたのが合図だった。畳みかけるようにして、通告する。
「言い返せないなら、ちゃんと向原と話せ」
茅野は、成瀬たちとつくり上げてきた、ここが好きだ。陵学園も好きだし、櫻寮も好きだが、何年もともに過ごしてきた友人たちが好きだ。
だから、自分の好きな人間の望むかたちであってほしい。それ以外の人間の望みなど、どうでもいい。
これは、そのための最低条件だ。茅野はそう思っているし、成瀬もきっとわかっている。
「話はぜんぶそれからだ」
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