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第三部
パーフェクト・ワールド・エンドⅡ 1 ①
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[1]
――俺は、オメガはひとりでは生きられない、なんてことはないと思う。
――でも、信頼できるアルファがいるなら。ずっと一緒にいたいと行人が思えるようなアルファがいるなら、つがいになったほうが、きっとずっと生きやすい。
――幸せになれる。
――逃げたわけでも、負けたわけでもない。運命だったって、だけだ。
あの夜、成瀬はそれが当然だという顔でほほえんでいた。アルファの、王者の、いつもの顔で。
だからわかったのだ。この人は、そのあたりまえを――幸せなオメガと呼ばれる道を選ぶつもりはさらさらないのだということが。
*
――でも、俺、あのときまで、成瀬さんがそうだなんて思ってもなかったんだよな。
考えたこともなかったというほうが正しいのかもしれないが。とかく行人にとって、成瀬は圧倒的な強者でアルファだった。
つまり、オメガである自分に微塵もそうと気がつかせないほど、きれいに隠していたのだ。薬の管理も、自身の体調の管理も、徹底的にしていたにちがいない。そういう人だと思うし、そうでないと隠し通せないことを行人は知っている。
それなのに、効かないということは――。
「なにやってんの、おまえ」
帰りを待ちわびていた同室者にあきれ顔で指摘されて、行人はぴたりと足を止めた。
「いや、その……」
熟考しすぎていて、扉が開く音にまったく気がつかなかったのだ。狭い寮室をぐるぐると歩き回っている姿を見られたのは、迂闊だったとしか言いようがない。
「ちょっと、考えごとというか、……うん、考えごと」
「熊かよ」
失笑されてしまったが、原因はおまえだと主張したい。夜の点呼が終わったあとになって、高藤が茅野に用事があると出て行ったことに端を発しているのだから。
でも、最初のうちは気がそぞろながらも勉強していたのだ。まぁ、途中からは気になって、それどころではなくなってしまったのだけれど。
「そうじゃなくて。茅野さん、なんか言ってた?」
気になっていたことを早々に尋ねると、「あー……」と高藤が濁すように首を振った。
「ちょっと話せなかった」
「話せなかったって、なんで?」
「いや、忙しそうだったし」
「だったら、もっと早く戻ってくるだろ」
「ちょっと待ってみてたんだよ、それだけ」
でもやっぱり手が空きそうになかったから、戻ってきたの。そう言われて、行人は渋々と頷いた。
誤魔化そうという空気を感じた気がしたのだが、説明としての筋は通っている。
「忙しそう」
引っかかったもうひとつを繰り返すと、高藤が宥めるように笑った。
「まぁ、茅野さんも忙しい人だから」
「そうかもしれないけど」
それはそうかもしれないけれど、でも。状況が状況だから、気になってしまう。
――結局、俺も、いいように追い出されただけだったし。
茅野の態度はあくまでもいつもどおりだった。けれどそれが余計に、「おまえはこれ以上踏み込むな」と言われているようでもあって。
――でも、まぁ、しかたないよな。
自分が役に立てるかもしれないと考えた唯一を一蹴されてしまえば、それ以上は言い募れなかった。
自分が力不足だろうということはわかっていたし、ごねて迷惑をかけたわけでもない。だから素直に追い出されたのだ。
どうにか自分を納得させて、椅子に腰を落ち着け直す。机の上には中途半端に開いたままの教科書があったけれど、続きをする気分にはなれなかった。
最後に耳にした向原の一言が、しつこく胸に残っていたからだ。
難しい顔で溜息を吐いているのが気の毒になったのか、高藤が隣の椅子を引きながら話しかけてきた。完全に宥める調子である。
「まぁ、でも、そんなに心配することないと思うよ」
「することでもないって……」
高藤が心配していないと思っているわけでもないし、慰めようとしてくれているのだともわかっていたけれど、声に険が混ざることを止められなかった。
「だって、ほら、榛名のときだって、どうにかなったわけだし」
それは、あの人たちが根回しした上で、おまえが引かなくてもいい貧乏くじ引いて、それで、どうにかなたんだろ。そう思ったことは言わなかったが、伝わったらしい。
「だから、今回もあの人たちはあの人たちでどうにかするってこと。そこに俺らが口挟む隙なんてないんじゃない?」
「……」
「だから、気にしても意味ないってこと。――それに、まぁ、俺にできるのなんて、これからも知らないふりを続けることくらいだと思うし」
知らないふりを続ける、という台詞に、「え?」とまじまじと高藤を見つめてしまった。その視線を受けて、高藤が苦笑気味に肩をすくめた。
「いや、だって、そうだろ。あの人が俺の介入を喜ぶと思う? 喜ばないでしょ」
「そう……なのかな」
「そうなの。そういう人なの」
あっさりと言い切って、高藤はこうも続けた。
「昔から、本当にそうなんだよ。他人に弱みを見せるのが大嫌いで、すげぇプライド高いの。優しそうに見えるだけで、……いや、まぁ、優しいは優しいけど、めちゃくちゃ頑固だし」
そうかもしれないと納得してしまったものの、同意しづらいものがある。微妙な顔で押し黙った行人に、ちらと高藤が目を向ける。
「それに、すごく強い人だから」
「それは、そうだと思うけど」
「でしょ? だから、あの人を舐めないほうがいい」
「舐めるって、誰もそんなこと」
「あの人からしたら、俺らにむやみに心配されるっていうことが、そういうことなんだよ。大丈夫。良くも悪くも黙って負けるような人でもないから」
熱くなりかけたところをさらりといなされて、行人はむっと眉間に皺を寄せた。高藤の言っていることが、わからないわけではない。でも、なんだか感情の部分で納得しきれないというだけで。
――だって、それじゃ、本当にひとりみたいだ。
その道を望んでいるのがあの人自身で、あの人にそれができるだけの器量が備わっているとしても、でも、それは……。
「それに、こういうこと言うと、榛名は納得しないかもしれないけど。俺は、水城や本尾先輩よりも、茅野さんと成瀬さんのほうが怖い人だと思うよ」
「怖い? 成瀬さんと茅野さんが?」
悶々としたものを抱えたまま、行人はそう問い返した。怖いという意味がよくわからなかったのだ。「だって」と高藤が小さく笑った。
「今のこの学園の正義を執行できる側の人間は、あの人たちのほうだよ」
――俺は、オメガはひとりでは生きられない、なんてことはないと思う。
――でも、信頼できるアルファがいるなら。ずっと一緒にいたいと行人が思えるようなアルファがいるなら、つがいになったほうが、きっとずっと生きやすい。
――幸せになれる。
――逃げたわけでも、負けたわけでもない。運命だったって、だけだ。
あの夜、成瀬はそれが当然だという顔でほほえんでいた。アルファの、王者の、いつもの顔で。
だからわかったのだ。この人は、そのあたりまえを――幸せなオメガと呼ばれる道を選ぶつもりはさらさらないのだということが。
*
――でも、俺、あのときまで、成瀬さんがそうだなんて思ってもなかったんだよな。
考えたこともなかったというほうが正しいのかもしれないが。とかく行人にとって、成瀬は圧倒的な強者でアルファだった。
つまり、オメガである自分に微塵もそうと気がつかせないほど、きれいに隠していたのだ。薬の管理も、自身の体調の管理も、徹底的にしていたにちがいない。そういう人だと思うし、そうでないと隠し通せないことを行人は知っている。
それなのに、効かないということは――。
「なにやってんの、おまえ」
帰りを待ちわびていた同室者にあきれ顔で指摘されて、行人はぴたりと足を止めた。
「いや、その……」
熟考しすぎていて、扉が開く音にまったく気がつかなかったのだ。狭い寮室をぐるぐると歩き回っている姿を見られたのは、迂闊だったとしか言いようがない。
「ちょっと、考えごとというか、……うん、考えごと」
「熊かよ」
失笑されてしまったが、原因はおまえだと主張したい。夜の点呼が終わったあとになって、高藤が茅野に用事があると出て行ったことに端を発しているのだから。
でも、最初のうちは気がそぞろながらも勉強していたのだ。まぁ、途中からは気になって、それどころではなくなってしまったのだけれど。
「そうじゃなくて。茅野さん、なんか言ってた?」
気になっていたことを早々に尋ねると、「あー……」と高藤が濁すように首を振った。
「ちょっと話せなかった」
「話せなかったって、なんで?」
「いや、忙しそうだったし」
「だったら、もっと早く戻ってくるだろ」
「ちょっと待ってみてたんだよ、それだけ」
でもやっぱり手が空きそうになかったから、戻ってきたの。そう言われて、行人は渋々と頷いた。
誤魔化そうという空気を感じた気がしたのだが、説明としての筋は通っている。
「忙しそう」
引っかかったもうひとつを繰り返すと、高藤が宥めるように笑った。
「まぁ、茅野さんも忙しい人だから」
「そうかもしれないけど」
それはそうかもしれないけれど、でも。状況が状況だから、気になってしまう。
――結局、俺も、いいように追い出されただけだったし。
茅野の態度はあくまでもいつもどおりだった。けれどそれが余計に、「おまえはこれ以上踏み込むな」と言われているようでもあって。
――でも、まぁ、しかたないよな。
自分が役に立てるかもしれないと考えた唯一を一蹴されてしまえば、それ以上は言い募れなかった。
自分が力不足だろうということはわかっていたし、ごねて迷惑をかけたわけでもない。だから素直に追い出されたのだ。
どうにか自分を納得させて、椅子に腰を落ち着け直す。机の上には中途半端に開いたままの教科書があったけれど、続きをする気分にはなれなかった。
最後に耳にした向原の一言が、しつこく胸に残っていたからだ。
難しい顔で溜息を吐いているのが気の毒になったのか、高藤が隣の椅子を引きながら話しかけてきた。完全に宥める調子である。
「まぁ、でも、そんなに心配することないと思うよ」
「することでもないって……」
高藤が心配していないと思っているわけでもないし、慰めようとしてくれているのだともわかっていたけれど、声に険が混ざることを止められなかった。
「だって、ほら、榛名のときだって、どうにかなったわけだし」
それは、あの人たちが根回しした上で、おまえが引かなくてもいい貧乏くじ引いて、それで、どうにかなたんだろ。そう思ったことは言わなかったが、伝わったらしい。
「だから、今回もあの人たちはあの人たちでどうにかするってこと。そこに俺らが口挟む隙なんてないんじゃない?」
「……」
「だから、気にしても意味ないってこと。――それに、まぁ、俺にできるのなんて、これからも知らないふりを続けることくらいだと思うし」
知らないふりを続ける、という台詞に、「え?」とまじまじと高藤を見つめてしまった。その視線を受けて、高藤が苦笑気味に肩をすくめた。
「いや、だって、そうだろ。あの人が俺の介入を喜ぶと思う? 喜ばないでしょ」
「そう……なのかな」
「そうなの。そういう人なの」
あっさりと言い切って、高藤はこうも続けた。
「昔から、本当にそうなんだよ。他人に弱みを見せるのが大嫌いで、すげぇプライド高いの。優しそうに見えるだけで、……いや、まぁ、優しいは優しいけど、めちゃくちゃ頑固だし」
そうかもしれないと納得してしまったものの、同意しづらいものがある。微妙な顔で押し黙った行人に、ちらと高藤が目を向ける。
「それに、すごく強い人だから」
「それは、そうだと思うけど」
「でしょ? だから、あの人を舐めないほうがいい」
「舐めるって、誰もそんなこと」
「あの人からしたら、俺らにむやみに心配されるっていうことが、そういうことなんだよ。大丈夫。良くも悪くも黙って負けるような人でもないから」
熱くなりかけたところをさらりといなされて、行人はむっと眉間に皺を寄せた。高藤の言っていることが、わからないわけではない。でも、なんだか感情の部分で納得しきれないというだけで。
――だって、それじゃ、本当にひとりみたいだ。
その道を望んでいるのがあの人自身で、あの人にそれができるだけの器量が備わっているとしても、でも、それは……。
「それに、こういうこと言うと、榛名は納得しないかもしれないけど。俺は、水城や本尾先輩よりも、茅野さんと成瀬さんのほうが怖い人だと思うよ」
「怖い? 成瀬さんと茅野さんが?」
悶々としたものを抱えたまま、行人はそう問い返した。怖いという意味がよくわからなかったのだ。「だって」と高藤が小さく笑った。
「今のこの学園の正義を執行できる側の人間は、あの人たちのほうだよ」
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