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第三話
19.
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スコアレスドローの後半15分、交代の笛が鳴った。
あっと嬉しそうな声をあげた栞に教えられるまでもなく、俺も気がついていた。
折原だ。
流れたアナウンスに、会場内から折原のコールがわき起こる。
フォワードの仕事は点を取ること。それがチームのエースなら尚更だ。こいつならやってくれるんじゃないか。そんな雰囲気を、折原はいつも持っていて。
同じチームでプレーをしていた時、何度も励まされた。そしてもっと折原を輝かせたいと、いつだって俺は何故かそう願っていたような気がする。
パスは繋がるものの、なかなか得点に結びつかない時間が続く。
ずっと避け続けていたのが信じられないくらい、俺はフィールドを駆ける折原から目が離せなくなっていた。
隣で叫んでいる栞の声も、観客席から沸き起こる声援も、今はひどく遠い。
――折原、だ。
ふいに目の奥が熱くなって、誤魔化すようにして一度ゆっくりと瞬いた。それでも見下ろす先にある姿は変わらない。一緒にフィールドに立っていたころの折原じゃない。
日本を代表する選手になった折原がいる。これだけの熱気に包まれて、今そこにある。
それは、ずっと昔、夢想した、いつかの未来だった。
青いユニフォームを着て、いつか世界に羽ばたける。広い世界に続いているその道をただ歩んでくれればいい。
なんにでもなれる。どこへでも行ける。
まるで――。
そう、まるで。なれるはずのない自分の分の未来まで託すように、そう、祈っていた。
それがどれだけ傲慢なのかも、分かっていて、でもそれでも、と。
――俺は、先輩が、そこにいないのは嫌だ。
あのとき、折原はそう言った。もうそれで十分だと思った。十分すぎる。十分すぎた。
ペナルティエリアに抜け出した折原の足元にボールが飛び込んできた。吸いつくようなボールさばきでふわりと浮いた球が、そのままゴールネットに突き刺さる。
「―――――!」
観客席が地響きのように揺れて、歓声が鳴り響いていた。抱き着いてきた栞に応えることもできないまま、俺はただ息を詰めてフィールドを見下ろしていた。
ゴールを決めた折原は、駆け寄ってくる仲間にではなく、確かにこちらに向かって笑った。
これだけの人がいる中、見えているわけがない。俺がそこにいると分かっているわけがない。
でも。
いつもゴールを決めると真っ先に俺を探して飛びついてきていた。いつも、いつも。
同じチームにいる間、それは、ずっと。
フィールドでは得点を奪い取ったエースが仲間にもみくちゃにされていた。スクリーンには折原の笑顔が大写しになっている。
そしてそれを俺はここから見ている。
それは――ひどく奇妙な感覚で、けれど何かがすとんと胸に堕ちてきた。
「すごかったねぇ! また決めちゃった! って、あれ……、佐野? ちょ、佐野!」
「え、あ……悪ぃ、なに?」
揺れる観客席で届くように声を張り上げると、栞はきょとんとした顔で俺を指さした。
「なんか、いやにすっきりした顔しちゃって、どうしたの?」
「……え?」
「うん、そりゃそうだよね、ごめん! 変なこと言った! 決まったねぇ、よし残りあと5分! 勝ちきれー!」
抱き着いてきていた腕を外して、栞はまたフィールドに向かって声援を送り出す。その興奮した横顔を見つめながら、俺は「そうだな」と小さく呟いた。
このざわめきの中、誰にも聞こえない本音を。
「すっきり、な」
そうだ。俺は何を血迷っていたんだろう。
俺が知っているのは高校生の頃までの折原で。今ここにいる折原とは全然違うのに。
あの狭い世界の中で、俺に触れてきた子どもじゃない。
あっと嬉しそうな声をあげた栞に教えられるまでもなく、俺も気がついていた。
折原だ。
流れたアナウンスに、会場内から折原のコールがわき起こる。
フォワードの仕事は点を取ること。それがチームのエースなら尚更だ。こいつならやってくれるんじゃないか。そんな雰囲気を、折原はいつも持っていて。
同じチームでプレーをしていた時、何度も励まされた。そしてもっと折原を輝かせたいと、いつだって俺は何故かそう願っていたような気がする。
パスは繋がるものの、なかなか得点に結びつかない時間が続く。
ずっと避け続けていたのが信じられないくらい、俺はフィールドを駆ける折原から目が離せなくなっていた。
隣で叫んでいる栞の声も、観客席から沸き起こる声援も、今はひどく遠い。
――折原、だ。
ふいに目の奥が熱くなって、誤魔化すようにして一度ゆっくりと瞬いた。それでも見下ろす先にある姿は変わらない。一緒にフィールドに立っていたころの折原じゃない。
日本を代表する選手になった折原がいる。これだけの熱気に包まれて、今そこにある。
それは、ずっと昔、夢想した、いつかの未来だった。
青いユニフォームを着て、いつか世界に羽ばたける。広い世界に続いているその道をただ歩んでくれればいい。
なんにでもなれる。どこへでも行ける。
まるで――。
そう、まるで。なれるはずのない自分の分の未来まで託すように、そう、祈っていた。
それがどれだけ傲慢なのかも、分かっていて、でもそれでも、と。
――俺は、先輩が、そこにいないのは嫌だ。
あのとき、折原はそう言った。もうそれで十分だと思った。十分すぎる。十分すぎた。
ペナルティエリアに抜け出した折原の足元にボールが飛び込んできた。吸いつくようなボールさばきでふわりと浮いた球が、そのままゴールネットに突き刺さる。
「―――――!」
観客席が地響きのように揺れて、歓声が鳴り響いていた。抱き着いてきた栞に応えることもできないまま、俺はただ息を詰めてフィールドを見下ろしていた。
ゴールを決めた折原は、駆け寄ってくる仲間にではなく、確かにこちらに向かって笑った。
これだけの人がいる中、見えているわけがない。俺がそこにいると分かっているわけがない。
でも。
いつもゴールを決めると真っ先に俺を探して飛びついてきていた。いつも、いつも。
同じチームにいる間、それは、ずっと。
フィールドでは得点を奪い取ったエースが仲間にもみくちゃにされていた。スクリーンには折原の笑顔が大写しになっている。
そしてそれを俺はここから見ている。
それは――ひどく奇妙な感覚で、けれど何かがすとんと胸に堕ちてきた。
「すごかったねぇ! また決めちゃった! って、あれ……、佐野? ちょ、佐野!」
「え、あ……悪ぃ、なに?」
揺れる観客席で届くように声を張り上げると、栞はきょとんとした顔で俺を指さした。
「なんか、いやにすっきりした顔しちゃって、どうしたの?」
「……え?」
「うん、そりゃそうだよね、ごめん! 変なこと言った! 決まったねぇ、よし残りあと5分! 勝ちきれー!」
抱き着いてきていた腕を外して、栞はまたフィールドに向かって声援を送り出す。その興奮した横顔を見つめながら、俺は「そうだな」と小さく呟いた。
このざわめきの中、誰にも聞こえない本音を。
「すっきり、な」
そうだ。俺は何を血迷っていたんだろう。
俺が知っているのは高校生の頃までの折原で。今ここにいる折原とは全然違うのに。
あの狭い世界の中で、俺に触れてきた子どもじゃない。
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