夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第四話

22.

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「過保護なのは俺じゃなくておまえだろうが、昔から」

 酔い潰れた後輩を気にしてか、ベランダに出た富原に付き合って、外に出る。
 夏の夜は蒸し暑かったが、クーラーの効いていなかった寮の、真夏の夜の寝苦しさほどじゃない。

 鉄さびた柵に肘をかけて、煙草に火を点ける。「灰、落とすなよ」と富原が苦笑するのに、空き缶を拾い上げて応じる。

「あいつ、二十歳になってたんだな」
「つい先月だけどな。忘れてやるなよ」

 言って、富原が窓越しに室内を振り返る。

「でも、こんな潰れるほど呑まないよ、いつもだったら。今日は、おまえがいたからだろ」

 先輩、佐野先輩、と。

 じゃれるように引っ付き続けていた後輩を引きはがそうとして失敗した。
 あのころのチームメイトは、こぞって折原のことを犬だと言うが、その通りだと俺も思う。

 あの、邪気のなさそうな、というか全身で「好きなんです」と言っている顔で懐かれると、どうしたって邪険にできない。
 ……それも、言い訳なのかもしれないけれど。
 引きはがせないまま、富沢の家にまで折原を連れて一緒にきてしまった。

「そう言えば、佐野。知ってるか?」
「……なにを」
「今じゃ信じられないけど、あいつ中等部に入ったころ、おまえのことかなり苦手だったみたいだぞ」

 からかうように口にした富原に、俺は黙って灰を空き缶に落とした。
 知っている。

 確かにあいつが超中学生級のエースとして入学してきた当時、俺も一応一軍に在籍していたわけだが、折原から喋りかけられた記憶はほとんどない。
 それがなんでこうなったのか、きっかけを俺は知らない。ただいつしか、振り返ればそこにいるようになってしまっていたのだ。

「どうせおまえが勝手に、俺を『良い人』に仕立て上げたんだろ」

 無理矢理のようにして微笑うと、富原は緩やかに否定した。

「そんなこと、してないよ。――まぁ、あいつが苦手だって言うたびに、よく見てみろとは助言したけどな」
「っつかそんな愚痴ってたのか、あいつは」
「おまえの優しさは、分かりにくいからな」

 だからおまえにかかったら、みんな良い人になるんだって。
 苦笑して、深く紫煙を吐き出した。あのころだったら、絶対吸おうと思わなかったものだ。今も、折原が隣にいたら、絶対吸わないだろうと思う。

「あいつ、昔からずっと特別扱いされてたんだろ、良くも悪くも」
「そりゃ、折原だからな」

 一つ年下と言っても、年代は同じだ。昔から、あいつの名前を俺は一方的に知っていた。俺だけじゃない、サッカーをしていて、上を目指していた奴だったら、みんなそうだったと思う。

 どの年代のユースにも必ず名前を連ねていて、何度も世界と戦っていたエースフォワードだった。
 その折原が、何を思って、クラブユースではなく、深山を選択したのかは、知らないけれど。

「うちに入りたての頃も、どこか周りは遠慮がちだったしな。同学年の奴らもどう扱っていいのか悩んでたんだろうし」
「今じゃただの馬鹿だけどな」
「その馬鹿にしたのは、佐野だろうって話だよ」

 それゃ俺に夢見すぎだ。そう笑い飛ばそうとして失敗した。
 富原はどこまでも真面目な色を点している。

「おまえが他の奴らが思ってても陰でしか言わないようなことを、軽口にして折原にぶつけて、じゃれてただろ。それで周りも空気も、確実に変わったよ。折原も」
「俺は、あいつがスカしてんのがムカついたから、しめてただけだって。変わったとしたら、それはあいつが自分で現状をどうにかしようとした、その結果で、だろ」
「なぁ、佐野」

 富原が外に目を向けたまま、静かに口を開いた。

「おまえ、折原のこと、好きなのか」

 ――そんなわけないだろ、と即座に否定し損ねて、誤魔化すように煙草を吸いこんだ。

「ん、あぁ……どう思う?」

 果たして俺の声は、軽口を叩く調子を保てているのだろうかと思って、こいつ相手だったら今更かもしれないとも思った。
 どうせ、ばれる。

「質問に質問で返すな。それに、俺が決めることでも判断することでもないだろう」
「おまえの正論、きついんだよ」

 優しそうな顔をして、そのくせ誰もが言いにくいようなこともきちんと諭して、チームをまとめ上げていた。俺が知っているのは中等部での話だけれど。

「きついと思うのは、図星だとおまえが思ってるからだぞ」
「あー……そうなんかな。わかんねぇわ、俺」

 好きだとは口が裂けても言えない。けれど嫌いだとも口にできない。ただの後輩だと言うには、同じ空間を共有してきた富原相手には白々しすぎる。

 つまり、そう言うことなのだ。

「別におまえの口からはっきり聞きたいわけじゃないけど、なぁ、佐野」

 聞きたくないな、と思ったのは、その先が予測できたからだ。
 そしてそれが俺を揺さぶると分かっていたからだ。

「おまえがいなくなってからも、俺は一年、折原を見てきたけど。おまえのいない深山でプレーしてきたけどな、あいつは、」
「ストップ」

 まだ軽口だとぎりぎり自分で納得できる声が出せた。それにほっとしながら、眉をひそめた富原をとどめて缶に吸いさしを落とし込んだ。終わりだ。

「それこそ、おまえの口から聞く話でも、おまえが判断する話でもねぇだろ?」
「じゃあ」

 富原が溜息染みた声を落として、頭を押さえた。

「逃げてやるな」
「……逃げてねぇだろ」

 少なくとも、今は。と言う付け足しは呑みこんで、苦笑する。

「だったら、逃げるのをやめたから戻ってきたと思っていいのか、俺は」

 なんでおまえがこの話でそんな真面目な顔をするのかね。
 そう思ったけれど返ってくる言葉は分かる気もした。
 こいつにとって、俺も折原も懐かしいチームメイトで大事な元仲間で、可愛い後輩で、身内だ。

 けれど逃げるのをやめたと言うのは、少し違うかもしれない。
 俺も酒が残ってるのかもしれないなと思いながら、トンと音を立てて缶を足元に置いた。

「終わらせに来た」
「……佐野」
「やっと決めれたんだ。だから、言うなよ」

 富原の顔をそれ以上見れなかった。決めたことだ。何も感傷的になるようなことでもなければ、悲しむようなことでもない。
 それなのに。――なんで、だろうな。


 折原の声も顔も、消えない。この二年で忘れたつもりだった。
 でも本当にそれはつもりだけで、まったく消えていなくて、そして折原も俺が中途半端にした所為で覚えてしまっていて、だから消すと決めた。

 区切りだと思った。

 このままじゃ駄目なんじゃないかと言う予感は、本当はあの頃からあったのだ。
 それをずっとなぁなぁにしていたのは、俺の弱さだったと、今になって、ようやく後悔し始めている。
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