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第七話
40.
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「佐野先生」
「……何してんですか、監督」
予定時間を大幅に超えた会議を終え職員室に戻ると、何故か監督が俺の席に座っていた。
いつもなら帰っている時間だろうにと時計をちらりと見る。時刻は9時を回ろうとしているところだった。
「ちょっと、佐野先生と相談したいことがありまして」
「生徒のいないときまでやめてくださいよ、その呼び方」
「まだ恥ずかしがっとるんですか、先生」
何と言われようとも慣れないものは慣れない。昔から変わらない鷹揚な笑みを浮かべている監督だが、間違いなくからかって楽しんでいる。
サッカー部のことを誰よりも知っているだろうとの監督の一存で、着任早々サッカー部の顧問に付けられてしまったわけだが、ただ単に監督の使い勝手が俺だと楽だと言うだけに違いない。
「それで? なんなんです、話って。時枝ですか、佐倉ですか」
「どっちもと言えば、どっちもだなぁ。時枝も仕方がない部分はあるが、佐倉を意識しすぎて煮詰まっとるし、佐倉は佐倉で部の練習にめっきり顔を出さんし」
「授業は一応出てるみたいですけどね、佐倉」
寝ているが出てはいる。そう苦い顔をしていた佐倉の担任の話を持ち出すと、監督はさらに困ったように頭を掻いた。
「佐野、もし、おまえたちの代に佐倉がいたらどう扱ってた?」
「俺らの代に、ですか?」
富原がいて、俺がいて、――折原がいて。
深山の最盛期と言われていた時代だった。この数年、深山は全国の舞台に立ってはいない。
「正直、おまえたちの代は扱いやすかったよ。おまえと富原でよくバランスがとれていたから、助けられた部分が大きい」
「俺は別に何もしていませんが、……そうですね、時枝も、今は主将としてやらないとと力が入りすぎてるんでしょうから、良い具合に抜けたらいいんでしょうけど」
また話は俺も聞いてみますと応じると、監督は「すまんな」と眉を下げた。それは学生だった頃には見ることのなかったもので。あのころは、監督なら全部を知っているような気がしていたけれど、そんなことはなかったんだなと当たり前のことを思う。
けれど、その当たり前に気が付けないのが、あのころの子どもなのだろう。
目の前のことしか見えなかった、今さえが良ければいいと思えていた、時間。
「佐野。もしおまえが高校生だった頃、いたのが折原じゃなくて佐倉だったら、どうしてた?」
「佐倉だったら――……」
すぐには想像が出来なかった。折原が、いなかったら。
――たぶん、今の俺はないんだろう。
「そうですね、佐倉だったら……、俺はもっと早く辞めさせてるかもしれません」
「はは、そりゃあいい」
「笑いごとでいいんですか、監督」
「時枝もおまえくらい肝が据わってたら、楽なんだろうけどな」
「俺、据わってますか?」
どちらかと言えば、性格が悪いだけな気がしなくもない。首を傾げると、監督は生徒を見るようなまなざしで俺を見ていた。
「天才に壁を作らないで、良くも悪くも普通に付き合っていただろう、おまえは」
「そんなことないと思いますけど。俺、嫉妬してましたよ、普通に」
「誰だってするさ。それをちゃんと自覚して、相手を一人の後輩と見て対応できていただけで十分だ」
「そんなもんですかね」
「証拠に、折原は佐野に一番懐いていたじゃないか」
「あー、……でしたかね」
あのころを知っている人物に評されるのは気恥ずかしい。けれど、心を揺さぶられるような感情は、この三年でだいぶ落ち着いた。
ニュース映像で映る折原も、最近になってようやく「ニュース」として処理できるようになってきたところで。
「あいつは、才能だけで言えば、折原に引けを取らないものがあるんだがなぁ」
「持ってるだけなら、持ち腐れて終わりでしょう」
「それはまたえらく手厳しいな、佐野」
「監督が一番ご存知なんじゃないですか」
持っているだけの人間なら、きっと一握りよりもっと多くいるのだろう。
けれど、それを開花させるのもまた才能のうちだし、より一層と磨いていくのは努力だと思う。
「折原は確かにそのあたりも抜群だったからな。けどなぁ、やっぱり環境も大事なんだよ」
深山でやるサッカーが楽しかったと折原は言っていた。
佐倉は、まだそうではないんだろう。
「折原には、おまえたちがいて良かったんだと思ってるよ」
「……どうなんでしょうね」
「はは、そのあたりのことは今度、本人に聞いてみたらいい」
「本人て。俺、この数年、あいつのことテレビでしか見てませんよ」
移籍したドイツでレギュラーの座を獲得していることも、日本代表に招集されて青いユニフォームを身に纏って戦っていることも。
知っているけれど、それだけだった。
苦笑した俺に、監督が不思議そうに目を瞬かせた。
「なんだ。折原の奴、自分から言うから黙っておいてくれと言ったくせに、まだおまえに言ってなかったのか」
「え? なにが、ですか」
「あいつ、リハビリで今、日本に戻ってきてるだろ。その合間に、ウチの練習に顔出してくれるって応じてくれてな」
折原が来ることで、あいつらにもいい刺激があればいいと思っているんだが、と続いた監督の台詞は半分以上俺の頭に入ってきていなかった。
「折原が?」
「佐野がいるって話したら、驚いてたけどな。ぜひ行きますって。あいつは変わらないな」
ドイツに出発する前に折原が零した爆弾発言は、それからしばらくの間、世間をにぎわしていた。
監督も勿論、知っているだろうし、この学園も多少の影響は受けただろうと思う。
それでも、――それでも、折原は、確かに折原ではあったのだけれど。
偏見や戸惑いがあっても、それらすべてを凌駕するようなスター性が折原にはあった。
笑っている折原の映像を見るたびに、あぁ折原の言っていることは間違いがなかったんだなと安堵した、けど。
「変わらないですか、あいつ」
普通を装って紡いだ声は、変に震えていなかっただろうか。
監督は、「そうだな」と昔と同じ声で頷いた。
「俺からすれば、おまえも折原も、まだまだ若いよ」
「……何してんですか、監督」
予定時間を大幅に超えた会議を終え職員室に戻ると、何故か監督が俺の席に座っていた。
いつもなら帰っている時間だろうにと時計をちらりと見る。時刻は9時を回ろうとしているところだった。
「ちょっと、佐野先生と相談したいことがありまして」
「生徒のいないときまでやめてくださいよ、その呼び方」
「まだ恥ずかしがっとるんですか、先生」
何と言われようとも慣れないものは慣れない。昔から変わらない鷹揚な笑みを浮かべている監督だが、間違いなくからかって楽しんでいる。
サッカー部のことを誰よりも知っているだろうとの監督の一存で、着任早々サッカー部の顧問に付けられてしまったわけだが、ただ単に監督の使い勝手が俺だと楽だと言うだけに違いない。
「それで? なんなんです、話って。時枝ですか、佐倉ですか」
「どっちもと言えば、どっちもだなぁ。時枝も仕方がない部分はあるが、佐倉を意識しすぎて煮詰まっとるし、佐倉は佐倉で部の練習にめっきり顔を出さんし」
「授業は一応出てるみたいですけどね、佐倉」
寝ているが出てはいる。そう苦い顔をしていた佐倉の担任の話を持ち出すと、監督はさらに困ったように頭を掻いた。
「佐野、もし、おまえたちの代に佐倉がいたらどう扱ってた?」
「俺らの代に、ですか?」
富原がいて、俺がいて、――折原がいて。
深山の最盛期と言われていた時代だった。この数年、深山は全国の舞台に立ってはいない。
「正直、おまえたちの代は扱いやすかったよ。おまえと富原でよくバランスがとれていたから、助けられた部分が大きい」
「俺は別に何もしていませんが、……そうですね、時枝も、今は主将としてやらないとと力が入りすぎてるんでしょうから、良い具合に抜けたらいいんでしょうけど」
また話は俺も聞いてみますと応じると、監督は「すまんな」と眉を下げた。それは学生だった頃には見ることのなかったもので。あのころは、監督なら全部を知っているような気がしていたけれど、そんなことはなかったんだなと当たり前のことを思う。
けれど、その当たり前に気が付けないのが、あのころの子どもなのだろう。
目の前のことしか見えなかった、今さえが良ければいいと思えていた、時間。
「佐野。もしおまえが高校生だった頃、いたのが折原じゃなくて佐倉だったら、どうしてた?」
「佐倉だったら――……」
すぐには想像が出来なかった。折原が、いなかったら。
――たぶん、今の俺はないんだろう。
「そうですね、佐倉だったら……、俺はもっと早く辞めさせてるかもしれません」
「はは、そりゃあいい」
「笑いごとでいいんですか、監督」
「時枝もおまえくらい肝が据わってたら、楽なんだろうけどな」
「俺、据わってますか?」
どちらかと言えば、性格が悪いだけな気がしなくもない。首を傾げると、監督は生徒を見るようなまなざしで俺を見ていた。
「天才に壁を作らないで、良くも悪くも普通に付き合っていただろう、おまえは」
「そんなことないと思いますけど。俺、嫉妬してましたよ、普通に」
「誰だってするさ。それをちゃんと自覚して、相手を一人の後輩と見て対応できていただけで十分だ」
「そんなもんですかね」
「証拠に、折原は佐野に一番懐いていたじゃないか」
「あー、……でしたかね」
あのころを知っている人物に評されるのは気恥ずかしい。けれど、心を揺さぶられるような感情は、この三年でだいぶ落ち着いた。
ニュース映像で映る折原も、最近になってようやく「ニュース」として処理できるようになってきたところで。
「あいつは、才能だけで言えば、折原に引けを取らないものがあるんだがなぁ」
「持ってるだけなら、持ち腐れて終わりでしょう」
「それはまたえらく手厳しいな、佐野」
「監督が一番ご存知なんじゃないですか」
持っているだけの人間なら、きっと一握りよりもっと多くいるのだろう。
けれど、それを開花させるのもまた才能のうちだし、より一層と磨いていくのは努力だと思う。
「折原は確かにそのあたりも抜群だったからな。けどなぁ、やっぱり環境も大事なんだよ」
深山でやるサッカーが楽しかったと折原は言っていた。
佐倉は、まだそうではないんだろう。
「折原には、おまえたちがいて良かったんだと思ってるよ」
「……どうなんでしょうね」
「はは、そのあたりのことは今度、本人に聞いてみたらいい」
「本人て。俺、この数年、あいつのことテレビでしか見てませんよ」
移籍したドイツでレギュラーの座を獲得していることも、日本代表に招集されて青いユニフォームを身に纏って戦っていることも。
知っているけれど、それだけだった。
苦笑した俺に、監督が不思議そうに目を瞬かせた。
「なんだ。折原の奴、自分から言うから黙っておいてくれと言ったくせに、まだおまえに言ってなかったのか」
「え? なにが、ですか」
「あいつ、リハビリで今、日本に戻ってきてるだろ。その合間に、ウチの練習に顔出してくれるって応じてくれてな」
折原が来ることで、あいつらにもいい刺激があればいいと思っているんだが、と続いた監督の台詞は半分以上俺の頭に入ってきていなかった。
「折原が?」
「佐野がいるって話したら、驚いてたけどな。ぜひ行きますって。あいつは変わらないな」
ドイツに出発する前に折原が零した爆弾発言は、それからしばらくの間、世間をにぎわしていた。
監督も勿論、知っているだろうし、この学園も多少の影響は受けただろうと思う。
それでも、――それでも、折原は、確かに折原ではあったのだけれど。
偏見や戸惑いがあっても、それらすべてを凌駕するようなスター性が折原にはあった。
笑っている折原の映像を見るたびに、あぁ折原の言っていることは間違いがなかったんだなと安堵した、けど。
「変わらないですか、あいつ」
普通を装って紡いだ声は、変に震えていなかっただろうか。
監督は、「そうだな」と昔と同じ声で頷いた。
「俺からすれば、おまえも折原も、まだまだ若いよ」
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