夢の続きの話をしよう

木原あざみ

文字の大きさ
64 / 98
第十一話

62.

しおりを挟む
【第4部】


 周りが何を言おうが、どうも思うが、関係ない。万人に認めてもらえなくとも、信頼に足る幾人が自分たちの決断を信じてくれるのなら、それで十分。
 何かあったとして、ともに立ち向かえる相手がいるのなら、口さがない第三者など恐ろしいはずがない。

 口で言うのは簡単で、甘美で、底なし沼への誘いのようだった。
 本当にそれで良いのか。間違っていないのか。過去の自分が責める声が響いて、今の自分がそれでもと選んだことだと踏みとどまろうとしている。
 もう、失いたくなかった。衝動の理由がそれだとするのなら、やはり俺は何一つ変わっていないのかもしれない。


「何してんの、おまえ」
「何、とはご挨拶だな、佐野。OBが母校に顔を出したら駄目なのか?」

 監督室のドアを開けた途端だ。飛び込んできた予想外の顔に、眉間に皺が寄る。懐かしいと言うよりかは、会いたくなかった顔だ。
 そんな俺の態度なんてお構いなしで、富原は相変わらずの落ち着き払った風情でお茶に手を伸ばした。
客を入れておいて、急な用事でもできたのか監督の姿はそこにない。もともと俺が用があったのは監督だ。無言で背を向けて出て行きたくなったが、さすがにそれは大人気がない。

「それで何しに来たんだよ、暇なのか?」
「そんなわけないだろう。だが、可愛い母校の後輩を激励する時間くらいは作れるさ」

 そう言えば、時枝に監督に頼んでみたら良いと提案したのは俺だった。
 空いていたパイプ椅子に腰を下ろす。六時間目の始まりを告げるチャイムの音が鳴っているが、この時間は受け持ちの授業はない。

「ついでに、連絡ひとつ寄越さない同期の顔を見に来る時間もな」
「……悪かったな」
「ところで佐野。おめでとうと俺は言っても良いのか?」

 明日の天気はどうだ、くらいの平然とした調子で問われて、俺は言葉に詰まった。そして溜息。

「なんで知ってるんだ、おまえが」
「それを聞くか。と言うか、それで俺が折原以外の誰かから聞いたと言えばどうする気だ」

 確かに、と納得してしまったのが運の尽きだと、曖昧に濁すことを諦めた。富原のペースに乗せられるとろくなことがない。

「連絡する義務があると思っただけの話だろう。おまえと違って、あいつはその辺りも含めてきちんとしているから」
「悪かったな」
「的外れの牽制をもらった気分にもなったが、それもまぁ良い」
「……」
「まぁ、その辺りもさておくとして。俺はどう言う心境の変化だと聞いた方が良かったか?」

 心境の変化。その言葉を転がした。変化。……まぁ、でも、そうなのだろう。

「少し前に、いい加減に終わりにすると言う風な言葉を聞いた気がするんだが。それがあっと言う間にどうして正反対に向いたんだ?」
「富原」

 ずっと気にかけてくれていたのだろうと、知っている。知っているから、嫌だ。
 呆れ切った声が、変わる気がないのなら引導を渡してやれと告げたとき。そうするべきだと、俺だって思っていたはずだった。

「衝動に勝てなかったって言ったら、笑うか」
「笑いはしないが」

 懺悔のようなそれに、富原が瞳を瞬かせた。

「意外だとは思ったな」
「意外?」
「だって、そうだろう。おまえは昔から自分の感情をがんじがらめに抑え込んで、理屈を捏ねて生きてきたじゃないか」

 あんまりな言い様だと思ったが、否定もできない。

「その箍が外れるほど、おまえが欲しいと思ったのなら、良いことじゃないか」
「良いこと、って」
「ここまで来て、悪いことだとでも言うつもりなら、本当に怒るぞ」

 トーンの下がった声に、口を噤む。子どものような駄々をこねている自覚もあるはあるのだ。
 どんな選択をしても、後悔のない道なんてない。できることはせめて悔いの少ない方を選ぶことだけ。
 そう分かっていて、そしてそうしたつもりだ。

「おまえ、今までの人生で、自身の生き方を変えてまで求めたことが一度でもあったのか」

 その言葉に、俯いていた顔を上げる。

「俺はない」

 昔から変わらない穏やかで、それでいて力強い眼差しが、ふっと緩む。

「それで、――そう言う相手がいることは幸せなことだと思うし、そうあるべきだと思う」

 欲しかったもの。どれだけ否定しても、捨てられなかったもの。そんなもの、たったのひとつしかなかった。

「佐野」
「……なんだよ」
「良かったな」

 良かった。なんてことはないはずの言葉がじわりと沁みて、そして落ちてくる。

「そう、だな」

 たとえこの先、違えることがあっても。何かがあったとしても。
 俺は、あの瞬間の衝動も、選択も言い訳にしない。後悔しない。
 あのとき、俺は手を伸ばしたかった。そばに居たいと願った。それだけは、間違いがない。

「良かった」

 吐き出したそれに、富原は微かに驚いたような顔をして、笑った。

「素直なおまえも気持ちが悪いが」
「うるせぇよ」
「おまえが笑ったところも久しぶりに見たな」

 そんなに仏頂面ばかりしていたのだろうか、俺は。そんなに、不幸です、不満ですと言うような顔をしていたのだろうか。

「まぁ、なんだ。おまえもそうだろうが、俺にとってもあいつは可愛い後輩なんだ。だから、たまにはそう言う顔をしてやれ」
「そう言うって」
「あいつだって、不安がないわけでもないだろう」

 虚を突かれたような顔になっていたのだろうと思う。不安と言う言葉と俺の中の折原とが一致しない。そんな俺を一瞥して、当たり前だろうと言わんばかりに富原が口を開く。

「そうだろう、誰だって」
「……折原でも?」
「もしも、だが。あいつがおまえにそう言う素振りを全く見せていないと言うのなら。おまえが年上のくせに情けないことばかりを口にするから、あいつが言えなくなっているだけじゃないのか」

 とどめを刺された気分で、再度黙り込む。

「そう言う意味では、そうだな。昔から折原はおまえには弱音を吐かなかったか。とは言え、いつまでもそのままでは――……」

 富原の声が途切れて、外から足音が近づいてきた。監督だ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

【R18+BL】ハデな彼に、躾けられた、地味な僕

hosimure
BL
僕、大祇(たいし)永河(えいが)は自分で自覚するほど、地味で平凡だ。 それは容姿にも性格にも表れていた。 なのに…そんな僕を傍に置いているのは、学校で強いカリスマ性を持つ新真(しんま)紗神(さがみ)。 一年前から強制的に同棲までさせて…彼は僕を躾ける。 僕は彼のことが好きだけど、彼のことを本気で思うのならば別れた方が良いんじゃないだろうか? ★BL&R18です。

ルイとレオ~幼い夫が最強になるまでの歳月~

芽吹鹿
BL
夢を追い求める三男坊×無気力なひとりっ子 孤独な幼少期を過ごしていたルイ。虫や花だけが友だちで、同年代とは縁がない。王国の一人っ子として立派になろうと努力を続けた、そんな彼が隣国への「嫁入り」を言いつけられる。理不尽な運命を受けたせいで胸にぽっかりと穴を空けたまま、失意のうちに18歳で故郷を離れることになる。 行き着いた隣国で待っていたのは、まさかの10歳の夫となる王子だった、、、、 8歳差。※性描写は成長してから(およそ35、36話目から)となります

黒の執愛~黒い弁護士に気を付けろ~

ひなた翠
BL
小野寺真弥31歳。 転職して三か月。恋人と同じ職場で中途採用の新人枠で働くことに……。 朝から晩まで必死に働く自分と、真逆に事務所のトップ2として悠々自適に仕事をこなす恋人の小林豊28歳。 生活のリズムも合わず……年下ワンコ攻め小林に毎晩のように求められてーー。 どうしたらいいのかと迷走する真弥をよそに、熱すぎる想いをぶつけてくる小林を拒めなくて……。 忙しい大人の甘いオフィスラブ。 フジョッシーさんの、オフィスラブのコンテスト参加作品です。

わがまま放題の悪役令息はイケメンの王に溺愛される

水ノ瀬 あおい
BL
 若くして王となった幼馴染のリューラと公爵令息として生まれた頃からチヤホヤされ、神童とも言われて調子に乗っていたサライド。  昔は泣き虫で気弱だったリューラだが、いつの間にか顔も性格も身体つきも政治手腕も剣の腕も……何もかも完璧で、手の届かない眩しい存在になっていた。  年下でもあるリューラに何一つ敵わず、不貞腐れていたサライド。  リューラが国民から愛され、称賛される度にサライドは少し憎らしく思っていた。  

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...