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第十一話
62.
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【第4部】
周りが何を言おうが、どうも思うが、関係ない。万人に認めてもらえなくとも、信頼に足る幾人が自分たちの決断を信じてくれるのなら、それで十分。
何かあったとして、ともに立ち向かえる相手がいるのなら、口さがない第三者など恐ろしいはずがない。
口で言うのは簡単で、甘美で、底なし沼への誘いのようだった。
本当にそれで良いのか。間違っていないのか。過去の自分が責める声が響いて、今の自分がそれでもと選んだことだと踏みとどまろうとしている。
もう、失いたくなかった。衝動の理由がそれだとするのなら、やはり俺は何一つ変わっていないのかもしれない。
「何してんの、おまえ」
「何、とはご挨拶だな、佐野。OBが母校に顔を出したら駄目なのか?」
監督室のドアを開けた途端だ。飛び込んできた予想外の顔に、眉間に皺が寄る。懐かしいと言うよりかは、会いたくなかった顔だ。
そんな俺の態度なんてお構いなしで、富原は相変わらずの落ち着き払った風情でお茶に手を伸ばした。
客を入れておいて、急な用事でもできたのか監督の姿はそこにない。もともと俺が用があったのは監督だ。無言で背を向けて出て行きたくなったが、さすがにそれは大人気がない。
「それで何しに来たんだよ、暇なのか?」
「そんなわけないだろう。だが、可愛い母校の後輩を激励する時間くらいは作れるさ」
そう言えば、時枝に監督に頼んでみたら良いと提案したのは俺だった。
空いていたパイプ椅子に腰を下ろす。六時間目の始まりを告げるチャイムの音が鳴っているが、この時間は受け持ちの授業はない。
「ついでに、連絡ひとつ寄越さない同期の顔を見に来る時間もな」
「……悪かったな」
「ところで佐野。おめでとうと俺は言っても良いのか?」
明日の天気はどうだ、くらいの平然とした調子で問われて、俺は言葉に詰まった。そして溜息。
「なんで知ってるんだ、おまえが」
「それを聞くか。と言うか、それで俺が折原以外の誰かから聞いたと言えばどうする気だ」
確かに、と納得してしまったのが運の尽きだと、曖昧に濁すことを諦めた。富原のペースに乗せられるとろくなことがない。
「連絡する義務があると思っただけの話だろう。おまえと違って、あいつはその辺りも含めてきちんとしているから」
「悪かったな」
「的外れの牽制をもらった気分にもなったが、それもまぁ良い」
「……」
「まぁ、その辺りもさておくとして。俺はどう言う心境の変化だと聞いた方が良かったか?」
心境の変化。その言葉を転がした。変化。……まぁ、でも、そうなのだろう。
「少し前に、いい加減に終わりにすると言う風な言葉を聞いた気がするんだが。それがあっと言う間にどうして正反対に向いたんだ?」
「富原」
ずっと気にかけてくれていたのだろうと、知っている。知っているから、嫌だ。
呆れ切った声が、変わる気がないのなら引導を渡してやれと告げたとき。そうするべきだと、俺だって思っていたはずだった。
「衝動に勝てなかったって言ったら、笑うか」
「笑いはしないが」
懺悔のようなそれに、富原が瞳を瞬かせた。
「意外だとは思ったな」
「意外?」
「だって、そうだろう。おまえは昔から自分の感情をがんじがらめに抑え込んで、理屈を捏ねて生きてきたじゃないか」
あんまりな言い様だと思ったが、否定もできない。
「その箍が外れるほど、おまえが欲しいと思ったのなら、良いことじゃないか」
「良いこと、って」
「ここまで来て、悪いことだとでも言うつもりなら、本当に怒るぞ」
トーンの下がった声に、口を噤む。子どものような駄々をこねている自覚もあるはあるのだ。
どんな選択をしても、後悔のない道なんてない。できることはせめて悔いの少ない方を選ぶことだけ。
そう分かっていて、そしてそうしたつもりだ。
「おまえ、今までの人生で、自身の生き方を変えてまで求めたことが一度でもあったのか」
その言葉に、俯いていた顔を上げる。
「俺はない」
昔から変わらない穏やかで、それでいて力強い眼差しが、ふっと緩む。
「それで、――そう言う相手がいることは幸せなことだと思うし、そうあるべきだと思う」
欲しかったもの。どれだけ否定しても、捨てられなかったもの。そんなもの、たったのひとつしかなかった。
「佐野」
「……なんだよ」
「良かったな」
良かった。なんてことはないはずの言葉がじわりと沁みて、そして落ちてくる。
「そう、だな」
たとえこの先、違えることがあっても。何かがあったとしても。
俺は、あの瞬間の衝動も、選択も言い訳にしない。後悔しない。
あのとき、俺は手を伸ばしたかった。そばに居たいと願った。それだけは、間違いがない。
「良かった」
吐き出したそれに、富原は微かに驚いたような顔をして、笑った。
「素直なおまえも気持ちが悪いが」
「うるせぇよ」
「おまえが笑ったところも久しぶりに見たな」
そんなに仏頂面ばかりしていたのだろうか、俺は。そんなに、不幸です、不満ですと言うような顔をしていたのだろうか。
「まぁ、なんだ。おまえもそうだろうが、俺にとってもあいつは可愛い後輩なんだ。だから、たまにはそう言う顔をしてやれ」
「そう言うって」
「あいつだって、不安がないわけでもないだろう」
虚を突かれたような顔になっていたのだろうと思う。不安と言う言葉と俺の中の折原とが一致しない。そんな俺を一瞥して、当たり前だろうと言わんばかりに富原が口を開く。
「そうだろう、誰だって」
「……折原でも?」
「もしも、だが。あいつがおまえにそう言う素振りを全く見せていないと言うのなら。おまえが年上のくせに情けないことばかりを口にするから、あいつが言えなくなっているだけじゃないのか」
とどめを刺された気分で、再度黙り込む。
「そう言う意味では、そうだな。昔から折原はおまえには弱音を吐かなかったか。とは言え、いつまでもそのままでは――……」
富原の声が途切れて、外から足音が近づいてきた。監督だ。
周りが何を言おうが、どうも思うが、関係ない。万人に認めてもらえなくとも、信頼に足る幾人が自分たちの決断を信じてくれるのなら、それで十分。
何かあったとして、ともに立ち向かえる相手がいるのなら、口さがない第三者など恐ろしいはずがない。
口で言うのは簡単で、甘美で、底なし沼への誘いのようだった。
本当にそれで良いのか。間違っていないのか。過去の自分が責める声が響いて、今の自分がそれでもと選んだことだと踏みとどまろうとしている。
もう、失いたくなかった。衝動の理由がそれだとするのなら、やはり俺は何一つ変わっていないのかもしれない。
「何してんの、おまえ」
「何、とはご挨拶だな、佐野。OBが母校に顔を出したら駄目なのか?」
監督室のドアを開けた途端だ。飛び込んできた予想外の顔に、眉間に皺が寄る。懐かしいと言うよりかは、会いたくなかった顔だ。
そんな俺の態度なんてお構いなしで、富原は相変わらずの落ち着き払った風情でお茶に手を伸ばした。
客を入れておいて、急な用事でもできたのか監督の姿はそこにない。もともと俺が用があったのは監督だ。無言で背を向けて出て行きたくなったが、さすがにそれは大人気がない。
「それで何しに来たんだよ、暇なのか?」
「そんなわけないだろう。だが、可愛い母校の後輩を激励する時間くらいは作れるさ」
そう言えば、時枝に監督に頼んでみたら良いと提案したのは俺だった。
空いていたパイプ椅子に腰を下ろす。六時間目の始まりを告げるチャイムの音が鳴っているが、この時間は受け持ちの授業はない。
「ついでに、連絡ひとつ寄越さない同期の顔を見に来る時間もな」
「……悪かったな」
「ところで佐野。おめでとうと俺は言っても良いのか?」
明日の天気はどうだ、くらいの平然とした調子で問われて、俺は言葉に詰まった。そして溜息。
「なんで知ってるんだ、おまえが」
「それを聞くか。と言うか、それで俺が折原以外の誰かから聞いたと言えばどうする気だ」
確かに、と納得してしまったのが運の尽きだと、曖昧に濁すことを諦めた。富原のペースに乗せられるとろくなことがない。
「連絡する義務があると思っただけの話だろう。おまえと違って、あいつはその辺りも含めてきちんとしているから」
「悪かったな」
「的外れの牽制をもらった気分にもなったが、それもまぁ良い」
「……」
「まぁ、その辺りもさておくとして。俺はどう言う心境の変化だと聞いた方が良かったか?」
心境の変化。その言葉を転がした。変化。……まぁ、でも、そうなのだろう。
「少し前に、いい加減に終わりにすると言う風な言葉を聞いた気がするんだが。それがあっと言う間にどうして正反対に向いたんだ?」
「富原」
ずっと気にかけてくれていたのだろうと、知っている。知っているから、嫌だ。
呆れ切った声が、変わる気がないのなら引導を渡してやれと告げたとき。そうするべきだと、俺だって思っていたはずだった。
「衝動に勝てなかったって言ったら、笑うか」
「笑いはしないが」
懺悔のようなそれに、富原が瞳を瞬かせた。
「意外だとは思ったな」
「意外?」
「だって、そうだろう。おまえは昔から自分の感情をがんじがらめに抑え込んで、理屈を捏ねて生きてきたじゃないか」
あんまりな言い様だと思ったが、否定もできない。
「その箍が外れるほど、おまえが欲しいと思ったのなら、良いことじゃないか」
「良いこと、って」
「ここまで来て、悪いことだとでも言うつもりなら、本当に怒るぞ」
トーンの下がった声に、口を噤む。子どものような駄々をこねている自覚もあるはあるのだ。
どんな選択をしても、後悔のない道なんてない。できることはせめて悔いの少ない方を選ぶことだけ。
そう分かっていて、そしてそうしたつもりだ。
「おまえ、今までの人生で、自身の生き方を変えてまで求めたことが一度でもあったのか」
その言葉に、俯いていた顔を上げる。
「俺はない」
昔から変わらない穏やかで、それでいて力強い眼差しが、ふっと緩む。
「それで、――そう言う相手がいることは幸せなことだと思うし、そうあるべきだと思う」
欲しかったもの。どれだけ否定しても、捨てられなかったもの。そんなもの、たったのひとつしかなかった。
「佐野」
「……なんだよ」
「良かったな」
良かった。なんてことはないはずの言葉がじわりと沁みて、そして落ちてくる。
「そう、だな」
たとえこの先、違えることがあっても。何かがあったとしても。
俺は、あの瞬間の衝動も、選択も言い訳にしない。後悔しない。
あのとき、俺は手を伸ばしたかった。そばに居たいと願った。それだけは、間違いがない。
「良かった」
吐き出したそれに、富原は微かに驚いたような顔をして、笑った。
「素直なおまえも気持ちが悪いが」
「うるせぇよ」
「おまえが笑ったところも久しぶりに見たな」
そんなに仏頂面ばかりしていたのだろうか、俺は。そんなに、不幸です、不満ですと言うような顔をしていたのだろうか。
「まぁ、なんだ。おまえもそうだろうが、俺にとってもあいつは可愛い後輩なんだ。だから、たまにはそう言う顔をしてやれ」
「そう言うって」
「あいつだって、不安がないわけでもないだろう」
虚を突かれたような顔になっていたのだろうと思う。不安と言う言葉と俺の中の折原とが一致しない。そんな俺を一瞥して、当たり前だろうと言わんばかりに富原が口を開く。
「そうだろう、誰だって」
「……折原でも?」
「もしも、だが。あいつがおまえにそう言う素振りを全く見せていないと言うのなら。おまえが年上のくせに情けないことばかりを口にするから、あいつが言えなくなっているだけじゃないのか」
とどめを刺された気分で、再度黙り込む。
「そう言う意味では、そうだな。昔から折原はおまえには弱音を吐かなかったか。とは言え、いつまでもそのままでは――……」
富原の声が途切れて、外から足音が近づいてきた。監督だ。
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