夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第十話

61.

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 どのくらい時間が経ったのか、正確には自分でも分からない。けれど、そのじりじりとした時間も、恥ずかしくなるような丁寧さも。こちらを慮ったものだと分かるから、何も言えない。それでも、何度かたまらなくなって「もう良いから」と告げたような気もする。
 その度、あの声が言う。「優しくしたい」と。「乱暴にしたいわけではない」と。
 そんな、優しくされるようなものでも大事にされるようなものでもないのに。

「……っ……」

 異物感や気持ち悪さだけではない、感じたことのなかった感覚が身体の中に走るようになって、ようやく中に触れていた指先が引き抜かれた。
 まるで運動をした後みたいに、息が上がる。閉じかけた脚を大きな手が掴む。

「先輩」

 覆いかぶさってきた影が、唇に触れる。ついで首筋に触れたそれに、身体に刺激が走った。

「先に進んでも良いですか」

 それこそ、いまさら。その声も、瞳も隠し切れない熱を孕んでいるのに。もし、ここで俺が無理だと言ったら、止めるつもりなのだろうかとふと思った。

 ――いや、そうじゃない。そうでは、なくて。

「大丈夫、だから」

 折原が求めるから。折原がそう望むなら。すべての責任をそこに押し付けて、流される。それはひどく楽だった。押し込めていた感情と向き合わずに済むから。 

「続けて欲しい」

 抗えない何かに引かれて、落ちていく。最初に思った感覚がずっと消えない。怖さと戸惑いと、抑えきれなかった自分の中の激情と。その何かがずっとせめぎ合っている。
 それでも、俺が選んだ。もう失いたくないと。結局、最後に残ったのは、そんな自分勝手な欲望だった。それが正しいとはやっぱり思えなかった。でも。

「俺も、欲しい」

 瞬間、吐息のような声が「先輩」と俺を呼んだ。この声に溺れてしまいたかったのだと。どれだけ言葉を並べて、取り繕うとしても。それでしかなかったのだと。こんな間際で思い知ってしまった。

「い……っつ……ぅ…」

 先ほどまでとは違う圧倒的な圧迫感に、覚悟していても息が詰まった。速く浅くなる呼吸に、動きが止まる。

「……先輩」

 熱を孕んだ声に、大丈夫と言うように頭を振る。大きな手のひらが汗ばむ頬に触れた。その温度にたまらなく安堵する自分に気が付いていた。

「慣れるまで待ちますから。力抜いてて」

 その状態で待つことがどういうことか、分からないはずがない。何度か呼吸をゆっくりと繰り返す。異物感はあるけれど、想像していたような激痛はなくて。

「っ……ん…、ぁ」

 少しづつ、けれど、熱量が奥に入ってくるのが分かる。気持ちが良いと言う次元ではない。それでも一線を越えようとしていることだけは確かだった。
 過った不安が滲んでいたのか、鎖骨に唇が落ちてきた。思わず、手のひらに顔を擦り付ける。

「大、丈夫……だから」

 乱れる呼気の中で何度目になるのか分からない主張を繰り返す。
 それしか与えるものがないような気がしていた。

「好きにして欲しい」

 気を使わせて、我慢をさせて、いつもそればかりだった。だから、と言うわけではない。けれど、受け入れたいと思ったのは自分の意志だ。

「――あぁ、もう」

 呆れたような、困ったような、あるいは怒ったような。そんな吐息と一緒に落ちてきたのは、低く擦れた声で。 

「俺がどれだけ我慢してたと思ってるんですか」
「っぁ――――!」

 大きな手が膝を折った、と思った次の瞬間。身体を貫いたのは先程までとは比べ物にならない衝撃だった。身体が震えて、脳が揺れる。初めての感覚に、意識が追い付いていない。

「っ、先輩」

 その声に導かれるように、ふっと意識が今に戻った。

「文句は明日、聞きます。責任もって面倒も看ますんで」

 刺さるような視線にぞくりと快感が突き抜けていく。言葉の意味を理解するより先に、手のひらが腰を掴む。

「煽った分の覚悟は、しておいてくださいね」
「おりは……っ――――あ、ああっ」

 文句も何も、言葉になり切る前に衝撃で消える。腰を揺さぶられるたびに、痛みなのか何なのかよく分からなくなりそうな熱が渦巻く。

「先輩」

 シーツを掴んでいた手を「こっち」と折原が自身の方へと誘導する。わけが分からないまま、ただ、その首に縋る。間近で見つめた瞳に灯る情欲に、なぜかひどくほっとして、衝動のまま口付けていた。舌が絡む。
 上からも下からも、すべてを喰われているようで。これを求めていたのだろうかと思うと、良く分からなくて。ここまできても分からなくて。
 それでも、止めたいとは思わなかった。

「っ、あ……ん……」

 脚を持ち上げられて、より奥へと打ち込まれた熱量に、声が詰まる。 
 内側を擦る刺激に、鈍痛や息苦しさだけでなく、小さな快感が生まれ始めている事実に身体が跳ねた。怖い。理解するより先に感情が迸る。
 後戻りできない、と思って、するつもりだったのだろうか、と思った。
 先輩、と欲望に擦れた声が呼ぶ。宥めるように。その肩にしがみ付くようにして顔を隠した。きっと酷い顔をしている。
 いつの間にか、喉からは苦痛を訴えるだけではない声が零れ始めていて。信じられない。

「――、先輩」

 その声に、びくりと足先が跳ねた。痛みで萎えていたはずの中心に、熱がたまり始めていることも信じられなかった。

「……っ、……い…やだ」
「怖いですか?」

 たまらず発した拒絶の言葉に、声が小さく笑ったのが分かった。

「俺もちょっと怖い」

 直腸内を突き動かされて、悲鳴のような声が出る。こんなセックスを、俺は知らなかった。 

「先輩が何を言っても、離せなくなりそうで」

 暴れる快感の波に逃し方も分からないまま、背に爪を立てる。生理的な涙が目じりを伝って、折原の肌に落ちて混ざる。
 ひとつになる。怯えながらも望んでいた。望みながら、叶えてはいけないと思っていた。
 分からなくなりそうだった。
 感情も感覚も、何もかもが。
 今だけで終わらせるのは嫌だと口にしたそれと同じ心で、今この瞬間で終わってしまえば良いと思った。未来なんて、何もない、今ここで。



「後悔、してますか」

 思考を放棄したくなるような疲れに塗れて埋没したシーツの上で、折原が口にしたのはそんな言葉だった。
 好きだと言って、セックスをして。直後の台詞が「後悔しているか」。シチュエーションには全くそぐわないようで、そのくせ、俺たちの間では一番似合っているようにも思えた。
 つまり、そう言うことだ。道ならぬ恋でもあるまいし、と笑える余裕なんてあるはずがない。

「……してる」

 していないとはとても言えなかった。

「でも、こうしてなかったら、もっと後悔してた」

 だから、悔やんではいない。ひどく矛盾しているような気もするけれど、後悔しているけれど、していない。そうとしか言えなかった。いつだって、自信なんてない。

「そう、思う」

 出しづらい声と、倦怠感と鈍い痛みを孕む下半身が、先程までの行為が夢ではなく現実だと告げているような気がした。 

「でも」

 小さな応えとともに、背後から伸びてきた腕が身体を包んだ。

「それでも、俺を選んでくれたんでしょう?」

 耳元に注ぎ込まれる声は、抗いがたい熱を孕んだままで。腕を振り払おうとすら考え付かなかった。

「だったら、それで良いです。それだけで」

 言い聞かせるような声が続く。

「だから、一人で抱え込んで終わりにしないでください」

 三年前のことを言われているのだとは、すぐに分かった。フェアではなかった。俺が取った方法は、折原を中途半端に突き放して傷つけるものだった。

「俺は先輩が居たら、それで良いって。ずっと言ってるじゃないですか」

 それは俺がかけた呪いだろうとは、もう言えなかった。解くことを放棄したのは俺だ。堕ちると分かっていて、その手を取った。
 好きだ。好きだ。大事にしたい。なによりも、ずっと。そう思う気持ちは本当なのに、その気持ちがすべてを破壊しつくしそうな疑念が消えない。
 好きと言う言葉の表面的な甘やかさの裏で浸食が進んでいくような、そんな懸念。
 三年前よりも、ずっと、どうにもならない深みにはまり込んでいる。
 一番問題なのは、俺に抜け出す気力がもうないだろうと言うことだった。この手を離すことができそうにない。今ここだけで終わりにしたくない。そう言った自分の声を覚えている。
 冷静ではなかった、なんて。酷すぎる言い訳だ。決めたのは俺だ。俺だ。
 それなのに、どうして、嬉しさではなく罪悪感がこれだけひしめくのだろう。俺が男だから。普通じゃないから。折原の傍に居ることで、悪影響を与えかねないから。理由なんていくらでも思いつく。
 けれど、それでも、と決めた。――そう、決めた。決めたはずだ。

「折原」

 吐き出した声は、ここにきて、まだどこか迷っているようにも響いた気がして。自分の弱さがほとほと嫌になる。それもこれも、すべて今更ではあるけれど。

「おまえって、俺の何がそんなに良かったの」
「先輩が」

 僅かに言い淀んだ気配の後、言葉が続く。

「俺は、先輩が先輩だったら、それで良いんです」

 何の答えにもなっていないと思って、刷り込みじゃねぇかとも思って。でも、同じかもしれないとも思った。俺は、折原が折原として生きていてさえくれたら、それで良いと思っていた。
 心の底から、そう願っていた。あの日から、ずっと、そう願っていたはずだった。俺が勝手に思い描いた後輩の輝ける未来予想図には俺なんて居ないはずだった。居て良いはずもなかったし、それで当然と思っていた。
 最後のけじめ。富原にも散々言われたそれをしなくてはならなかったのに。それが俺にできる最善で最後だとも、分かっていたのに。

 ――それなのに、なんで。
 俺はその手を突き放してやれなかったんだろう。
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