69 / 98
第十二話
67.
しおりを挟む
【12】
恐ろしい勢いで季節は巡って、夏になる。あの頃も一日一日があっと言う間に過ぎてしまい、たまらないような惜しいような感情を抱いていたような気もけれど、大人になるにつれ、自分を包む時間の速さはさらに加速したように思う。
それが大人になると言うことなのかどうかは分からないし、年齢だけ積み重ねたところで、自分があの頃の俺が思っていたような、しっかりとした大人になれているのかどうかも分からないけれど。
「佐野ちゃーん、途中で投げやがったけど、作倉の面倒看てくれてありがとうね。とりあえず、あいつの一学期は経った今、赤点なく終了することが決定した」
「あ、それは……良かったです、ね」
がらりと何の遠慮もなく準備室のドアを開けて入って来た美作先生の登場に、採点をしていた赤ペンの先がぶれて、歪な楕円が出来上がる。
……まぁ、良いか。
「なに、その反応、薄いなー。もうちょっと喜んでくれても良いのに。顧問でしょうが。あ、おたくのところ、総体が駄目だったから、もう関係ないんだっけ」
「冬が残ってますから、ウチの三年は本当にギリギリまで部活してますって」
「あー、まぁ、負けるまではそうか。と言うことは、このギリギリの綱渡りがそこまで続くのか」
負けるまでは、と言われてしまえば苦笑しかできないのだが、夏の大会が終われば引退する野球部などとは違い、冬にも公式戦が残っているサッカー部は引退が遅い。
サッカー推薦で大学に行く生徒は勉強はそれなりで済むが、推薦ではなく一般入試を控えている生徒は、毎年頭を抱えて両立に踏ん張ることになる。
――とにかく、赤点なしなら最低限のやる気は見せたわけだ。
「監督たちからのお説教が多少は効いたんじゃないですか。だとしたら何よりじゃないですか」
「なら良いけどね。問題児はそれで良いとして、ウチの優等生は、そろそろ我慢の限界みたいよ? 部活中はキャプテンとして抑えてるのかも知らないけど、教室内じゃ、最近苛々してるよー、時枝」
「あー……」
「あー、じゃなくて。時枝もおたくの後輩でしょうが。隠しきれてない苛々が滲みだしててさぁ、気弱な男子が引け腰になってて、困ってるんだけど。夏休みも明けたら今度は文化祭だってのに」
あれだね、普段、優しげな顔してる奴の方が切れたとき恐ろしいよね、と。さらりと美作先生が言う。
「おまけに二人ともガタイも良いからさぁ、ちょっと手が出ただけでも、洒落にならない大ごとになりかねないよ」
「……それ、今度は俺に時枝の面倒看ろって言ってます?」
「いや? もう看てるだろうから、爆発しないように気を付けろって教室内の様子を教えてあげてんの」
正しく「ああ言えばこう言う」だ。
「真面目も真面目で大変だよね。おまけに時枝は外面が良いからね。悪い意味だけでもないけど、優等生の仮面を被らざるを得なくなっていると言うか。特にサッカー部の方じゃ、キャプテンだし、問題児もいるしで、余計溜まってるんじゃない? ストレス」
そりゃ、溜まりもするだろう、けれども。
「逆に、部活に関係ない美作先生がそれとなく話を聞いた方が、相談しやすいんじゃないですか」
「いやいやいや。あの子、佐野ちゃんに懐いてるから」
「……」
「あ、その顔。押し付けてるだけだって思ってるでしょ。本当だって、本当。時枝、クラスにいる時と、部活に出てる時の顔、全く違うから」
「当たり前でしょうが、それは」
身体を動かしている時と、勉強している時の顔が同じでたまるか。そうは思うが、気になっていたのも事実だ。俺にどうのこうのできるものでもないなと見守りに徹そうかと、あわよくばを狙っていただけで。
「予選の前にもちらっと気にしてたのは聞いたので、また、そう言う機会があれば」
このくらいの嫌味は許されてしかるべきだ。溜息交じりの了承に、嫌な顔をするでもなく、足取り軽く美作先生は出ていった。言質を取ったからか、クラスから留年を出さずに済みそうだからか、その両方か。
残すところあと十枚になったテストの採点に意識を戻す。学生だったころはテストが終わればそれですべてが終了だったが、教師の側に回ると、それからがまた大仕事だ。
――そう言えば、寮にいたころは、富原が良く勉強会だなんだって、頑張ってたな。
赤点を取れば試合に出られなかったのは、自分たちが学生だったころから変わっていないルールだ。
おまえも手伝えと頼まれて、何度か顔を出したことはある。けれど、大人数でやった勉強会よりも、何かの折に付け、折原の勉強を見てやっていた記憶の方がずっと鮮明だ。
――それも今思うと、わざわざ俺が見るようなもんじゃなかったと思うんだけどな。
ただの逢瀬の為の言い訳。言葉にしてしまえば恥ずかしいことこの上ないが、あの頃も、結局そうだったように思う。
そして、俺もそれが嫌だったことも、面倒だったことも、なかった。
最近、なぜか、昔のことを連想することが多くなった。もしかすると、ずっとそう言ったことはあったのかもしれないが、できるだけ長引かせないようにと、すぐに自分で幕を引いていた。その幕引きを止めたのは、今や未来を考えるにあたって、避けて通れない部分なのだとやっと心の底から思えたからなのかもしれない。
――このままで、が続くわけがないんだよな。
それもまた、十分に思い知ったことではある。いつまでも変わらない関係はない。あのころの俺は、自分の感情も折原のそれも、年をとるにつれ消えてなくなっていくものだと信じていた。
それがこうなるのだから、本当に分からないものだと改めて思う。人の感情どころか、自分の感情でさえも。
恐ろしい勢いで季節は巡って、夏になる。あの頃も一日一日があっと言う間に過ぎてしまい、たまらないような惜しいような感情を抱いていたような気もけれど、大人になるにつれ、自分を包む時間の速さはさらに加速したように思う。
それが大人になると言うことなのかどうかは分からないし、年齢だけ積み重ねたところで、自分があの頃の俺が思っていたような、しっかりとした大人になれているのかどうかも分からないけれど。
「佐野ちゃーん、途中で投げやがったけど、作倉の面倒看てくれてありがとうね。とりあえず、あいつの一学期は経った今、赤点なく終了することが決定した」
「あ、それは……良かったです、ね」
がらりと何の遠慮もなく準備室のドアを開けて入って来た美作先生の登場に、採点をしていた赤ペンの先がぶれて、歪な楕円が出来上がる。
……まぁ、良いか。
「なに、その反応、薄いなー。もうちょっと喜んでくれても良いのに。顧問でしょうが。あ、おたくのところ、総体が駄目だったから、もう関係ないんだっけ」
「冬が残ってますから、ウチの三年は本当にギリギリまで部活してますって」
「あー、まぁ、負けるまではそうか。と言うことは、このギリギリの綱渡りがそこまで続くのか」
負けるまでは、と言われてしまえば苦笑しかできないのだが、夏の大会が終われば引退する野球部などとは違い、冬にも公式戦が残っているサッカー部は引退が遅い。
サッカー推薦で大学に行く生徒は勉強はそれなりで済むが、推薦ではなく一般入試を控えている生徒は、毎年頭を抱えて両立に踏ん張ることになる。
――とにかく、赤点なしなら最低限のやる気は見せたわけだ。
「監督たちからのお説教が多少は効いたんじゃないですか。だとしたら何よりじゃないですか」
「なら良いけどね。問題児はそれで良いとして、ウチの優等生は、そろそろ我慢の限界みたいよ? 部活中はキャプテンとして抑えてるのかも知らないけど、教室内じゃ、最近苛々してるよー、時枝」
「あー……」
「あー、じゃなくて。時枝もおたくの後輩でしょうが。隠しきれてない苛々が滲みだしててさぁ、気弱な男子が引け腰になってて、困ってるんだけど。夏休みも明けたら今度は文化祭だってのに」
あれだね、普段、優しげな顔してる奴の方が切れたとき恐ろしいよね、と。さらりと美作先生が言う。
「おまけに二人ともガタイも良いからさぁ、ちょっと手が出ただけでも、洒落にならない大ごとになりかねないよ」
「……それ、今度は俺に時枝の面倒看ろって言ってます?」
「いや? もう看てるだろうから、爆発しないように気を付けろって教室内の様子を教えてあげてんの」
正しく「ああ言えばこう言う」だ。
「真面目も真面目で大変だよね。おまけに時枝は外面が良いからね。悪い意味だけでもないけど、優等生の仮面を被らざるを得なくなっていると言うか。特にサッカー部の方じゃ、キャプテンだし、問題児もいるしで、余計溜まってるんじゃない? ストレス」
そりゃ、溜まりもするだろう、けれども。
「逆に、部活に関係ない美作先生がそれとなく話を聞いた方が、相談しやすいんじゃないですか」
「いやいやいや。あの子、佐野ちゃんに懐いてるから」
「……」
「あ、その顔。押し付けてるだけだって思ってるでしょ。本当だって、本当。時枝、クラスにいる時と、部活に出てる時の顔、全く違うから」
「当たり前でしょうが、それは」
身体を動かしている時と、勉強している時の顔が同じでたまるか。そうは思うが、気になっていたのも事実だ。俺にどうのこうのできるものでもないなと見守りに徹そうかと、あわよくばを狙っていただけで。
「予選の前にもちらっと気にしてたのは聞いたので、また、そう言う機会があれば」
このくらいの嫌味は許されてしかるべきだ。溜息交じりの了承に、嫌な顔をするでもなく、足取り軽く美作先生は出ていった。言質を取ったからか、クラスから留年を出さずに済みそうだからか、その両方か。
残すところあと十枚になったテストの採点に意識を戻す。学生だったころはテストが終わればそれですべてが終了だったが、教師の側に回ると、それからがまた大仕事だ。
――そう言えば、寮にいたころは、富原が良く勉強会だなんだって、頑張ってたな。
赤点を取れば試合に出られなかったのは、自分たちが学生だったころから変わっていないルールだ。
おまえも手伝えと頼まれて、何度か顔を出したことはある。けれど、大人数でやった勉強会よりも、何かの折に付け、折原の勉強を見てやっていた記憶の方がずっと鮮明だ。
――それも今思うと、わざわざ俺が見るようなもんじゃなかったと思うんだけどな。
ただの逢瀬の為の言い訳。言葉にしてしまえば恥ずかしいことこの上ないが、あの頃も、結局そうだったように思う。
そして、俺もそれが嫌だったことも、面倒だったことも、なかった。
最近、なぜか、昔のことを連想することが多くなった。もしかすると、ずっとそう言ったことはあったのかもしれないが、できるだけ長引かせないようにと、すぐに自分で幕を引いていた。その幕引きを止めたのは、今や未来を考えるにあたって、避けて通れない部分なのだとやっと心の底から思えたからなのかもしれない。
――このままで、が続くわけがないんだよな。
それもまた、十分に思い知ったことではある。いつまでも変わらない関係はない。あのころの俺は、自分の感情も折原のそれも、年をとるにつれ消えてなくなっていくものだと信じていた。
それがこうなるのだから、本当に分からないものだと改めて思う。人の感情どころか、自分の感情でさえも。
4
あなたにおすすめの小説
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
【R18+BL】ハデな彼に、躾けられた、地味な僕
hosimure
BL
僕、大祇(たいし)永河(えいが)は自分で自覚するほど、地味で平凡だ。
それは容姿にも性格にも表れていた。
なのに…そんな僕を傍に置いているのは、学校で強いカリスマ性を持つ新真(しんま)紗神(さがみ)。
一年前から強制的に同棲までさせて…彼は僕を躾ける。
僕は彼のことが好きだけど、彼のことを本気で思うのならば別れた方が良いんじゃないだろうか?
★BL&R18です。
ルイとレオ~幼い夫が最強になるまでの歳月~
芽吹鹿
BL
夢を追い求める三男坊×無気力なひとりっ子
孤独な幼少期を過ごしていたルイ。虫や花だけが友だちで、同年代とは縁がない。王国の一人っ子として立派になろうと努力を続けた、そんな彼が隣国への「嫁入り」を言いつけられる。理不尽な運命を受けたせいで胸にぽっかりと穴を空けたまま、失意のうちに18歳で故郷を離れることになる。
行き着いた隣国で待っていたのは、まさかの10歳の夫となる王子だった、、、、
8歳差。※性描写は成長してから(およそ35、36話目から)となります
黒の執愛~黒い弁護士に気を付けろ~
ひなた翠
BL
小野寺真弥31歳。
転職して三か月。恋人と同じ職場で中途採用の新人枠で働くことに……。
朝から晩まで必死に働く自分と、真逆に事務所のトップ2として悠々自適に仕事をこなす恋人の小林豊28歳。
生活のリズムも合わず……年下ワンコ攻め小林に毎晩のように求められてーー。
どうしたらいいのかと迷走する真弥をよそに、熱すぎる想いをぶつけてくる小林を拒めなくて……。
忙しい大人の甘いオフィスラブ。
フジョッシーさんの、オフィスラブのコンテスト参加作品です。
わがまま放題の悪役令息はイケメンの王に溺愛される
水ノ瀬 あおい
BL
若くして王となった幼馴染のリューラと公爵令息として生まれた頃からチヤホヤされ、神童とも言われて調子に乗っていたサライド。
昔は泣き虫で気弱だったリューラだが、いつの間にか顔も性格も身体つきも政治手腕も剣の腕も……何もかも完璧で、手の届かない眩しい存在になっていた。
年下でもあるリューラに何一つ敵わず、不貞腐れていたサライド。
リューラが国民から愛され、称賛される度にサライドは少し憎らしく思っていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる